第8話 もっと薬を
翌朝、私は騎士様がいるかどうか聞いたが、もう仕事に出た後だった。
冷静になって考えてみると、本当に私ったら何を勘違いしていたんだろう。
あんなにイケメンの騎士様が、私なんかに興味を持つはずがないのに。
傲慢で勘違い男だと思っていたけど、この屋敷の様子を見たら事情が呑み込めた。
かなり、いや相当に裕福な家のご子息なのだ。
モテて当たり前、たいていの人より身分が高いのだろう。
私がよく知らないだけで、伯爵家の親戚かもしれない。だって、モレル伯爵の名前は頻繁に出てくるのですもの。
私はバリー商会の娘だから確かにお金持ちではあるけれど、所詮は平民ですものね。
「あ、ローズさん、朝ごはんを召し上がって言ってくださいとロアン様が」
ここの本当の使用人らしい中年の女性が声をかけてくれたが、私は遠慮した。
「大丈夫です」
これ以上迷惑はかけられない。私が寝ている間に、私の薬は運び込まれて部屋の前に置いてあった。今日売る分はありそうだ。
「襲撃事件はあったのかしら?」
心配だった。
ここに長居はできない。なぜなら薬が作れないからだ。今日はとにかく、明日の売り物に困ってしまう。
それに急いで市場に行って、襲撃があったかどうか聞かないと。
市場に行くと、ヘンリー君が緊張した様子で私を待っていた。
私は襲撃事件があったのかと思ってドキッとした。
だが、彼は違う用事で私を待っていたらしい。
「ローズさん、これから僕、心を入れ替えて頑張ります」
ちょっと面食らった。
「何の話?」
「これまで、僕は非力でおたおたして全然ローズさんの助けにならなかった。今後は頑張ります」
その宣言をするために待っていたの?
「頑張ってください……」
とりあえずエールを送ってみた。
「ハイッ!」
ヘンリー君は直立不動の姿勢を取って、元気よく返事した。そして売り場に走って行った。近いんだけどな。
ヘンリー君、年は幾つなんだろう。パッと見、私よりだいぶ上に見える。そういえば、騎士様は幾つなんだろう? 騎士様よりだいぶ上に見えるよね。そんな人が今更頑張りますって、これまでは頑張ってなかったんだろうか。
「本人が頑張るって言うなら、いい機会だと思うよ」
グスマンおじさんがいつの間にかそばに来ていて、微笑みながら言った。
「はあ。そうですね」
相変わらずもたついている感じの動きではあったが、一生懸命商品を並べたり頑張っていることは伝わってきた。
「それよりグスマンさん、最近、いえ昨夜、町で騒ぎはなかったですか?」
グスマンさんは、ん?といった顔になった。
「いや何も聞かないね。まあ、この町は伯爵様の統治がきちんとしているので、治安はとってもいいんだ。町の真ん中でも騒ぎなんかほとんど起きないよ」
「殺人とか」
「え? 何言ってるの。そんな事件起きたら大騒動だよ。まあ、そりゃこれだけ大勢の人が住んでるんだから、絶対起きないわけじゃないだろうけど」
おじさんは当たり前だと言わんばかりの調子でそう言った。どうやら本当に何もなかったらしい。おじさんの目は、もう並びかけている客の方を見ていた。
「ねえ、ローズさん、あんたやっぱり薬作りに本腰いれてもうちょっと頑張ってみないか」
「えっ? でも、私……」
「あんたの薬、本当に効くんだよ。ウチの娘はやっと外に出でられるようになった。すごいことだよ」
返事ができない。私はヘンリー君と並んでいる人たちに目を向けた。確かに薬屋は大繁盛だ。
ヘンリー君は「並んでくださーい! おひとり様三個まででーす!」と叫んでくれている。
夕べ、騎士様は言葉を選んで伝えてくれたけど、時が経つにつれ事情がわかってきつつあるんだ。
両親の生死がはっきりしないので、バリー男爵家はそこに付け込んでいるのだ。後見人とか言って。
両親が死んでいたら、相続が発生して、商会も家も私のものになる。ドネルさんも私も、男爵の口出しなんか絶対許さない。
もし、もし、生きていてくれたら、私は家に戻れる。前のように安心して暮らせる。その時にはどんな目に遭ったか包み隠さず両親に伝えなくては。
あれ?
でも、どちらの選択にも薬屋になる道はないな?
いやいや。新しい商品としてバリー商会で売り出す道がある。
町の市場で売り出すことだけが販売方法ではないだろう。
私はもっと本気で商売に励まないかと勧めるグスマンおじさんに向き直った。
「実は弟が帰ってくるのを待っているんです」
時間稼ぎのために、グスマンおじさんに向かって、私はデタラメな話を始めた。
「乗っていた船が難波して消息不明なんです」
「えっ? 最近、バリー商会の会長が難破したんじゃないかって噂になってたけど、もしかして同じ船?」
「そうなんです。弟が帰ってこないと、いろいろ決められなくて。それに心配で」
私はうつむいた。本当に心配。両親が。
「そうか。そんな事情があったのか。じゃあ何か噂を聞いたら教えてあげるよ」
ありがたい。
「それで生活費のために、この店を始めたんです」
うっかり言ってしまった。
「えっ? なんで? 弟のお金で暮らしてたわけかい。弟さん、あんたより年下でしょ?」
しまった。兄にしとけば良かった。
「双子なんです」
私は渋々言った。
「でも、仕事で稼げる年じゃないよね? ご両親は?」
「うっ……田舎住いで弟が学校に行くことになったので、私もついてきたんです」
「じゃあ、生活費、ご両親に頼めば?」
「貧乏なので……」
グスマンさんはますます変な顔になった。
「学費は出せたんでしょ?」
「しょ、奨学金が当たったんです」
奨学金は当たらない。優秀だからもらえるものだ。
「へー。弟さん、優秀なんだなあ」
グスマンさんは感心した。
これ以上突っ込まれなくて良かった。
もう何も思いつかない。
「ローズさん、ハゲ治療薬と水虫の薬、売り切れになります。看板出しときますね」
薄い金髪を頭にべったり貼り付けたヘンリー君が忙しそうに走ってきて、『……は、売り切れました。またのご来店をお待ちしております』と書かれた看板を持って行った。最後尾あたりに置くのである。『ハゲ』『水虫』などと書かれたプレートが用意されていて、看板に貼っておくと、売り切れた商品がわかる。
ヘンリー君すてき。
まあ、そのまま読むと『ハゲ、売り切れました』になるけど。ハゲ、買う人はいないけど。
ヘンリー君が看板を設置すると、ちぇーっとか言う不満の声が上がっていた。またお越しくださいとヘンリー君が
お店が開く前から行列はできていて、ヘンリー君は客の注文を聞いて、数が足らないと開店前でも看板を出してくれるのだ。これで苦情がずいぶん減った。
ヘンリー君、えらい。
店が始まると雑談どころではなく、私たちは次から次へと売りまくった。
あっという間に売り切れて、あっという間に仕事は終わってしまう。
なので、グスマンおじさんは、本腰を入れて商品を増やせと言っているのだ。
だんだんこの傾向は酷くなってきて、正直なところ、お客様の方は不満だと思う。
「でも、作るのは私一人ですしね。そんなにたくさん量は作れません」
「そのことなんだが、ヘンリー君が薬作りを手伝いたいと申し出ているんだ」
え? 意外。
「ヘンリー君も店が終われば時間を持て余しているからね」
引きこもりの専門家じゃなかったの?
引きこもりは、引きこもるのに忙しいんじゃないの?
「嫌です」
私はキッパリ断った。
なぜなら、私の家は、私がグータラする場所なのだ。
他人がいたらグータラできないではないか。
「これまで通り引きこもっていればいいじゃないですか。これまでは時間を持て余していなかったんでしょ?」
引きこもり名人が何を言っている。もう何十年も家の中にいたくせに。
「でも、彼はマッスル市場のオーナーの息子なんだ。オーナー自らのお願いなんだ」
グスマンおじさんが頼むように言い出した。
「でも、薬の作り方は企業秘密です」
私は言い返した。
「マッスル市場のオーナーの息子だなんて、余計困ります。薬の作り方を盗まれて、マッスル市場が別の人に頼んで量産を始められたら、私は野垂れ死にするかもしれません」
「そんな極端な」
グスマンおじさんは驚いたように言ったが、冗談ではない。昨夜以来、私は命を狙われている存在だと言うことに気づかされたのだ。
「それに量産に際してはマッスル商会はきちんと支払いをしてくれるよ」
信じられない。
「でも、まず雑用でもいいから使ってほしいんだ。薬の作り方までは教えなくていいから。それは、ローズさんの言うことに理屈はある。これだけ売れる商品なんだ。簡単に教えてもらえるはずがないさ。もっともマッスル市場のオーナーは、息子の趣味だと思っているんで」
「趣味? 薬が?」
「ええと、あの、薬ではないな。ヘンリー君に薬を作る趣味や能力はないような気がする」
「私もそんな気はしますけど」
「こうやって、流行る店で働くことに生きがいを見つけたようなんだ」
「はあ。なるほど」
「今までずっと家にこもっていて、ご両親も手を焼いていたんだ。それが、意外にもあなたの店なら手伝いたいと言い出して、それで、知り合いだった私が呼び出されて、無理やりに手伝いになったってわけ」
なんだって、私の店に目を付けたんだろう。
「かわいい女の子が一人で働いているのを見て心配になったそうだ」
最初は頑張って老婆の変装をしていたのだが、変装ってめんどくさいんだよね。
大体、令嬢らしく!とか、マナーに気を付けて食事を!というのは、わかっちゃいるけど、人が見ていないとなると手抜きになるでしょ? あれと一緒なのよね。
そんな言い訳にもならない言い訳で、老婆アイテムはどんどんはがれていき、最終的には『かわいい女の子』になってしまったと言う訳だ。
「かわいい女の子ではないと思いますが」
私が目指しているのは、一人前の商売人だ。かわいい女の子ではない。
だが、おじさんは一瞬驚いたような顔をしたが、ワハハと笑い出した。
「とてもかわいい女の子だよ。心配しなさんな」
いや、なんか違うと思うんですけど。
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