第5話 鬼神

 止まらないせきじって、今日食べた物を全部き出した。食べ物が無くなると、胃液いえきいた。

 苦しみながら、稔流みのるはぼんやりと思った。


(あーあ。…きたないなあ…)


 子供は、汚物おぶつきらい、いたりくだしたりした子供をはやし立てたり、ばいきんわばりして仲間なかまはずれにする。


(せっかく、友達になれたのにな…)


 稔流が不登校にいたらなかったのは、大彦を始めクラスの男子とは大体仲良くなれたからだ。

 担任がいびっても、かばってくれたりなぐさめてくれたりする友達がいたからだ。


(失敗しちゃったなあ…。でも…もういいか…)


 稔流は、周囲に「死んでしまったらどうしよう」と思われるくらいの発作ほっさを起こすつもりだった。


 この村に来てから、発作はたったの一度だけだ。さくらに手を引かれて、重いランドセルを背負せおって無茶むちゃなスピードで走った時だ。

 喘息ぜんそくは精神の影響も受けやすい。幼い子供は親にしかられるとショックと不安でき込むことがある。


 あの時、稔流はさくらが不機嫌ふきげんになってしまった理由がよくわからず、今にして思えば不安でたまらず、自分が信じてもらえないことに傷付いてもいたのだろう。

 あれがなければ、村に来てから一度も発作を起こさずにんでいたはずだ。本当に、この村の空気がんでいて、症状しょうじょうんでしまったのかと思っていた。


(ごめん…稔流)

(私と生きていて……もう少しだけ)


 少しさびしげな、優しくて、かなしい声。

 さくらの声だ。いつ聞いた言葉なのだろう?

 どうして、さくらがあやまるのだろう?

 わからない。わからないけれども…


(ごめん…さくら)


 稔流は、つぶやいた。

 もう声は出ないから、心の中で。


(会いたかったって……会えたら言いたかったのに)


(本当は…さくらがいなくて、さびしかったんだ)


(さびしいから、そばにいてほしかったんだ)


(かっこわるくて、ごめん)


(一緒に、生きていけなくて…ごめん)


 父が、遠くから稔流の名前をさけんでいるような気がした。

 それも、もうぼんやりとして、何も聞こえなくなる。


(でも…)


(俺は、やっと、さくらをむかえに行けるのかな…)


善郎よしろうさんが、あやめさんを迎えに来たように)


(俺は、おとなになれなかったけど)


(それでも、俺の花嫁さんになってくれる?さくら――――)



 稔流の全身が、力を失った。

 もう、咳は止まっていた。


 もう、息をしていなかった。

 弱々しい心臓しんぞう鼓動こどうも、止まった。




 その様子を、大彦になぐり飛ばされた後、ようやく起き上がった郷里ごうさと茫然ぼうぜんと見ていた。

 こんな事になるとは思っていなかったと、頭の中は自己じこ弁護べんご現実逃避げんじつとうひの思考ばかりがめぐっていた。



「……殺したな」



 立ちくす郷里ごうさとの耳に、可憐かれんな少女の声が聞こえた。

 だが、その声はふるえていて、のろわしくひびいた。


 ゾクリとして、郷里ごうさとは声の方をり返った。すぐ後ろに、着物姿の少女が立っていた。

 真っ白な髪と人形のように整った面差おもざし。幻想的げんそうてきで愛らしい姿をしているのに、少女はそれを凌駕りょうがする怨念おんねんまとっていた。


「稔流を…、殺したな」

「…ち、ちがう……」


 郷里は、あえいだ。

 この少女は、一体何だ?


 本能で全身がふるえ上がり、郷里はげ出した。全速力で走った。何処どこに向って逃げているのか、自分でもわからなかった。

 とにかく、遠ざからなければ――――!


「ぐうっ!!」

 急に何かが首にき付いて、ギリリとめ付けられた。息が出来ず、剛里はその場でひざを折った。


「…ま、……」


 まさか、本当に死ぬとは思わなかったのだ。

 せきなど、風邪かぜを引けばだれでも出るものではないか。それがくせになっているからと言って、一体何だというのだ?


 体が弱ければ、きたえればいのだ。鍛えたからこそ、おのれの体は強く大きいのだ。

 喘息だの何だの、そんな事を理由にしてあまやかすから、弱いままなのだ。


 甘やかすから、弱いくせに生意気なまいきな口をき、生意気な目で大人を見る。

 だから、正当なばつを与えたのだ。

 なのに、弱いから勝手に死んだ。


「…うぐ、…う、ぅ……」

 だが、息がまって声にならなかった。

 首に巻き付いた何かに引きずられ、郷里は転びそうになりながら、校庭の中央にたたずむ少女に近付いた。


 少女は、真っ白だった。絹糸きぬいとのような髪も、まとう着物も。

 その少女は、真っ赤だった。おびの色も、草履ぞうり鼻緒はなおの色も。小さいくちびるも。――――目から流れ落ちる涙も。


 真っ赤な、血の色だった。


「稔流を…!私の稔流を、殺したな!?」


 血の涙を流す少女が、んだ。

くだ、もうよい。私がる!!」


 うぐ、と担任はうなって、どうと校庭の土の上にたおれた。

 少女の力とは思えぬ怪力かいりきが、大男の首をめ付る。白く細い手を引きがそうとしても全くかなわずに、酸素を求めてのどがヒュウヒュウと冬の風の様にる。


「わかるか!?これが、稔流が何回も何回も…もっと幼い頃から何回も、感じ続けていた苦しみだ!!」


 ゴウ、と音が鳴った。のどの音をき消す、本当の風だ。

 強い風が校庭の植木をらし、空はいつの間にか暗雲あんうんおおわれて、世界は日暮ひぐれ時のように暗くなった。


「どうして、お前が生きている!?稔流が死んだのに!!」


 おそれおののいた男の顔に、首をめ付ける少女の目から流れる血の涙がぼたぼたと落ち、男の顔を血の色にめる。

 暗い空に、カッと雷光らいこうが走った。すぐにドオンと落雷らくらいの音が聞こえて、児童じどう達の悲鳴ひめいが聞こえた。


 落雷したのは、校庭のすみの、…春に見たときには、桜の花が咲いていただろうか。

 雷に打たれた木はメラメラとほのおを上げながら衝撃しょうげきけた。


「…ころしてやる」


 放心ほうしんしたような、あどけない口調くちょうだった。

 だが、少女のひたいの上から血が流れ、メリメリと音を立ててけ始めた。

 あらわれたそれは、般若面はんにゃめんのようなおにつのだった。


「ころしてやる…」


 強い風に、少女の長い髪がおどった。…長くなったのだ。風にみだれる真っ白な髪は、暗雲の下でうごめく無数のへびのようだった。

 ぐぐ、とさらに締め付ける手は、やわらかく小さい少女のそれではなかった。

 骨張った大人の女の手だ。するどびたつめが食い込みさり、苦しみおびえるばかりの男の首からも血がしたたった。


嗚呼ああみにい。つみ無き子をころしたくせに、自分だけは生きたいと願う顔は。お前の血の色は、何故なぜこんなにもみにくく、腐肉ふにくのようににおうのか……」


 赤い鬼が、呪っていた。

 少女の小さく華奢きゃしゃな体は、骨張ほねばって大きくなり、着物も、般若の顔も、締め付ける腕も、全てが赤かった。


 ……こんなものが、いる訳がない。

深紅しんく鬼女きじょなど、昔話か怪談の世界の架空かくうの存在だ。

 現実に、こんな化け物がいるはずが――――


 バラバラと大粒おおつぶの雨がり出した。強風にあおられた雨粒が、横殴よこりにたたき付ける。


「私の稔流を殺した罪…、お前の魂にきざんでやる。お前に、死の安息あんそくなど許すものか!未来永劫みらいえいごう炎熱地獄えんねつじごく業火ごうかけ続けるがいい!!」


 男の視界に入る空の全てを、黄金のりゅうのような雷光が幾筋いくすじにもいた。

 目もくらむ光が、すさまじい轟音ごうおんを立てて校庭の中央をつらぬいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る