第12話 可愛い

 児童じどう達が面白おもしろがってわいわいさわぐ声にじって、河童かっぱ達がはしゃいでいる声がした。


「おとな!おとな!」

「こどもじゃない、おとな!」

稔流みのるをいじめたおとな!」

「わるいおとな!」

「わるいの、ひっぱれ!」

「わるいの、しずめろ!」


「おい稔流。今のうちにげんぞ」

 大彦おおひこの声とともに、稔流のバスタオルがもふっとんで来た。


「えっ…あれっていいの?」

「ゴリ?ほっとけ。あいつ簡単かんたんに死ななそうな顔してるじゃん」


 大彦がずんずん出口に向って歩いてゆくので、稔流は本当にいいんだろうか…と思いつつも、実際じっさいこれ以上体をやすのは良くないので大彦をいかけた。


「心配するな。おひとしめ」

 いつの間にか、稔流の後ろに来ていたさくらが言った。


「あの男は死なんよ。あいつにここで死なれると、この学校の子供がプールをこわがってしまうからな。そのくらい河童もわかっているよ。チッ、ここがぬまならそこまでしずめてやるのに…」


 さくらの心底しんそこ残念ざんねんそうな舌打したうちと、のろいそうな口調くちょうこわい。


「ああ、しずめるのは私じゃないぞ。河童にたのむ。私はおよげないから」

 泳げないからっていたのか……


 さくらは男子更衣室こういしつにいては駄目だめなことは知っているようで、そのまま先に行ってしまった。

保健室ほけんしつはやめとこ。ゴリがに来たら最悪だし。家に帰ってあったかくしてる方がいいって」

 大彦は、荷物にもつからスマホを取り出した。


「あー、なっちゃん先生?稔流が具合ぐあい悪くってさ、ゴリに何か聞かれたら、メチャメチャんでヤバいから帰らせたとか言っといて」


 大彦は通話つうわを切ると、またべつの所に電話でんわけた。

雄太ゆうたぼっちゃん言うな。|大彦様だよ。学校の正門前まで車よこして。友達が具合ぐあい悪いんだわ。宇賀田うがたの本家までな。そーそー、神懸かみがかるから丁重ていちょうにしろよ」


 大彦は通話を切って、スマホはまた荷物にほうんだ。

「……この学校って、スマホ持ってきていいの?」

必需品ひつじゅひんだろ。うちの村ってわり電波でんぱがいいんだぜ。俺のじいちゃんと父ちゃんが何かしたらしくてさ」

「何かって…、いや、いいよ…」


 スマホは稔流も持っているが、それはじゅくに行く時に連絡れんらくがつく方がいいからと買ってもらったものだ。この村なら、小学校高学年でも所持率しょじりつは一割にもたない気がするのだが。


「さっき言ってた、神懸かみがかるって何?」

「あれ?本人知らなかったのか。稔流が転校してきた時さ、たくっかかって玉砕ぎょくさいしたじゃん?そん時の稔流に、神様が降臨こうりんしてきてこわかったとかだれかが言ったらしくてさ、宇賀田うがたきつねの子は神懸かみがかりするってそのへんのじーちゃんばーちゃんが田んぼで噂話うわさばなししてるぜ。年寄としよりは降臨こうりんってピンとこないみたいでさ、神懸かみがかりっていう方が分かりやすいんだろ」

「分からなくていいよ……」


 うわさは広がるものだ。びれとびれまで付く上に最長七十五日しちじゅうごにちも続く。勘弁かんべんしてほしい。


 大彦が教室からランドセルその他を持って来てくれて、校門前には黒光りする大きな車が待機たいきしていた。小学生ひとり送って行くには高級感こうきゅうかん威圧感いあつかんがありすぎると思うのだが。


「鳥海さんって、ベンツ好きなの?」

「じいちゃんが免許めんきょ取る時に、死にたくなかったら日本車よりベンツ乗っとけって自動車学校の教官きょうかんに言われたんだってさ。本当かどうか知らねーけど」


 という訳で、稔流は鳥海とみ家の立派りっぱなベンツに乗って帰ることになった。

 勿論もちろんとなりせきにはちょこんとさくらがすわっている。


 浮き輪はちゃんと空気をいてたたんであって、服装ふくそうは白いワンピースの水着のままだが、どうやったのかすでかわいているようだ。

 いつやり方をおぼえたのか、お行儀ぎょうぎ良くシートベルトもしている。運転手さんがミラーを見て不審ふしんに思わないか心配だ。


(…着物は家にいてきたの?)

今は、ポケットの中に椿つばきの花びらが入った巾着袋きんちゃくぶくろがあるので、心の声で会話が出来る。口パクは、もうけたい。


「置いてきた。学校に行ってから着替きがえるのは面倒めんどうだ」

家から水着で来たのか…プールの日に服の下に水着を仕込しこんでくる小学生みたいな思考しこう回路かいろだ。


「稔流がこの格好かっこうを気に入ったようだから、しばらくこれでごしてやってもいいぞ」

(ええ!?それはダメだよ!)

何故なぜだ?稔流が私を『可愛かわいい』と言ったのは初めてだが、うそだったのか?」


 初めてだという事に、さくらは気付いていた。言われたことがないと気にしていたのだろうか?

 じろりとにらまれたが、ほのかにほおまっているのが、……可愛い。


 そして、間近まぢかで見ると、水着なのだから当たり前にはだ露出ろしゅつが多くて、見たいような、見てはいけないような、とにかく心臓しんぞうかない。


(水着は、普段着ふだんぎじゃないから…)

うそは苦手だが、今からつたえる気持ちは、本当だ。


(…また、夏が来たら、着てくれる?)

「うん。稔流がそう言うなら、また着るよ」

となりで、さくらが笑った。まぶしくて、小さなおひさまみたいだと思った。


「これ、邪魔じゃまだ」

さくらが、シートベルトをはずした。しゅるっと動いたシートベルトとその音に、運転手さんは気が付かないのだろうか?気付かないでほしい。説明せつめいこまる。


「えいっ!」

可愛かわいけ声と共に、さくらが稔流にび付いた。


「わあああ!!」


 やわらかい。とにかくやわらかい。はだがすべすべする。すべすべでこまる。


「どうしましたか?稔流ぼっちゃん」

「えぇと…」

 稔流は言った。


「坊ちゃんじゃなくて…ただの稔流でいいです……」

「それはむずかしいですね。本家の方のお名前をてとは、おそれ多いことです」

 おそれ多いって何…?神様でも降臨こうりんするのだろうか……


「稔流。私は可愛いのか?」

 稔流は、走る車のタイヤの音できっとさくらにしか聞こえないだろうと思いながら、小さな声で返事をした。


「さくらは…綺麗きれいで、可愛いよ」


せきが出るよりも、ねつが上がりそうな気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る