第9話 すねる座敷童(二)

稔流みのる君」


 二人けの椅子いすに座った狭依さよりが、つみい笑顔でぽんぽんと椅子をたたいた。

「スクールバスって、だれがどこにすわるか何となく決まってるの。私のとなりいてるから座っていいよ」

「…………」


 善意ぜんいかたまりだ。ことわりづらい。断ったりしたら、このバスに乗っている全員から白い目で見られるんじゃないか。


 仕方しかたく、稔流は狭依のとなりに座った。

 さくらはさくらで、稔流の片膝かたひざっかって通路つうろがわを向いてすわっている。

  稔流に見えるのは小さな背中せなか椿の花が揺れる白い髪が頬にかかる様子だけで、顔は見えないが不機嫌ふきげんな顔をしているに違いない。


 もし、さくらが普通の女子の格好かっこうをして可視化かしかすれば、美少女ふたりにヤンキーみたいな髪色かみいろの男子がはさまれている、という小学生のなぞ修羅場しゅらばに見えるかもしれない。


 稔流は、バス停に到着とうちゃくするまで無言をつらぬきたかったが、大彦が言っていた通りに世話好せわずきな狭依は、積極的せっきょくてき話題わだいってくる。

 内容はクラスメイトの話や学校行事の話だったので、親切に教えてくれているのだろう。


 でも、担任の名字が郷里ごうさとなのだが字面じづらと見かけでゴリとばれているとか、勝手に大彦が笑いながら言ってくれそうだし、特に狭依でなければいけない話題でもない。

 稔流は、何も返事をしないのはまずいと思って、適当てきとう相槌あいづちを打って聞いているだけだ。


 それだけだ。ただそれだけだ。

 それ以外の何ものでもないので、さくらはこれ以上怒らないでほしい。


 稔流がバスさっさ進め制限速度せいげんそくどは10キロオーバーくらいなら警察は見逃みのがしてくれるんだからといのっていると、やっとバス停に着いた。


(さくら!)


 稔流は、心の声でさけぶと、さくらの手を引いて出口までダッシュしたが、背後はいごから幼稚園の先生みたいな狭依の声がした。


「稔君、バスの中で走っちゃ危ないよ?」

「……はい」


 えず、バスからりることが出来た、が。

 今までの人生で、これほど気まずくこれほど緊迫感きんぱくかんあふれる場面があっただろうか?いやない反語はんご。(中学か高校の古文の参考書をパラ見した時にあった気がする)


 バス停はちょうど波多々はたた家の前で、元々狭依やその兄姉のためにあったのだろう。稔流は少し引き返さなければいけない。


「…わ!?」

 稔流の手を引っ張って、さくらが走り出した。知ってはいるが素晴すばらしい俊足しゅんそくだ。


「また明日ね~!」という狭依の声があっという間に遠ざかる。

「さくら!速い!ころぶ!ころぶってば!!」


 本当に転ぶ、と思ったが、限界げんかいは別の所に来た。ヒュウ、とのどおくる。

 喘息ぜんそく発作ほっさ前兆ぜんちょうだ。


「…っ、稔流!」

「さくら…」


やっと、声で呼べる。

「やっと、俺を…見てくれた…」


 稔流は、かすれた声で言うと、ひざってかがんだ。

 吸入薬きゅうにゅうやくはランドセルの中に入っている。


 体育の時間ならポケットの中に入れておくのに、んで息が苦しくて、体がうまく動かない。

 やっとランドセルのベルトからうでいたけれども、ランドセルはごろんと転がって遠ざかり、錠前じょうまえに手がとどかない。


「稔流、これをめ!」


 さくらがたもとから取り出したのは、あわい光をびた丸い飴玉あめだまのようなものだった。

 稔流がふるえる手で受け取る前に、さくらの指が稔流のくちびるれて、ころんと口の中に入れた。

それは、すぐにとろりと口の中でけると、あたたかな甘みが口の中に広がった。


(これを飲め。らくになる。頑張がんばれ)


 脳裏のうりに、なつかしい声を聞いた。おさなかったころ、安心させようとしてくれた、やさしくはげましてくれた声。

……そうだ、神隠しにった時の……


「稔流!飲み込め!頑張れ!」


 でも、今聞こえる声は必死ひっしで、泣きそうな声だった。

 こくん、と稔流はどうにか飲み込んだ。口の中からのどを通りうるおして、そのまま体全部があたたかくなる。


 まだ残暑ざんしょの季節なのに、ただ稔流の体をいたわるようにあたたかくて、あついとは感じなかった。

 こほ、こほ、とせきしずかになってゆき、すぅっと体がらくになった。もう呼吸こきゅうをしてもヒュウヒュウという音はしない。


「稔流…ごめん。私の所為せいだ…」

 稔流は、ふと気が付いた。呼吸がととのうまで、ずっとさくらにめられていたということに。


「……っ!!」

 稔流は、ぐいっとさくらのかたを押して体を放した。

 今のは、近すぎた。というか距離きょりがゼロだった。


「怒ってるのか?」

さくらが、本当に泣きそうな顔をしていた。

「ちっ、ちがうよ!全然!!」

 稔流は、多分だこかトマトかスイカになっているのに、さくらは気付いていないらしい。


「そうじゃなくて…」

うそは、苦手だ。


れた…だけだよ」


 稔流は、格好悪かっこわるいと思いながら白状はくじょうした。

 それでも、さくらを泣かせるよりもずっといい。さくらが笑顔になってくれるのなら、からかわれて笑われてもいい。

 さくらは、不思議そうな顔をした。


「今までも、私は稔流に結構けっこうくっついていたぞ?」

「今までも、俺は結構れてたんだけど……」

 ああ、格好悪い。でも、照れてしまっても、さくらが自分を見てくれるだけで、嬉しかった。


「そうなのか?」

「そうだよ……トマトとスイカの次は何言われるんだろうって思ってたよ」

「そう言えばそうだな」

 さくらは納得なっとくしたようだった。


「リンゴのしゅんにはちょっとかかるな」

「そのあたり来そうだと思ってたんだよ!」

「……あははっ」


 さくらは、笑った。

「秋が楽しみだ」

「……そうだね」


さくらが、笑ってくれるなら、それでいい。

稔流は立ち上がって、自分のひざとランドセルに付いたすなや土をパンパンとはらうと、さくらに笑いかけた。


「帰ろう」

「うん」

 どちらともなく、手をつないだ。


 一緒に帰ろう。一つ屋根の下へ。

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