第4話 最後の犠牲者(二)

「おい…稔流みのる?」


 涼介りょうすけがコソッと声をかけてきた。

「大丈夫か?雄太ゆうたたのめばどうにかなるぞ。雄太は校長よりもえらいから」

「すごい権力けんりょく構造こうぞうだなあ…」


 稔流は少し遠い目になった。でも、

「…どうにかする」

しずかだが、稔流は言い切った。


「どうやって、…」

涼介りょうすけは言いかけたが、言えなかった。

稔流のきつね色のひとみが金色の光をびて、そのおくくらほのお宿やどっているように見えたから。


「いつも大彦君をたよる訳にはいかないから…、俺がやる」


――――追い出されるのは、俺じゃない。

でも、追い出すだけじゃ、意味がない――――


男子19名、女子16名。男子は5人ずつ走って最後は4人という4組。女子は4人ずつでり切れて同じく4組。タイムは2回はかって良い方を記録きろくするというルールだ。


 稔流はざっと計算した。1回目と2回目の間に稔流が休息きゅうそくを取れるのは、7組分だ。

 50メートル走はおそくても10秒台だから、休めるのは掛ける7で70秒、記録きろくその他でゆっくりめに進んでも90秒くらいでだろう。


結構けっこう短いな……どうしてやろうか」

 稔流は2組目なので、すぐ走ることになった。一斉いっせいにスタートしたのに、あっという間に他の4人の背中が遠ざかる。


「11.5秒?なまけるな稔流!」

 あんじょう怒声どせいぶ。


 ふざけてなどいない。今のが全速力だった。

 稔流はあまり走ったことがないのだし、以前はかったときには13秒台だったのだからめてほしいくらいだ。――――両親がこの場にいたなら、めてくれるし心から喜んでくれるだろう。


(もう、1ヶ月会ってないな……)


 両親が先にあやまるべきで、ゆるすかどうかも決める権利けんりは自分にあると思っている稔流と、稔流が親恋しさで会いに来るのをとうという両親の心は、ちがったままだ。


(稔流、すごいぞ!頑張がんばったな!)


 ふと、すずるような声が聞こえたような気がした。


(でも無理は駄目だめだぞ。2回目は走るな。もう息が切れているんだから――――)


 さくらなら、笑ってめてくれて、そしてめてくれるだろう。

 さくらは、稔流をとても大切に思ってくれているから。

 幼い日の稔流を苦しめた河童と狐にはげしくいきどおり、業火ごうかやしくそうとしたほどに。


「稔流君」


 走って近付いて声をかけてきたのは、波多々はたた狭依さよりだった。久しぶりのことだった。

 登校とうこう2日目に、稔流はスクールバスでとなりせきすわるのはけたいと伝えた。根も葉もない『うわさ』が立っているから、転校生だからと特別あつかいしないでほしい、学校のことなら大彦が教えてくれるから大丈夫だよ、と。


 狭依さよりは、2人の間に縁談えんだんが進んでいるといううわさもしくは事実をすでに知っているようだったが、面と向かって距離きょりきたいとはっきり言われたことにはショックを受けた様子だった。


(うん…ごめんね。噂なんて気にしないようにすればいいって思っていたけど、稔流君がイヤなら無理に一緒に座らなくていいよ)


 きっと、本当は傷付きずついたのに、狭依さよりは笑った。


(でも、友達でいてね。他の友達と同じようにするから)


 それで普通ふつうのクラスメイトになったと稔流はホッとしたのだが、その日から明らかにふたりの間には見えないかべが出来た。

 狭依は稔流を嫌いになったわけではなさそうなのに、明らかに話しかけるのを遠慮えんりょしているし、それは稔流も同じだった。


 結局けっきょく、『普通ふつうのクラスメイト』というのは、特に問題は無いけれども特に親しくもない、話をするのは必要ひつような時だけ、…なのだと気付かされた。


「稔流君…苦しそうだよ?もう休んで、1回目のタイムで記録してもらった方がいいよ」

「…どうやって?」


 稔流は、ととのわない息のまま――――笑った。

 その瞳に、金色の光とくらほのお宿やどして。


先生あいつは、俺を生かさず殺さずいじたおしたいんだよ。何を言っても聞きやしない」

 狭依は、立ちくした。これ以上、言葉が出てこなかった。


 ――――稔流君じゃ、ない…?


「でも、には証人になってね、狭依さん」


 ……ううん、これが稔流君だ。本当の――――


 稔流の息が完全に整う前に、2回目がやって来た。

「稔流!ボケッとしてないで位置に付け!」

「…………」

 好きに言えばいい。


 ――――だって、もう、から。


 スタートから、稔流は少しの手抜きもなく、全力で走った。

 苦しい。ヒュウ、ヒュウ、とのど悲鳴ひめいを上げても最後まで走り切った。


「今度は12秒か?本当にのろまだな」

 その侮蔑ぶべつの声と、発作ほっさは同時に来た。


 稔流は、はげしく咳きんでひざを付いた。コン、コン、コン、ときつねの声のようなせきが止まらない。

 呼気こきばかりで、なかなか息がえない。


(苦しい。苦しい、苦しい――――)


 ヒュウ、とやっと息を吸った。でもすぐにせき連続れんぞくになり、稔流は酸素さんそもとめてもがいて、ドサリと地面に倒れ込んだ。


「この野郎やろう!!」

 大彦の怒声どせいと共に、何か重いものがたおれた音にズザザっとすなの上をったような音が重なった。


「おい!だれかなっちゃん先生んでこい!!」

 大彦はさけぶと、自分は校舎近くの植木へと走った。かくしていたスマホで電話をかけると怒鳴どなった。


ゆたか先生呼べ!急患きゅうかんだ!!すぐに小学校の校庭に来い!!…はあ?診察中しんさつちゅう?知るか!自分の息子が死んでもいいのかって言ってこい!!」


 天道村は救急車をんでも来るのに時間がかかる。来てくれても、れてくれる病院が見付からなければ、長時間待機たいきすることになる。

 その待機時間に患者かんじゃいきえてしまうことは、これまで何度も有った。


「稔流!お前の父ちゃんを呼んだ!!来るまで頑張れ!!」


 稔流の耳に、大彦の声は聞こえたけれども、苦しみのあまりになみだつたわせながら咳き込むばかりで、返事をすることは出来なかった。

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