第8話 姫神(一)

現世うつしよもどった稔流みのるは、以前よりも大きな力を持って目をます。…その代わりに、私の命を使って稔流を助けてあげることは、二度と出来ない」


 稔流は、とっさに声が出なかった。あの、不思議な甘いものは、さくらの命そのものだった…?


滑稽こっけいだろう?妖怪は、存在しているだけで、生きている訳ではない。生きていないから、死ぬこともない。死なないから、消滅しょうめつするだけだ。…なのに、消えるまでは命がある。稔流を生かす為に、私の命を使った」

「じゃあ…!俺に命をくれたさくらは、どうなるの!?」

代償だいしょうはらう。それだけだよ。私は私の代償を。私が勝手に助けた稔流も、稔流の代償を、それぞれ払う」

「俺の代償なんて、どうでもいい!さくらは…」


 言えなかった。

 さくらの細い指が、そっと稔流のくちびるれて、止めたから。


「これ以上、私の命を分け与えると、稔流は人間ではいられなくなる。……そうなるのには早すぎるのに。だから…稔流、もう、自分を粗末そまつにしないで欲しい。これ以上は、天地のことわりそむいてしまうから。……もう、十分背いたのだから」

「……それだけ?俺は元々、さくらとずっと一緒にいるために、人間の命は捨ててもいいと思っていたよ」


 死んだ人間は、生き返ることはない。どんな病気にも万能薬ばんのうやくなど存在しない。

 それは、どの人間でも同じことなのに、稔流は特別に、さくらの命を分け与えられてこれからよみがえる。


 その『特別』が、どんなに不自然なことで、有り得ないことなのか、稔流にもわかる。本来は助かるはずがない命だったのだから、今後はもう助けてもらえないということが、大きな代償とは思えない。


「だけ…ではないと、分かる時が来る。…う、あ……!」


 さくらが、雪の糸のような繊細せんさいな髪を、ぐしゃりと両手で鷲掴わしづかみにして、がくんとひざを付いた。


「さくら!?」

「…み、るな……」

 さくらは、苦痛にふるえる声でさけんだ。


「稔流…みの、る、見るな…、見ないで…っ!!」


 それは、悲鳴ひめいだった。哀願あいがんだった。

 めりめりと、聞いているだけで鳥肌とりはだが立つ恐ろしい音がして、白い手とその手がつかむ真っ白な髪が、血の色にまった。


「さくら!」

「見ないで…!見られたくない…ッ」

 さくらが、血にれた手で稔流の手をはらった。


 ――――その時に、見えた。

 さくらの頭をいてあらわれた、つのを。まるで――――


 稔流は、思い出した。曾祖母そうそぼの家にかざられている、恐ろしい異形いぎょう般若面はんにゃめんを。


「うあ…!ああああ…ッ!!痛い…痛い…っ、う、あああああ!!」

 肉をいてえてくる角の根元をきむしって、さくらは苦痛のさけびを上げる。


「さくら!!」

 稔流は、どうすればいいのか分からなかった。

 分からなくても、この手をばして再びさくらをめようとした。

 でも、稔流の手はくうを切り、れることはかなわなかった。


(みのる…、みないで……)


 はかない声が、聞こえたような気がした。

 さくらの姿が、消えていた。


「さくら…!」

 さくらもまた、『座敷童ではない何か』になりててしまうのか。


「待ってて…、追いかけるから…!むかえに行くから…っ」


 でも、何処どこに行けばいい?この、ただ白いばかりの世界に、稔流はたったひとり、取り残された。

 ぽつりと、稔流はつぶやいた。


「…かみ…、さま…?」


 初詣はつもうでに行った時さえ、願いを心の中で念じはしても、本気で信じたことはなかったのに。

 喘息ぜんそくなおりますように…と、願ってはみたものの、あまり期待はしていなかった。

でも、さくらは違う。


(天神様の細道を…)


宇迦うかの姫神様の…)


 さくらは、これらの神というものを、とても身近に口にしていた。きつねたちを神の使いと言っていた。

 そして、さくら自身も妖怪でありながら小さな神様なのだと。


 ――――さくらがいるのなら、神様は、いる。

 稔流は初めて、本気でいのり、願った。


「神様…!俺を、さくらの所へ連れて行って下さい。俺は、さくらを迎えに行かなきゃいけないから。さくらに、そう約束したから…!」


 全身全霊ぜんしんぜんれいで、願い、祈り、叫んだ。

「俺は、さくらをひとりにしたくない!だから会わせて下さい、お願いします、神様…!!」


 稔流の祈りに応じるように、白いもやのようなものがうすらいだ。

 まぶしい光が差し込み、世界の色が、変わった。


 空気も、変わった。 山の中、森林と土のにおいだとわかった。


末裔まつえいよ。私をんだか?)


 美しい音楽のような、典雅てんがな声が聞こえた。

 見上げると、大きな磐座いわくらが見えた。その上に誰かが座っていたのだが、木々の間から差し込む光がまぶしくて、その顔は見えなかった。


 見えなくても、わかる――――とても美しい女神なのだと。


(この磐座いわくらは、姫岩ひめいわと呼ばれている。宇迦の姫神がくだる岩だと)

禁域きんいきゆえ、宇賀田うがたの当主のみ此処ここへ通しているのだが…そんなにも私を信じ祈るのなら、であるそなたに会ってみたくなった)


 ざあっと風が吹き、薄紅色うすべにいろの花びらがふわりと稔流のてのひらに舞い落ちた。

 いつの間に、こんなにたくさん咲いていたのだろう?桜の巨木が、美しい夢のように咲きほこっていた。

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