第6話 一途(一)

 そこは、白い世界だった。

 あわ発光はっこうしているような、うすかすみがかかったような、足元と空の境目さかいめもわからない、不思議な場所。


 自分は、いつから此処ここに居るのだろう?

 自分は、何者なのだろう?


「…さくら」


 ふとくちびるからこぼれ落ちた名前に、はっと自我じがを取りもどした。


 自分の名前は、宇賀田うがた稔流みのる宇迦うか姫神ひめがみを代々まつってきた家の、最後さいご直系ちょっけいだ。


 その体に流れる血にみちびかれるように天道村に来て、さくらという美しい座敷童と再会し、結婚を約束した。

 でも、転入先の学校の教師に目を付けられ、体育の時間に校庭で発作ほっさを起こしてしまった。…わざと。


「俺…死んじゃったのか…」


 しくじった。本当に倒れてやろうかと思い、実際にそれをこころみたのだが、死にたかった訳ではない。

 稔流は、あの横暴おうぼうな教師を年度末ねんどまつたずに社会的に抹殺出来ればそれで良かった。


 郷里ごうさとは、すでに前任の学校でつみのない子供達を複数人虐待ぎゃくたいし、不登校におとしいれたことが発覚はっかくして懲戒処分ちょうかいしょぶんが下されている男だ。


 左遷させんされた天道村で、今度は喘息ぜんそくの子供を虐待ぎゃくたいしたとなれば、鳥海の権力で懲戒免職ちょうかいめんしょくに追い込める。


 二度と教鞭きょうべんれないように、き落としてやろうと思った。あの男にしいたげられる子供が、今後ひとりもいなくなるように。


(良くないぞ!)


(全然良くない!稔流は、自分ひとりが心をじ込めれば丸くおさまると思ったのか?)


「…そうだよ、さくら。大人を動かすのも社会を変えるのも、必ず『犠牲ぎせい』が必要だから。…俺がそうなればいいい、って…」


 しくじったが、稔流は自分が死んだことをいていなかったし、両親や祖父母、曾祖母、友人を置いてゆき、悲しませたのだろうと思っても、一瞬ちくりと胸が痛んだだけで、それ以上の感情はなかった。


 だれだって、何でもかんでも手に入れることは出来ない。何かを選ぶことは、他の可能性をてることと同じなのだから。


 そんな場面は、生きてゆくほどにきっと何度でも訪れる。

 そして、稔流は、何度でもさくらをえらび続ける。

 そう決めた。そう約束した。そうちかった。


「さくら!どこにいるの?さくら!」


 どうしたら、さくらと結婚出来るのか。

 稔流が知っている方法が、ひとつだけある。善郎よしろうとあやめがそうだったように、稔流が死ぬことだ。


(私のために死んでしい…と言ったら、どうする?)


(死ぬよ。さくらが幸せだって笑ってくれるのなら、いつでも)


 死んで欲しい。

 きっと、それはさくらの本心だった。

 

 稔流に、人間の体と命を捨てて、『人間ではない何か』になって欲しい。

 それはきっと、『存在しているが生きてはいない』というさくらに近いものなのだろう。


 でも、さくらは稔流の人間としての人生を、大切に思ってくれた。まだ死んではいけない。生きて欲しいと言った。


「…っ、さくら!俺はもう、さくらだけでいいんだ!」


 さくらは、どこにいるのだろう?

 目が覚めたとき、さくらがいなくてさびしかった。会いたかった。今もそ の気持ちは変わらない。


「さくら…!俺は、さくらがいないと寂しいんだ!会いたいんだ!!いつだって、さくらと一緒にいたいんだ!!」


 格好かっこわるい告白を、全力でさけぶ。

 一途いちずな想いのままに、白くけぶっているばかりで何も見えない、何も無い空間を走る。


 きっと会える。

 会えないなら、会えるまでさがす。あきらめやしない。


 稔流にとってこの世界で、どこの世界でも、えのない唯一ゆいいつ

 両親にとって《みのり》が永遠でもかまわない。稔流の永遠は、さくらなのだから。


「さくら、待ってて、むかえに行くから。必ず見つけてあげるから…!」



「……その必要は無いよ」


 稔流ははっとして振り返った。

 いつの間に、こんな近くにいたのだろう?


「稔流だけが、私をさがさなくてもいい。私も、稔流を捜すから」

 でも、さくらは泣きそうな顔で言った。


「私の所為せいだ…!私が、稔流の傍にいなかったから……むすびは知らせに来てくれたのに、私が間に合わなかったから…!!」


 悪夢あくむとらわれて、自分は稔流の傍にいる資格はないのだと、勝手に後ろめたくなって木造の学び舎にげた。

 心をざしてねむっている間に稔流を失った。座敷童の加護かごなんて、これっぽっちも役に立たなかった。


つみでもいい、稔流の傍にいればよかった…っ!」

「……いいんだよ。さくら、会いたかった。…会えてよかった」


 稔流は、さくらを抱きめた。ふと気付く。さくらはこんなに小さかっただろうかと。…ちがう。稔流が大きくなったのだ。


 もう、理由はさくらに聞かなくてもわかる。

 あせる必要はないのだと思いつつも、「大人になったら結婚して」と伝えたままに、稔流は無意識むいしきに大人になりたいとのぞみ続け、その強い望みが身体からだの成長という形になったのだと。


 きっと、さくらも同じなのだろう。

 さくらが急劇きゅうげきに成長したのは、稔流がプロポーズした瞬間しゅんかんだった。さくらも、早く花嫁になりたいと望んでいてくれた。そのあかしだったのだ。


「稔流…、しんじゃ、ダメだ」

「え…?」


 何を言っているのだろう?稔流は、もう死んだからこの不思議な世界にいるのではないのか?

「稔流は、まだ選べる。もう一度現世げんせに戻って生きてゆくか、…ここで、命を捨ててしまうか」


 なんて、せつない顔をするのだろう?どうして、さくらはうれしいと笑ってくれないのだろう?

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