第9話 姫神(二)

 姿すがたはよく見えないのに、圧倒的あっとうてきな存在感と、ここから一歩も近付いてはならないような神聖さに、稔流みのる恐怖きょうふさえ覚え、――――とても、綺麗きれいだと思った。

 いつか、さくらがいかづちと炎をあやつ荒神あらがみの姿を見た時のように。


(さくら…と呼ぶか。私ではなく…あのあわれな童女わらわめのことか?)


あわれ…って、さくらに鬼のような角がえたことですか」


(それもある。…だが、あの娘は人の子であるそなたと共にありたいと望んだ。その望みそのものが、あの娘を苦しめた)


(人は人と結ばれる。座敷童という《童》のなれのては、だれともむすばれない。…それは宿命さだめだというのに、――――そうと知っていながら、あの娘は天地のことわりに逆らった。憐れな子よ)


 稔流はさくらが何ものでもかまわなかったのに、さくらはそうではなかった。

 何度約束をわそうとも、さくらは一歩はなれようとする、そんな気配けはいは稔流も気付いていた。


 ――――だから、何度でも自分の気持ちを伝える。

 さくらの不安が、苦しみが無くなるまで、何度でも――――


善郎よしろうさんとあやめさんは結ばれました。俺も、さくらとずっと一緒にいられるのなら、人間の命を捨てます」


(子がえて親よりも先に死ぬのは、不孝ふこうであろう。百年近くの命をまっとうした善郎と、まだ幼いそなたが同じなどとは思わぬ事だ)


(さくらも言うておったろう。まだ死んではならないと)


「俺は、親不孝おやふこうでも構わない。だれを悲しませても苦しませてもいい。俺だって子供だから。ままだから。たくさんの人を幸せに出来るなんて、思い上がっているわけじゃありません」


(……そなたは、残酷ざんこく男子おのこだな。鬼の名は、あの娘よりもそなたに相応ふさわしいようだ)


「それでもいい。神様にも妖怪にも、善も悪も無いってさくらが言っていました。俺がいくら残酷ざんこくでも、さくらに鬼のような角がえても、俺が俺で、さくらがさくらだって、それだけでいい」


 稔流は、姫神に逆らった。

 清冽せいれつ神気しんきが、はだに、全身にさり、意識が飛びそうになるのを、稔流は懸命けんめいえた。

 偉大いだいな女神を目の前にしても、決してゆずれない願いだった。


「神様。さくらと会わせて下さい。俺はさくらに約束したから。いなくなったら、何度でもさがす。何度でも名前をんで、必ず見つけるってちかったから。たとえさくらがあきらめていたとしても、約束も誓いも、俺はあきらめません」


(天のいかづちのようにはげしいことよ。その望み、私の名にいてかなえよう。……ただし、会わせるだけだ)


 稔流は、希望に胸が高鳴たかなった。

 会えるだけでいい。会えたなら、今度こそ伝えたいことがあるのだから。


(時に…我が末裔まつえいよ。そなたは神と仏とどちらを信じる?)

「え…?」


 思わぬ問いけに、稔流は戸惑とまどった。

 東京にいた時も初詣はつもうでは神社だったし、天道村てんどうむらに来てからも、さくらと一緒に何度か村の神社に行ったことがある。


一方で、先祖せんぞ代々の墓という発想はっそうは日本の仏教のもので、みのりの遺骨いこつおさめる時にはお坊さんがお経を上げに来た。

 そういうごちゃぜに、特に違和感いわかんを持たないのが多くの日本人だろう。


 でも、稔流はまよわずに答えた。

「神様を信じます」


何故なぜそう思う?)


「さくらが、小さい神様だから」


 そうだ。さくらを信じなくて、何を信じる?

 見ないでと、さくらは言い残して消えた。でも、さくらはきっと、心の中では稔流の名前を呼んでいる。

 稔流からげても、どうかいてと願っている――――そう稔流は信じた。


(……そうか)


 ふふ、と女神は風にれる桜の花のように笑った。


(私が何故なぜ、そなたを我が末裔まつえいと呼ぶのかわかるか?)


「…いいえ」


(私もまた、人のてだからだ。私の血を引く者よ)


「え…?」


 神様が、人間だった…?

 思わぬ言葉におどろいて、でもさくらを思い出した。座敷童の多くは、かつて人間の子供だったと言っていた。


如来にょらいとは、人を救わんと悟りに至った人の果て。菩薩ぼさつとは、衆生しゅじょうを救い如来へならんとする者)


(だが……そなたが救うのは、あの娘だけなのだな。仏にはなれまい)


(それでも、この国は八百万やおよろずの神が住まう国。そなたがそう思うのならば、人間ではなくなった時…)


(そなたは、仏ではなく、神となる――――)


 女神の声が、遠くなる。

 桜の花が、消えてゆく。


(会うがいい。ざされたの心は……私の力でも、開くことは出来ぬ)





「――――!」

 まるで、天から落下らっかしたような感覚がした。

 でも、痛くはない。真っ先に目に入ったのは、見慣みなれない、格子模様こうしもようの白い天井てんじょうだった。


「稔流ちゃん……?」

「……。おばあちゃん…」

「ああ…!よかった…!稔流ちゃん…稔流ちゃん。本当によかった…!ありがとうございます…ありがとうございます、姫神様…!」


 祖母は、稔流が困惑こんわくするほどおいおいと泣き始めた。何が起こったのだろうと、稔流はふと祖母のとなりを見た。

 点滴てんてきのパックがつるしてあって、ぽた、ぽた、と規則きそく正しくしずくが落ちていた。


「……俺が死んでから、何日ったの?」


 祖母は、もう思い出したくないとばかりに首をった。

縁起えんぎでもないことを言うもんじゃないよ。稔流ちゃんは、助かったんだよ。こうして目をましたんだから。生きているんだよ」

「…うん。ごめんね、おばあちゃん」


 稔流はそう言ったが、淡々たんたんたずねた。

「俺が学校でたおれてから、何日経ったの?」

「……。十日とおか…ほどだよ」

「…そう」


 祖母の言いにくそうな様子ようすを見て、2週間はっていないが、十日よりは長いのだろうとめた頭で思った。

 稔流が喘息ぜんそく発作ほっさを起こした日付は、9月13日。そして、稔流の誕生日は23日の秋分の日だ。祝日だから、今は居ない両親も見舞いに来ていたのかもしれない。


「ふぅん…随分ずいぶん学校休んじゃったな」

「稔流ちゃん、まだ起き上がっちゃダメだよ」

「大丈夫」

 指先ゆびさきのパルスオキシメーターが差す血中けっちゅう酸素濃度さんそのうどは98パーセント。正常せいじょうだ。


(さくら…)


 もう、自分でわかる。稔流の体の中には生命力がちているのだと。

 さくらの反魂はんこんの術は、完璧かんぺきだった。さくらが、ギリギリまでその命をうつした稔流の体は、完全な健康体けんこうたいになっていた。


 稔流の体から、喘息の要素ようそ跡形あとかたも無く消えている。もう、どんなに走ってものどることはないし、せきをすることもない。そうったのだと、自分でわかった。


 稔流は自分でナースコールをした。

 容体ようだい急変きゅうへんしたとでも思ったのか、看護師かんごしあわてた様子でやって来た。

 稔流は言った。


「すみません。生き返ったので家に帰っていいですか?」

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