第8話 白崎さんと密室でポッキーゲーム
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放課後、校舎の人影がまばらになった頃、僕は白崎さんと一緒に別棟へ向かって歩いていた。
「ねぇ、僕たち、一体何処に向かっているの?」
本校舎とは違って、別棟はほとんど使われていない空き教室が多い。
「ちょっといい場所を見つけたんだ。二人っきりで話せるところ」
白崎さんがそう言うので僕が彼女の後を付いていくように少し歩いた後、僕たちは古い別棟の最上階の隅っこにある部屋の前で止まった。ドアを開けると、中には畳が敷かれた和室が現れた。古びた木の扉を開けると、そこに広がるのは手入れされた畳の部屋。畳は年月を経た色合いで、深い緑茶のような色をしている。部屋の中央には低い木製のテーブルが一つ置かれており、その周りには座布団が整然と並べられていた。
「ここって……」
「ここ、昔は茶道部の部室だったんだけど、今は使ってないみたい。この前ちょっと私が掃除したんだ」
白崎さんが説明してくれたように、部屋の中はとても清潔に保たれていて、窓からの光が心地よく部屋を照らしていた。
部屋の中に入ると、白崎さんは畳に座り、僕にも隣に座るように促した。僕は少し緊張しながらも、彼女の隣に腰を下ろした。
「ここなら誰にも邪魔されずに、ゆっくり話ができるでしょ?」
白崎さんはニッコリと微笑んで、リラックスした表情を見せた。
まるで校内にある秘密基地のような場所だ。
白崎さんが再び立ち上がったと思ったら、彼女が扉に手を伸ばした。彼女の手がゆっくりと鍵を回す音が静かな空間に響き渡る。カチリという小さな音と共に、扉の鍵が閉まった。
「えっと、鍵閉める必要ある?」
僕はその疑問を直接に白崎さんにぶつけた。
「特別な理由があるわけじゃないよ。ただ、ここから先はプライベートだもん。それより天城君、ポッキー食べる?」
白崎さんは突然スクールバッグからポッキーの箱を取り出した。彼女は箱を開けながら、僕に向かって優しい笑顔で差し出してきた。
「えっと、大丈夫かな」
気分的に何となく甘いものには手を出したくなかった。
しかし、白崎さんはそんな僕の断りを軽く無視するかのように、ポッキーを一本持って僕の方へと近づけてきた。
「そんなこと言わず、ちょっとだけだから。一緒に食べようよ」
「……まぁ、そこまで言うなら」
僕がそう折れた瞬間、白崎さんが何か思いついたように小悪魔めいた笑みを浮かべ、一本のポッキーを自分の口にくわえた。彼女はそのままの状態で、僕に向かってにっこり微笑みながら、そのポッキーの先端を僕に向けてこう言った。
「天城君、ポッキーゲームしよっか」
「な、何で!?」
僕は動揺を隠せなかった。
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このポッキーゲームがどういうものかは知っている。二人でポッキーの両端を噛み、だんだんと中央に近づいていくゲームである。
いわゆるポッキーゲームとはお互いの心理的距離を近づける為のゲームだ。
でも、それは諸刃の剣でお互いにポッキーを食べあうのをやめなかったら最終的に二人の口は触れ合ってしまう。
「何でって、私がしたいからだよ……。ん、早く来て」
白崎さんが、真剣な顔でポッキーをくわえ、そのまま僕にも噛み付くように促し始める。
僕は戸惑いながらも、彼女の提案にどう応じていいかわからなくなった。彼女とこんな遊びをするなんて想像もしていなかったからだ。目の前のポッキーと、その先にある彼女の唇が、僕の心拍数を急速に加速させた。
「来ないなら……、コッチから行こうかな」
白崎さんはそう言いながらも、僕が口を開けないのを見て、少し強引に僕の唇にポッキーの端を押し込んだ。その一連の行動により、僕の心臓は更に高鳴りを始めた。
「じゃあゲームスタートだね」
白崎さんがスタートの合図を切った途端、僅かにポッキーを食べたので、一センチほど僕達の距離が詰まった。やばい、やばい、やばい……。
今までの人生で、異性の顔がここまで物理的に近づいた事があっただろうか?
この距離で見る白崎さんの顔は当然可愛くて、肌は白くてきめ細かい。
何かを見通すような大きな瞳が気になって、気を抜いた瞬間に逸らしてしまいそうだ。
「天城君、来ないの?」
僕が硬直していると白崎さんが微笑を凝らして、更にポッキーを食べる。
静寂に包まれる個室で、ポキッ、ポキッという音だけが鳴り続ける。
音が鳴るたびに僕と白崎さんの物理的な距離が縮まって、最初は彼女の目ばかり気になっていたけどポッキーの長さが半分になった所で彼女の唇にも気を取られるようになっていた。
「んっ……」
白崎さんの口から息が漏れる。気が付かない内にポッキーの長さは五センチ程になり、もうすぐ互いの唇が触れてしまいそうだった。
白崎さんは照れる様子もなく、真っ直ぐな瞳で僕を見つめてきて、引く気配を微塵たりとも感じさせない。一方で僕はもうほぼ限界だった。
恥ずかしくて、心臓の鼓動がドクン、ドクンと早くなっているのを感じる。
艶やかな唇がすぐそこに迫っていて、呼吸するのも忘れてしまいそうだ。
残り四センチ。
……三センチ。
彼女との距離がどんどん縮まり、もう逃げられないと感じた瞬間、僕の中のパニックが頂点に達した。その瞬間、僕は何かが切れたように、突然ポッキーを強く噛み切ってしまった。ポキッという音が小さく響いた。
白崎さんは目を丸くして、驚いた表情を浮かべた後、口元を緩めながらこう言った。
「天城君、逃げたね。今回は私の勝ちだね」
白崎さんは再びポッキーの箱を手に取り、僕に向かって意気揚々とこう提案した。
「天城君、もう一回やろうよ」
正気ですか……。
今の僕に、もう一度同じゲームを続ける気力は残っていない。
「これ以上は僕の心が持たないよ」
「……そっか、それは残念」
思ったよりもあっさりと白崎さんが引いたので、僕は拍子抜けした。
さっきまで強引だったのに今度はそうではなくなって、良く分からないなと思う。
「……ねぇ、天城君。私、これでも一応アイドルなんだよ。それも国民的アイドルグループで次の曲はセンターに抜擢されてる」
「う、うん……」
急にどうしたのだろうか?
僕はとりあえず、頷くしかなかった。
「二人きりのこの空間で、私の事押し倒そうとか思わないの?」
「思わないよ。白崎さんはアイドルだから、僕が独り占めしちゃいけないと思うし」
「真面目か!」
白崎さんが勢いよくツッコミを放った。
「一応恋人なわけだし、さっきのポッキーゲームの時もそうだけどもっとノッてくれないと困るっていうか……」
そういえば、まだその設定が残っていたのか。
あの時は雰囲気につられて、一瞬本気になりかけたけれど、アイドルの白崎さんが僕の恋人になるなんて普通に考えて有り得ない。
「この前の『恋人になる』って言ってたこと、あれって半分冗談じゃなかったっけ?」
僕は確認を取るように、そう尋ねた。
すると、白崎さんが予想外の反応を見せた。
彼女は突然、表情を困惑させ、少し眉をひそめたのだ。
「えっ、天城君、それ冗談だと思ってたの?」
彼女の声には驚きと、どこか寂しさが混じっていた。明らかに僕の軽い言い方に、何かを誤解していると感じた様子だった。
僕はその反応に戸惑った。
いや、まさかそんなはずがない。
「え、あれって本気だったの?」
「……さて、どっちでしょう?」
白崎さんが笑いながら言った。
彼女の言葉を聞いて、僕は少し安堵した。やっぱりあれは冗談だったのか、と。僕は結論付けた。彼女が本気でそんなことを言うわけがないと思っていたから、その確認が何となく心を軽くした。
「どっちにしろ、元カノに浮気された僕を慰めようとしてくれたわけだし、白崎さんは優しいよね」
「……別に、優しくないし」
白崎さんはすぐに視線を窓の外に逸らしてしまったので、その表情は良く見えなかった。
そんな彼女が直後に、その場から立ち上がってこう言った。
「あーもう、今日の密会はお開きだよ」
密会という表現は良く分からないけど、白崎さんは先にこの場を出ていくようだった。
彼女が個室にあった扇子に手をかける前に、ふと足を止めて振り返った。
「私、誰にでも優しい訳じゃないからそこは勘違いしないで欲しいな。じゃあまた後でね天城君」
そう言って白崎さんは仕事に行くようだった。
また後でね……か。
一度別れる事になったけど、僕はまた白崎さんと再会することになる。
僕も遅れて、旧茶道部の部室を後にした。
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