第7話 極限の中で

「………み、水……」


 森林に入り、初めての夜。


 私たち3人は、1本の木によりかかり、力なくうなだれていた。

 夜になったというのに、体感温度は全く下がらない。恐らくは湿気が高いのだ。ジメジメとした熱気が、私たちの全身にへばりついている。


 食糧、さらには水すらも悪臭で使い物にならなくなった今、私たちにできることは、体力を少しでも温存するために、じっと動かないことだけである。


「……どう、するんだ? ルシア……」

「……うう、あぁ……」


 私たち3人、さんざん吐き尽くしてもう胃液すら出ない。汗と嘔吐で体中の水分が抜け出てしまい、もはや、思考することすら困難な状態である。


 脳裏には、病に苦しむミリス姫の姿が浮かぶ。だが、どんなに動こうとしても、私の体は動こうとしてくれない。これ以上無理に動けば死ぬと感じている身体が、私の意志に背いているのだ。


 しかし残酷なことに、私たちは眠ることすらもできない。周囲があまりにも臭すぎて、眠ろうとしても目が冴えてしまう。まだ、眠れれば多少の体力回復は見込めるのだが……。


「……ヒカリ。睡眠魔法は、使えるか……?」

「ダメです……もう、魔力が……」


 魔法を使う魔力も、私たちには残っていない。倒すべき魔物にも特に遭遇していないというのに、だ。ただただ歩いているだけ、少しでも匂いを和らげようとして魔法を使った結果の消耗。それらはすべて、無駄な徒労に終わった。


(……臭い。それが、こんなに恐ろしいものだとは……)


 私たちが追い詰められているのは、ただただひとえに自然現象。【ドリィ・アン・ドワネット】が臭いという、ただそれだけの一点である。


 この島になぜ、魔物と呼べる生物がいないのか。それは、この植物こそがこの島の頂点に立つ生物であり、私たちのような外来種はみな、この悪臭によって死んでいったからだろう。


(……とにかく、何か、何か食べないと……わずかでも、水分が取れれば――――――)


 手持ちの水も、食べ物もない。私は目だけを動かして、何か口に運べそうなものがないかを探して――――――。


 ……寄りかかっている木に生っている、【ドリィ・アン・ドワネット】に、ほぼ無意識に手を伸ばした。


「……ルシア、さん……! ダメです、それだけは……!」

「お前、そんなの、食えるわけないだろ……!」


 ヴァネッサもヒカリも、恐らく選択肢としては浮かんだんだろう。だが、すぐにその選択肢は消え失せたのだ。


「……でも。このまま何も食わなきゃ、死ぬのは変わらない……!」


 熟した【ドリィ・アン・ドワネット】は軟らかく、皮は簡単に剥くことができる。剥いた途端、鼻が逆さにひん曲がりそうな悪臭が、私の鼻腔に突き刺さる。涙が出そうになるが、そんな水分すら、私にはほとんど残っていない。


「……! ……っ!! あーむっ!」


 意を決し、必死に目を閉じて、私は果実に向かって、食らいつく。


 ――――――その瞬間だ。胃から食道、そして口に至るまで、すべての筋肉が、恐ろしい程に痙攣する。


 ――――――今、口にした果実を飲み込んではいけない! 身体に取り込んではいけない!

 それは脳にすら伝達されたものではなく、脊髄による反射だった。脳でないのだから、私の意志でどうにかできるわけもない。


「~~~~~~~~っ!! げほっ! うえっ!」


 激しい痙攣による嫌悪感も相まって、私はなけなしの胃液とともに、果実を吐き出した。べちゃりと地面に落ちた果実は、他の熟した果肉同様、地面へと溶けていく。


「ああ、だから、言ったのに……」

「これだけの臭さの元凶なんですから……食べられるわけ、ありませんよ……」


 はぁ、はぁ、と息を漏らす私に対し、ヴァネッサとヒカリは半ば呆れ、半ば諦めの表情を見せていた。


「……だが、そんなお前の、勇敢さに、今まで助けられて、きた……」

「……はい。私、皆さんと旅ができて、本当に、たのしかった……です……」

「……ま、待て。ダメだ……2人とも、諦めちゃ……!」


 ぐったりとうなだれる2人に手を伸ばして――――――私の視界も、ぐらりと揺れる。さっきの嘔吐で、完全に体力を使い果たしたのだ。


(私たちは、まだ――――――)


 身体の姿勢制御も効かず、私の意識は腐った土壌にずぶずぶと沈んでいく……。


(……ミリス…………………………)


 最後に姫の笑顔がちらりと光り、私の意識は完全に消え失せた。


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