第2話 座敷童の夢(二)

どうして……どうして。

どうして、私の名前を取り上げてしまうの?


母様かかさま、『つばき』はここにいるよ。


きづいて、きづいて、きづいて、母様。


どうして、どうして、どうして……!


イヤだ、イヤだ。こんなの、イヤだ。


その赤ん坊は、私じゃないのに。『ほんとうのつばき』じゃないのに。


どうして、母様、母様、母様――――――!




「…か…さま……」


 暗闇くらやみの中で『さくら』は目を開けた。かすれたつぶやきは、寝言ねごとだった。


稔流みのる…」


 たたみの上にころがっていたさくらのとなり布団ふとんで、稔流がすぅすぅと安らかな寝息ねいきを立てていた。


「どうして…村にもどってきた?私は、あの後村を出るお前達を、天神様の細道を通して帰してやったのに」


 稔流はまだ知らないようだが、昔からこの村に伝わる言い伝えだ。

 この村がじられているのは、天神様の神域としての加護があるから。守られていた村人達は、天神様のお許しなく勝手に去ることは出来ない。


 田舎いなかなんてイヤだと出て行っても、《天神様の細道》という人間の目には見えない神の道を通れなかった者は、いずれまたこの村にもどってくることになる。


 この村の若者は、大抵たいていは高校進学で村を出て行き、その多くは村の外で就職しゅうしょくする。

 農業の苦労は知っているのであまりぎたくないし、天道村てんどうむらというざされた世界よりも、もっと広い世界に心かれ、色々なものを見聞きして体験したいという気持ちになるからだ。


 だが、再びこの村に戻ってくる者は案外あんがい多い。これは、過疎かそ問題が深刻しんこくな田舎の地方ちほう自治体じちたいには見られない現象だ。


 長い間、様々なルーツを持つ者たちが辿たどり付き、その子孫がらしてきた天道村てんどうむらは、歴史の敗者達の『かくざと』だった。


 たまに《そと》から客人まれびとが良い物をもたらすこともあるが、客人まれびと感染かんせんする病を持ち込むこともあり、ここがかくざとであるという秘密ひみつを持ち出す危険きけんもある。


 隠れてらすためには自給自足の生活が不可欠ふかけつで、天道村は今でも|ほぼ食料しょくりょうの自給自足が可能かのうだ。

 一度は村を出て行った若者も、家賃やちんが無料の実家があれば、《外》で予想外よそうがいの苦労をしたり馴染なじめなくてつらいと思ったりしても、気軽に帰ることが出来る。


 だから戻ってくるのだろうと、冷静れいせいに考える者もいるが、『神様のおゆるしが無い者は村を出て行くことは出来ない』という昔からの言い伝えはいまだ根強ねづよい。


 逆に、天神様の細道を通って村から出ることが出来た者は、自由の身となると言われている。そのような者は、帰省きせいで帰ってくることはあっても、この村に再び住むことはないのだと。


 そして、さくらはその言い伝えが本当であることを知っていた。


 稔流の父・ゆたかは高校進学で村を出て、学を積み都会で意志にまでなったのに、天神様の細道を通れなかったから村にもどるように運命の輪が回ったのだ。


 母の真苗まなえの祖父もそうだ。祖父自身が戻れなかったので、その孫娘の真苗の代で再び村へ引き戻された。


 むしろ、豊とめぐり会い結婚したのはとさえ言える。

 ――――まるで、のろいのように。


 そんな事など知るはずもない愛し合う夫婦の間に、稔流は《選ばれた狐の子》として、生まれるべくして生まれて来たのだ。


 でも、さくらはそののろわれた運命から、稔流を自由にしてやりたかった。

 いくらむしてても自分の髪から決してはなれてくれない、血のように赤い椿つばきの花にのろわれているような自分と、同じにはしたくなかった。


 神隠しの時に、さくらは稔流と強くかれ合ってしまったからこそ、稔流とその両親を《天神様の細道》を通して《外》に送り出した。

 稔流の約束と真心を信じていたけれども、人ならざる者である自分と深く関わるのは稔流の幸福にはならないと、胸が張り裂ける思いで運命の糸を断ち切った。…はずだった。


「私は…そのようにはからったのに。どうして、戻って来てしまった…?」


 さくらは手を伸ばして、稔流の髪にれようとして、…手を引いた。


「どうして、…どうして、私を思い出してしまった…?」


 思い出してもらえて、うれしかった。

 とても、嬉しかったのに。


(ぜったい、さくらをむかえにいく!)

(さくらを、ぼくのはなよめさんにする!)


 神隠しの後、さくらが稔流と両親を天神様の細道を通して帰したのには、もうひとつ理由りゆうがあった。

 ――――言いわけが、必要ひつようだったから。


 子供の頃に座敷童の姿すがたが見えた者でも、大人になるにつれ見えなくなってしまうことが多い。

 さくらの存在を、さくらとの約束を、いつか稔流が忘れてしまっても、自分がしたことだと思えるように。


 ――――きず付かずに、むように。


「稔流…。人間は、人間とむすばれるものだよ。座敷童は……」


 だれとも、結ばれない――――


 こどもだから結ばれない。成長して成人することが出来ても、それはもう座敷童ではなくなり、消えてしまう。

 そうでなければ、見知らぬ《何処どこか遠く》に去らなければならない。


(どうして、どうして、母様かかさま――――!)


 忘れたころに見る程度ていどの夢だったのに、その回数がえたのは5歳だった稔と結婚の約束をわしてからだ。再会してからはさらに増えた。


 稔流は、さくらをえらんではいけない。

 さくらも、稔流をのぞんではいけない。


 ふたりがどんなにかれ合おうとも、その事を思い知らせるかのように、悪夢あくむが現実をき付ける。


「ごめん…稔流。私と生きていて……もう少しだけ」


 あそこに行こう…と、さくらは思った。

 小学校の、木造もくぞう旧校舎きゅうこうしゃ


 かつて、さくらが人間の子供達のあそびにじる生活を、座敷童として心から楽しんでいた場所へ。

 名前は無くても、名前が無かったからこそ、自分が何ものでなくてもかまわなかった、毎日笑っていた、もうだれもいない遊び場へ。

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