第7話 一途(二)

「私は…こんな形で稔流みのるの命がこわされるなんて、一度も望んだことはなかった!私が守れたはずの命を、私が守りたかった!……もっと、あの家で一緒にらしたかった。稔流に、もっと友達と遊んでほしかった。もっと…大人になっていく稔流の姿を、そばで見ていたかった…!」


 さくらは、泣いていた。

 死んで欲しいと言ったさくらは、本気だった。

 でも今、稔流に死んで欲しくないと、もっと生きていて欲しいと、そう望むさくらも、本当だった。


「…笑ってくれないんだね」


 稔流は、ほろ苦く微笑した。

 命を終えるには、若すぎる――おさなすぎる。いたましくて、喜ぶことなど出来ない。

 さくらをむかえに行くのも、遠い何処どこかへ旅立つのも、あまりにも早すぎる。


 だから、さくらは慟哭どうこくする。稔流の命があまりにも大切で。幸せだとは決して言ってくれない――――今は、まだ。


「わかったよ。俺は、自分に出来ることなら全部、さくらのねがいをかなえてあげたいから」

「稔流…」


 なみだれた長い睫毛まつげに、涙のつぶが光る。

「生きて…くれるのか?」

「さくらが、うれしいって笑ってくれるのなら」

「…うん」


 さくらは、あどけない頬に涙を伝わせながら、笑った。

「嬉しい。だから、待ってる……ずっと」

「……!」


 稔流は、おどろいた。

 背伸せのびをしたさくらが、赤味をびた柔らかな唇を、そっと、稔流の唇に重ねたから。


 びっくりして、目を見開いて。でも、そっと目を閉じた。口移くちうつしで、ゆっくりと流れてくる《何か》。


(甘い……)


 神隠しにった時。そして、転校初日にさくらと走った時。

 どちらも喘息ぜんそく発作ほっさを起こした時に、さくらが飲ませてくれた金色の丸いあめのようなものと、同じ甘さだった。

 でも、今はあの時のビー玉のようなひとつぶではなく、蜂蜜はちみつのようにとろけた液体が、のどを通って体の中に落ちてゆく。


(…さくらみたいだ)


 その甘さそのものが。優しく心と体をたしてくれるあたたかさが。むねがキュッとめつけられるような気持ちさえ、全てが甘く感じて。


 コク…コク、コク…コク、何度も飲み込んだ。

 この真っ白な世界で、気が付かないうちに自分の存在が曖昧あいまいになっていたことに気が付いた。


 稔流の体が、命が、魂が、あわい金色の光に満ちて、自分自身の存在の形を取り戻してゆく。

 そして、今までは稔流が持っていなかった力が、確かにこの身体からだ宿やどるのを感じる――――


「…私があげられるものは、これで全部だ」


 その声で、稔流ははっと我に返った。


 さっきまで、自分は何をしていたのだろうか。

 すぐ間近まぢかで、つぶらな黒い瞳が稔流を見つめている。近い。

 でも、もっと――――


「――――っ!」

 稔流は、思わず目をらした。


 あやうく、衝撃しょうげきのあまりにさくらの両肩りょうかたつかんで遠ざけそうになったのを、寸前すんぜんで止めた。いつか、ずかしいからとあわててさくらから身をはなしたら、怒っていると勘違かんちがいされて、さくらに泣きそうな顔をさせてしまったのを思い出したからだ。


「稔流、どうしたんだ?」

 目をらしたのに、素直すなお眼差まなざしでさくらに顔をのぞき込まれた。


(わあああああああ!!)


 稔流は心の中でさけんで心の中で頭をかかえた。

「え…えっと……」

「何だ?」

「今の、…キ、…」

 たったの二文字なのに、残りの一文字を言えない。


接吻せっぷんのことか?」

「わ─────!!」


 稔流は、今度こそ本当に叫んだ。顔から火が出る。絶対出る。


「いくつも飴玉あめだまみたいにめるのは大変だろうし、溶けているものを口移くちうつしの方が、たくさん飲むにはいいと思ったのだが」

「………………」


 うん…それだけだよね……、と稔流は遠い目になった。

 自分だけ思いきり意識して挙動きょどう不審ふしんになったなんて、恥ずかしいしむなしい。


「でも、こういうことは、私は稔流にしか出来ないよ」


 稔流は、改めてさくらを見つめ返した。

 今度は、さくらの方が目をらしてほのかにほおめている。


「私に出来ることが、これだけしかなかったのは、その通りだけれども…。でも、何も飲ませることがなくても、……接吻は、稔流だけだ」

「……。…俺もだよ」


 稔流は、やっと微笑ほほえみを返すことが出来た。頬は火照ほてって熱いけれども、胸の中は、甘くてあたたかい。


「これで、全部だ」


 さくらが言った。それは、唇がはなれて、すぐにさくらが口にした言葉と同じだった。

「全部…?」


 稔流は、言い知れぬ不安におそわれた。

 これで全部……なんて。まるで、おわかれみたいだ。


「…お別れではないよ。稔流が、望まない限りは」

 さくらが、笑った。かなしそうに。罪悪感ざいあくかんえるように。


「ただ、反魂はんこんじゅつには、大きな代償だいしょうが必要だ。」

「…………!」


 稔流の心臓しんぞうが、ドクンと音を立てたような気がした。

 やはり、自分が死んだという感覚、命の火がきた感覚は、本当だった…?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る