第3話 最後の犠牲者(一)

 ふと、稔流みのるは目を覚ました。まだ目覚まし時計は鳴っていないのに。


「さくら…?」


 すぐに、気付いてしまう。自分のとなりに、さくらのぬくもりが無いことに。


 稔流が学校に行き始めてからだ。こうして、さくらが時折ときおり夜中のうちにいなくなってしまうのは。

 夏休みの間も稔流が気が付かないうちに姿すがたを消していることはよくあることだったけれども、稔流がねむりについてまた朝に目覚めるまでは、ずっとそばにいてくれたのに。


旧校舎きゅうこうしゃって、楽しいのかなあ…」


 現在使用されていないが、歴史的に価値ある建造物けんぞうぶつとして残されている木造の旧校舎は、さくらのお気に入りでちょくちょく出掛でかけているらしい。

 実際じっさい、さくらが朝にいない日は大抵たいてい昼間の学校に姿すがたあらわすので、それは稔流もうれしい。


――――でも、さびしいよ。さくら……


 引っ越してくる前は、自室じしつひとりでるなんて当たり前の事だったのに。

 どうして、成長した今の方が、独りで寝るのも独りで起きるのも、さびしいなんて思ってしまうのだろう?


「…言ったら、笑われるかな」

 格好悪かっこわるい。幼稚園の子供みたいだ。

 でも、苦しくなる。意地いじって自分の心をだますのは。


「だから…俺って、うそ下手へたくそなんだよな…」


 頑張がんばっても頑張っても、下手くそなままだときらいになる。

 学校の、体育みたいに。


「…あ」

 稔流は思いいたって、ごろんとうつせになった。


「今日…体育じゃん……運動会の練習じゃん」

 もし、喘息ぜんそくでなかったならば、少しくらい下手でも、体を思い切り動かすことを楽しいと思えたのだろうか。



「稔流ちゃん」

 稔流がランドセルを背負せおうと、曾祖母そうそぼが言った。


「台風が近付ちかづいてくるみたいだから、無理をしないようにね」

「うん、気を付けるよ。行ってきます」


 体育は気が進まない。でも、学校に行けばさくらに会えるかも知れない。

 一つ屋根の下に住んでいるのに、こんなに寂しくなるなんて、おかしなことなのかもしれないけれども。


 でも、会えたら、伝えたい。


(会いたかったよ、さくら)


 会いたい。こんなにも。



 気が進まなかった体育の授業の時間になった。

 生徒用の玄関げんかんから外に出れば、まだ風はさほど強くないが生温なまぬるく、台風が海の湿しめった空気をはこんで来ているのがわかる。


「運動会の練習って、何やるんだろうなー」

雄太ゆうたは足速いから何でもいいじゃん」

「運動会の行進とかフォークダンスとかダルい」


 友達と一緒に歩きながら、稔流も話に加わった。

「俺は行進とフォークダンスでもいい。走らないなら何でも」

「体育で走らないで何すんだよ。…って喘息ぜんそくか、悪い」

「別にいいよ。今年のシャトルランは20回でやめるって決めてたし」

「堂々と言うといっそ清々すがすがしいな」


 別に清々しくないし不自由でしかないのだが、見学しているとサボっている、なまけているとクラスメイトから言われるので、一応参加するてい途中とちゅうで時間制限せいげんに引っかかるようにして、宇賀田うがたは足おそいよな~チビだし、というとしどころで自分の体を守ってきたのだ。


「うちの村ではサボりとか言う不敬ふけいやついないだろ。稔流は神懸かみがかるから」

「不敬って何…?神懸からないから。降臨こうりんもしないから」

 いっそ本当に神懸かみがかってくれた方が助かるかもしれない。でも、


「先生はそういうの、意地いじでも信じないタイプじゃないかなあ…」

「ゴリって、胆試きもだめしでイキって先頭せんとう歩きたがるタイプだよな。でも仲間なかまいてさきげるやつ

「あいつ、おぼれたまんまプールのそこにへばり付いてた方が世界平和に貢献こうけん出来たんじゃね?」


 稔流はぎくっとした。あれは、担任たんにんの八つ当たりと非常識ひじょうしきが悪いだが、おぼれたのは『稔流をいじめたわるいおとな』と河童かっぱ盛大せいだいに遊んだからだ。

 正直助かったけれども、かわいた校庭こうていに河童は遊びに来ない。頭のさらかわいてしまう。


整列せいれつ!」

 というわけで、みな格好かっこうだけはビシッと立った。特に男女共に小柄こがらな子は背を高く見せたいので、担任が大嫌いでも一層いっそうビシッと背筋せすじばす。


 結果けっか、稔流は本当に人生で初めて先頭せんとうまぬがれた。本当に、120cmが135cmになっていたらしい。


 でも、ちょうど真ん中の位置だ。ひょっとしたら、また少しびたのかもしれない…いつの間に?

 急劇きゅうげきびた身長について、さくらに聞けば理由がわかるのではないかと思ってはいたのだが、結局けっきょく聞けないままでいる。


「今日は50メートル走のタイムをはかるからな!」

……最悪なのが来た。稔流の心拍数しんぱくすうが上がる。


 曾祖母が「台風が近付いているから気を付けて」と言ったのは、喘息ぜんそく低気圧ていきあつと相性が悪いからだ。

 台風のど真ん中にいる時よりも『近付いて来る』時の方がまずい。救急車きゅうきゅうしゃはこばれた時も、そのタイミングですで風邪かぜを引いていて、せきをしていた時だった。


「…先生」


 どうせ却下きゃっかされる、と思ったけれども、稔流は手をげた。

「何だ?」

「見学させて下さい。台風が近付いている時には走れません」

「何だ?それは」


 あんじょう、担任はいらついた口調くちょうで言った。

「雨もっていないのに馬鹿ばかを言うな」

「雨は関係ありません。気圧きあつが下がってくるからです。僕はそれで救急車ではこばれたことがあります」

「そんな話は聞いたことがないぞ!どうせ足がおそいんだろう。うそいてないで走れ!」


 稔流はだまった。


 ――――本当に、一度たおれてやろうか。


 犠牲ぎせいが出れば世間せけんも動く。

 逆に言えば『犠牲ぎせいが出なければ無視むしされる』ということだ。


 「あいつ…社会的にほうむった方が、世界平和に貢献こうけん出来るよね」


 稔流はぽつりと呟き、その瞳がくらい光を帯びた。

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