第6話 銀行口座は裏切らない

なんだかいやな予感がした。


「心配しているドネルに教えてやってもよかったんだが、伯爵様はドネルに別なことを教えたんだ。銀行口座の件さ」


「それ、私と何の関係がありますの?」


「銀行を通す限り、男爵はバリー商会のお金に手を出せない。間に他人が挟まるってわけさ。バリー男爵は、商会と何の関係もない。自称会長のジェロームなんか誰にも認められていないのだからなおさらだ」


私は意味が分かりかけてちょっと口元がほころんだ。


「伯爵様は、バリー男爵一家が大嫌いだ」


わかる気がする。伯爵様は清廉潔白なお人だと言う評判だった。


「銀行はバリー男爵に何の権利があって、お金をおろすんですかって聞くだろう。もちろんドネルはお金を動かせる。バリー商会の為であって自分が使うんじゃないからね。このことをドネルに説明してやったらニヤリとしていたよ。それから、銀行口座を開いたのがお前だと知って相当驚いていた。だが、大喜びだった。バリー男爵はあんな派手なパーティの費用を開いてしまったが、その支払いはどうするつもりなんだろうな」


そうか。

屋敷を占拠できても、お金は手に入らない。


「お前のことが心配だった」


騎士様は突然言い出した。


「お前が家出した理由がよくわかったよ。いい判断だった。あのバカのジェロームと結婚することになってしまったら、それこそ一生逃げられない」


あら?


いつも私のことをバカにしている騎士様が素直になった?


「むろん、あの男爵家の連中が気に入っていると言うなら別だが……」


私はブンブンと首を振った。


「なら、俺に任せてみないか? こっそり護衛に入ってやる。腕は確かだ」


えーと、ヘンリー君が護衛のポジションなのですが。一応。


そう言うと騎士様は笑い出した。


「何の冗談だ」


「まあ、それは確かに」


「そうだな。だけど、マッスル商会の御曹司だと言う肩書は役に立つだろう。昼間、店にいる限り心配はいらないな。あの中年男も時々様子を見に来ているみたいだし」


グスマンおじさんのことね。


「心配なのは夜なんだ」


一挙に食後のデザートの味が落ちた気がするわ。


「自分たちのおかれた状態を理解したら、バリー男爵家はお前を探すだろう」


騎士様が真剣だった。


それはそうかもしれない。


「新居披露の時の感じだと、すっかり浮かれていた。今やバリー商会のお金は使いたい放題だ、自分たちが後見人なんだからと公言していた。だけど誰も信じていなかった。ドネルも甘い男じゃない。じわじわわからせるだろう。そうなったらどうすると思う?」


騎士様の言葉は私を追い詰める。


「まさか私が市場で薬を売ってるだなんて、想像もしていないと思うわ」


「それはそうだがね。今じゃ町でもローズ嬢はあの家にいないんじゃないかと噂になっている。なぜなら、お茶の会に招待状を出しても、欠席の返事しか来ない。おまけに全部男爵夫人の代筆だ。みんなおかしいと思うだろう」


「なぜ、お茶の会の招待状がそんなにたくさん来るんでしょう」


私は頭を抱えた。


「だって、男爵がお前のことを仮病だなんていうからさ。実は元気でワガママいっぱい、私たちも持て余していますって」


むかつく。


「それに、お茶会に招くと、代わりに二人の姉妹のどっちかが出てくるんだ。招かれてもないのに。男爵は代わりに花をお届けしますとか言って、気の利いたことを言ったつもりらしいけど、評判は悪い」


なんて厚かましいのかしら、あの二人。


私が考えこんでいると、騎士様が遠慮っぽく言い出した。


「心配だろう。俺の家に来ないか?」


ええ?


「いえ。まさか。そんなご迷惑をかけるわけにはまいりません!」


この人の家? 誰が住んでいるの?


「俺の家は広い。料理人も掃除婦も馬の係もいるんだ。紛れてしまえばわからないし、常に誰かが見ている。それに特に夜は俺がいるしな」


それは、確かに伯爵様お気に入りの騎士様ともなれば、それくらい雇っているのかもしれませんが……なんか多いな?


「あのう、奥様やお子様は?」


騎士様は盛大に照れた。なぜっ?


「いつかは欲しいと思っているんだが、今のところはまだダメなんだ」


家族持ちなら使用人の数は多くなるが、独身の騎士様一人にそれだけの人数が付いてるの?


「だから、気楽に来てもらってかまわない。妻も子もいないのだから」


「ご両親は?」


「いない。より一層気楽だ」


いや、今、ハードルがグィーーンと音を立てて上がりましたが?


その同居、従兄のジェロームとの同居くらい危険度マシマシですよね?


「えー、ですが、そのような居候は誤解を生むと言うか何というか。ご結婚なさりたい方がお出来になったら、どう説明されるおつもりで?」


高慢騎士様は腕を組んだ。


「バカにしてもらっては困るな」


「はい?」


「厚かましいにもほどがあるな。誰が賓客として迎え入れるなどと言った」


あ。確かに。言ってないわ。


私は赤面した。バリー家の令嬢としての認識が心のどこかにあったのだろう。


伯爵家に仕える騎士様。

彼はイケメンだ。態度が傲慢に見えるのは、多分、生まれつきが結構いい貴族の家の出身だからなんだろうなとわかってきた。


今日だって親切に心配してくれた。食事をおごってくれるらしい。


でも、私だって本当なら大富豪のバリー家の令嬢。騎士様がどれほどの身分か知らないけど、別に引けは取らないと思う。


「下女として入れてやる。まあ、仕事はしなくていいから。薬を伯爵家にも売ってくれ。それで家賃にしよう。隠れ蓑だと思ってくれればいい。あの家より格段に安全だぞ?」


でもなー。


一人暮らしって本当に楽。寝たいときに寝て、食べたいものを作って食べる。

世界の時間は私の為にある。薬だけは作らなくちゃいけないけど、意外と高値で売れて、売り切れはいつものことだ。


「じゃあ、俺にこの家に来いってか?」


なんで、そうなる。


「目立つから止めてください」


「夜だけ来てやる」


なんか下心じみてきた。なんなの? この騎士様、私を好きなの?


「騎士様はイケメンでしょう」


「ああ」


騎士様は深くうなずいた。


「そのほかに剣も抜群だし、騎士様という職業も女性に人気だと思います」


「その通りだ」


「そんな方が、こんな家に来てはダメですよ」


私は優しく諭した。


「悪い噂でもたったらどうするんです」


「だが、お前の方が心配だ。俺は、あんなブスには何の用事もないわと言えば済む話だが、お前はそうはいかない」


私はイラっとしたが、彼は言葉を続けた。


「もういっそ死んでいなくなった方がいいとバリー男爵家が考えたらどうするんだ」


「え?」


そこまでするかな?


「人間、金が絡むと何をするかわからない。お前はまだ子どもだからわからないと思うが」


いちいちディスるのやめてもらえませんかね。


「殺しまではしないものの、偽者を立てたらどうするんだ」


「偽者?」


「ローズ嬢という従妹と結婚すると言う噂がある」


騎士様が急に顔をしかめて言い出した。


「どういうことですか?」


「話自体は元々あったのだろう? だが、最近、ローズ嬢という人物とジェロームがパーティに参加した」


私は呆気に取られた。私はジェロームと出かけたことなんか一度もない。


「騎士様、それは?」


「もちろん、別の女だ。お前のなりすましに使うつもりかもしれない。そうなれば、お前は社会的に抹殺されてしまう。対抗策を考えないと」



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