第10話 金色の少年(一)

 当然、丸13日間の意識不明いしきふめいから目覚めた患者かんじゃに、医師が退院許可たいいんきょかを出すはずがない。

 そして、両親が村の診療所しんりょうじょを午後休診きゅうしんにしてけつけた。


稔流みのる…っ」

 母が目を潤ませた。気丈きじょうな人だと思っていたのに、案外涙もろいんだな、と6歳の誕生日の夜を思い出した。


「…お母さん。お父さん。久しぶりだね。1ヶ月半くらいかな」


 稔流は、目を細めて微笑した。

 両親共に、言葉にまり、ひとり息子がやっと目を覚ました、その喜びの表情が消えた。


「来ていいの?村にひとりしかいない医者と看護師が病院を放り出して。おばあちゃんとおじいちゃんが交代こうたいで俺のそばについていてくれたのも、村にとってお父さんやお母さんの代わりになれる人がいなかったからだよね?……そのくらい知っているから、そんな顔しなくてもいいのに」

「…………」


 父も母も、言葉を探した。何から言えばいいのだろう?

 両親共に、稔流が墓地ぼちから走り去ってから、一度も稔流をたずねることはしなかった。そのまま、長い時がぎてしまった。


 心配はしていたけれども、曾祖母そうそぼに対しては明るく素直すなおなのだし、学校でも友達が出来て楽しそうだと聞いて、拍子ひょうしけしたような気分だった。

 もう、両親を恋しがる年頃としごろではなくなってしまったのだろうかとさびしく思ったが、開業かいぎょうしたばかりの病院がいろがしく、そちらに気がれていた。


 稔流が「自分の誕生日が書いてあるお墓なんて見たくない」とさけんだあの時は、何を言ってもわけにしか聞こえないだろうし、実際取りつくろう言い訳でしかないことも思い知らされていた。


 産まれた時にはすで息絶いきたえていた娘を、決して忘れてはいけないと、なかったことになどしないとおもあまりに、けが良く大人しい息子への配慮はいりょわすれていたのは、本当の事だったのだから。


 きっと、稔流が一時は心肺停止になり、意識不明のまま村の外の大病院に入院という大事件が起こらなければ、――――そして稔流が目覚めないままだったなら、次に見舞みまいに来るのは日曜日になっていただろう。

 こんな事故にうことなく稔流が元気でいたならば、年末年始の休診きゅうしん期間くらいまでは、結果的に――――放置ほうち、していたのだろう。


「どうしたの?誕生日も一昨日おとといだったみたいだし、今年はおいわいはいらないよ。…ううん、毎年9月23日は、みのりの冥福めいふくを祈る日にしていいよ。俺はお正月の時に年を取ることにするから。俺は次のお正月でだね。それでいいよ」


 きつね色の目は、金色を宿やどして笑っている。

 口元くちもとも、笑っている。だが、


 ――――笑っているのに、笑っていない。この子は、こんな表情をする子だっただろうか?


この子は、本当に自分たちが育てた息子なのだろうか――――


「何か勘違かんちがいしてるみたいだけど、俺は何も怒ってないよ?」


 ――――だって、もうどうでもいいことだから。

とまでは、稔流は言わなかった。他意は無いのに嫌味いやみに聞こえてしまいそうだし、わざわざ口にすることでもない。


 これが、さくらの言っていた代償だいしょうのひとつなのだろうか?人ならざるものに近付いてゆくことは、人の心を少しずつうしなってゆくことでもあるのだと。


「お父さん、覚えてる?」


 稔流の声に、父は我に返った。

「あ…、何かな?」

 稔流は言った。


『誰も悪くなくても、悲しくてつらい出来事に出会ってしまう。そういうことも、あるんだよ』


 父は、遠い記憶きおくまされた。

 確か、稔流の7歳の誕生日の直前だった。稔流が突然とつぜんたずねたのだ。


(どうして、みのりは死んだの?)


 稔流は、自分とよく似た名前の『みのり』がだれなのか、多分見当けんとうは付いていたのだろう。

 幼い息子の問いに、父は言葉をえらびながら、稔流の誕生の経緯いきさつ死産しざんだった妹がいたことを話した。


 稔流は、その時の父と全く同じ言葉を口にしたのだった。

 当時の父の意図いとちがったが、稔流のそれは「もうこの話はおしまいだよ」という意味なのだとわかった。


「ちょっとつかれた。少し寝るよ。おばあちゃんもつかれてるはずだから、一緒に家に連れて行ってあげて」

 皆、そっと視線しせんをやり取りした後、躊躇ためらいがちに「また来るね」と言って帰っていった。




大彦おおひこ狭依さよりが見舞いに来た。


「稔流、久しぶり」

「久しぶり。2週間しかってないけど、そんな気がするね」


 狭依は本当にホッとした表情で言った。

「…よかった。元気そうで」

「うん。元気だから明後日あさって退院なんだよ」

「え?早くね??」

「そうでもないよ。もう何ともないから。明日じゃなくて明後日なのは、ただの様子見だよ」

 稔流は微笑した。


心肺停止しんぱいていしの時間が長いと、何か障害しょうがいが残る場合が多いからって、色々な検査けんさをされたよ。お医者さんもおどろくくらい、何の異常も見付からなかったんだけどね。俺もひまだし、本当は今日にでも帰りたいくらいだよ」


「やめとけ」

 大彦がさえぎって、いつもとはちがって深刻しんこくな表情で言った。


「…土気色つちけいろ、ってやつ?俺、生きてる人間がそんな色になるって、初めて見た。もう、見たいとも思わねえよ。多分、みんなもそう思ってる。トラウマ級だぞ」

「うん…ごめんね。心配かけて」

狭依さより亮介りょうすけも泣きまくって大変だったんだぜ?意地いじでも止めとけばよかったって」

「大彦君!バラさないでって言ったのに!」


 比良ひら亮介りょうすけは、五十メートル走が始まる時点で、雄太ゆうたに言えば何とかしてくれる、と言ってくれた友達だ。狭依さよりは、一回走った後の稔流の苦しげな様子を見て、二回目は走らずに一回目だけの記録にしてもらうように言ってきた。


「亮介君の所為せいじゃないし、狭依さんの所為せいでもないよ。ちょっと運が悪かっただけだから」

「ちょっとじゃねえだろ!狭依と亮介だけじゃねえよ。俺も終わってからじゃなくて、五十メートル走れって言った時に郷里ごうさとをぶんなぐっておけばよかったって、何度も思ったんだ!」

「大彦君、だめだよ。稔流君をめに来た訳じゃないでしょ?」


 亮介はこの場にいないけれども、いつも元気な大彦といつもにこやかな狭依が、友達を死なせる所だったという後悔こうかい、もう取り返しがつかない思った恐怖きょうふを、今でも強く持っていることが伝わってきた。


「先生のこと、ゴリって言うのやめたの?」

「…………」


 大彦は、狭依の方を見た。

わりい。こっから男と男ではらって話すから、ちょっと部屋の外に出ていてくんね?自販機じはんき椅子いすがあった辺り」


 狭依は、そんなのずるい、と可愛らしい顔の眉間みけんしわせたけれども、席を外してくれた。

ドアが閉まって、しばらくしてから大彦が言った。


「稔流、わざとだろ?」

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