第29話 間男、全てを失う

 赤木side----。


 平日の放課後、俺は学校をさぼって公園の隅にあるベンチに座っていた。周りは静かで、時折遠くで遊んでいる子供の笑い声が聞こえるだけだ。

 夕暮れ時の公園は人影もまばらで、誰にも邪魔されることなく、ただひたすら自分の思いにふけることができた。

 俺は怪我をした右足を庇うようにして座っていた。この足はかつてピッチを駆け巡り、試合を決定づけるプレーをしていた足だ。だが今は大きな包帯とサポーターで固定され、痛み止めの薬のおかげでようやく歩ける程度だ。

 俺はベンチに深く腰掛け、ふとそれを見上げた。

 どうやら空はどんよりと曇っているらしい。


「蓮司、ようやく見つけた! ずっと連絡してたのに、何で無視するわけ?」


 自分に対する失意で頭がいっぱいのとき、そんな声が聞こえた。

 顔を上げると、そこには彼女の千春が立っていた。

 とはいえ、この状況で彼女に会うことが面倒臭く感じられた。

 こんなみっともない姿、誰にも見られたくはなかった。


「千春か、悪かったな」

「謝るなんて珍しい。怪我してから学校も最近さぼりがちって聞いたけど、大丈夫なの?」

「別にどうもしねぇよ。つーか、俺に関わってくんな。うぜぇんだよ、彼女ヅラしやがって」

「……っ! 私が蓮司の彼女ヅラして何がいけないの?」


 俺の気持ちは既に冷え切っていた。

 だから千春がこうして慰めようとすること自体、空々しいんだよ。

 そんな事を考えながら、俺はこう言い返した。


「この際だからハッキリ言うが、俺はお前の事が最初から好きじゃなかった。元々寝取り趣味があったからそれらしい態度をとっていただけだ」

「え? 噓でしょ……?」

「むしろ気づいてなかったのが驚きだな。お前だって知っているだろ? 俺が白崎奏にヤリモクDMを送っていたのをよ。俺はそういう男なんだよ」

「そっか、……まぁ、そうだよね」

「分かってくれて何よりだ。お前は遊びだってな」


 俺は千春を突き放すように言葉を放った。その言葉がどれほど彼女を傷つけるか知りながらも、八つ当たりがしたくて、あえて言ってやった。すると、千春の表情が一瞬で曇り、直後に彼女の手が俺の頬に向かって振り上げられた。ビンタの音が小公園に響き渡り、その衝撃で俺の頭が少し横に振れた。

 ったく、痛ってーな……。


「サイテー。……もういい、私たち別れよう。私だってサッカーやらなくなった蓮司に興味なんかないし!」

「あぁ、好きにしろ」


 千春の言葉は、俺をさらに追い詰めるものだった。サッカーができない自分は、もはや彼女にとって何の価値もないという宣告のように感じられた。

 その後、千春はもう何も言わず、静かに公園を後にした。

 彼女の背中が遠ざかるのを見て、俺は何もできずにただ座り続けた。


「あーあ、スッキリしたぜ……。にしても暇だな」


 公園のベンチに座り込んだまま、右足をじっと見つめていた。

 頭の中で、あの日のことが繰り返し再生される。

 試合中、相手のロングパスをカットしようとした瞬間、激しい痛みが膝を貫いた。地面に倒れ込み、悲鳴を上げながらピッチに横たわる自分。その時の痛みは、今でも忘れられない。

 その後、医師から告げられた言葉は今でも耳に焼き付いている。

 医師がX線の画像を指さしながら説明してくれた光景が脳裏に浮かび上がった。


「こちらが赤木さんの膝の状態です。見ての通り、膝の十字靭帯が断裂しています。これは非常に深刻な怪我で、完治には手術と長期間のリハビリが必要です」


 その言葉を聞いても、現実味がなかった。まるで他人事のように感じられたが、徐々にその言葉の重みが心に沈んでいった。医師の表情は真剣そのもので、次の言葉が俺の心をさらに重くした。


「正直なところ、サッカーを以前のレベルで再開することは非常に難しいかもしれません」


 サッカーが全てだった俺の人生で、突然、そのすべてが奪われると言われたのだ。 医師の声は遠く、耳鳴りのように聞こえ、自分の未来が暗転するのを感じた。

 膝前十字靭帯断裂……。聞いた事がある怪我だったがまさか俺がなるとはな……。

 ほぼ選手生命を絶たれるような怪我だ。

 完治には一年から二年ぐらいはかかる上に、怪我前の能力に戻るかも分からない。

 はっきり言って絶望だ。

 だから俺は決意をした。

 怪我明け、俺はユースチームの監督とコーチに話をした。

 ユースチームの事務室でのことだ。


「赤木、リハビリをしっかりと行えば、またピッチに立てる可能性もある。諦めるにはまだ早いぞ」


 最初にコーチがそう言った。それには励ましの意味が込められていたが、俺の心はもう冷え切っていた。サッカーに対する情熱は無い。

 だから俺は、長い沈黙の後、深呼吸を一つしてから、静かに口を開いた。


「監督、コーチ、俺はもうサッカーにしがみつきたくねぇ。リハビリをしてまたここに戻ってくることは、自分にはできねぇっす」


 すると監督が目を見開いた。

 どうやら想定外の答えだったらしい。


「赤木、そんな決断は早すぎる。もう少し考えなおしたらどうだ?」


 と懸命に引き止めようとしてくれた。それに対してコーチも頷いた。


「リハビリをして、少しずつでもいい。焦らなくていいから、戻ってくることを考えてみてくれ」


 だが、俺の決意は固い。


「無理っすよ。もうサッカーに対するモチベーションがねぇんだ。これは自分で考えた末に導き出した決断っす」


 俺に対する答えに監督とコーチはしばらく黙っていたが、最終的には重いため息をつき、「分かった、お前の意志を尊重する」と監督が言った。


 二人の顔には心配と失望が見て取れた。

 リハビリを続けるように進められながらも断ったのは面倒だからだと思ったからだ。俺はどうやらそこまでサッカーが好きじゃないらしい。

 どんなに才能がある奴でも成功者は努力をしている。

 対して俺は、努力が好きじゃない。

 カッコ悪いし、面倒ぇ……。

 そう思う時点で、俺には才能がないと悟った。

 何が世界一のストライカーになるだ。笑わせる……。

 元の能力にすら戻るか怪しいのに、そこまでしてサッカーにしがみつきたくないというのが本音だ。

 だから俺は、サッカーを辞めると決めた。

 俺はもう戻ることはないと自分に言い聞かせながら、要件を済ませた後、事務室の扉を静かに閉めた。


 ————。

 俺はユースチームを辞めたことを振り返りながらもう一度公園のベンチで空を見上げた。

 サッカーをやめたことで、何か大きな荷物を下ろしたようなスッキリ感があった。 これからはもう、無理に自分を追い込むこともない。サッカーの束縛から解放され、今後は思う存分、楽しいことだけに集中できるはずだ。

 これからは女と沢山、遊べるぜ……。

 ポケットからスマホを取り出し、連絡アプリの通知をチェックする。

 しかし、期待していた女の子からの返信は一つもなかった。

 どうなってやがる……

 サッカーを辞めて新しいスタートを切ろうと思っていた矢先にこれである。

 以前にネットに俺のヤリモクDMが拡散されて以来、女から距離を置かれていた。 どうやらその影響がまだ続いているらしい。

 俺が何をしても、どこに行っても、その評判は先回りしているようだった。サッカーをやめても、それに関連する人間関係から完全に逃れることはできないって事かよ。

 特に学校では白い目で見られているし、完全に詰んでいる。

 俺のようなゴミに最後まで付き合ってくれた千春ももう居ない。


「アホくせー……」


 自嘲気味に一人で呟いた。

 これから俺はどうすればいい?

 公園のベンチに座って、自分の選択と将来についてぼんやりと考え込んでいた時、ふいに目の前をサッカーボールが転がってきた。一瞬、周りを見渡すと、近くで子供たちがサッカーをしているのが見えた。ボールを追いかけてくる少年が俺に対してこう叫ぶ。


「すみません、ボール返してください!」


 俺は右足を庇いながらも逆足でボールを蹴り返した。

 ったく、怪我をした俺に対する当てつけか?

 そんなことを考えながら、ボールが子供たちのもとへ戻るのを見ていると、急に感情がこみ上げてきた。

 同時に、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。

 俺がサッカーをしていた頃の楽しかった記憶、ピッチを駆け巡る喜び、そして試合での勝利の瞬間やゴールを決めた瞬間、その全てが頭の中を駆け巡ってきたのだ。そして、それを二度と味わえない現実が重くのしかかってきた。


 おいおい、何なんだよコレ。

 俺は突然の感情に驚きながらも、とあることに気が付いた。

 それは怪我をして以来、ずっと閉じ込めていたものだった。

 俺はずっと始めからどうでもよかったと思うことで、気持ちを切り替えていた。

 だが、実際はそうじゃなかったらしい。俺は認めなければいけないのだ。

 何故なら————。


「どうやら俺は、意外とサッカーが好きだったらしい……」


 かすれた声で呟いた途端、涙がこぼれ始めていた。

 俺は人知れずして、暫くの間その場で泣き続けた。


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お読みいただきありがとうございました!実は当初から書くのを目標にしていた回だったのですが、辿り着くことができて良かったです。

いよいよ物語も終盤に入りましたが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。


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