第13話 譲れない想い

「本当は、あやめが死んでしまっても、善郎は血筋は良いからいくつも縁談はあったんだよ。でも、善郎は誰もめとらずに、子孫を残すという跡取りの一番の役目を放棄した。放棄したくせに長く生きるだけ生きたから、時経ときふるごとに波多々はたたの家ではお荷物になって、ろくに医者にもかからなかった。……ゆたか看取みとってくれて、よかった」

「…………」

何故なぜ泣く?もう終わった話だ。あやめと善郎はむくわれた。ふたりとも《約束》を守った。《誓い》を果たした。今時の言葉では、ハッピーエンドというのではないか?」


 八十年の時をて、やっと辿たどり付いたハッピーエンド。まだ十年しか生きていない稔流みのるには、てしなく長い物語。


「……善郎さんが、軍服ぐんぷくを着た若い姿だったのは、あやめさんとの約束を守る為だったんだね」


(あやめ、俺は必ず生きて帰る。だから待っていて欲しい)

(はい、善郎兄様。待っています。私は、いつまでも待っています――――)


「稔流」

 さくらが、やっと稔流の方に向き直って、その黒い瞳に稔の姿をうつした。



「私のために死んで欲しい…と言ったら、どうする?」



 さあっと、風が吹き抜けた。

 日差しはまだ強いのに、どこか秋のにおいがするような気がした。


「死ぬよ。さくらが幸せだって笑ってくれるのなら、いつでも」


 真っ白な睫毛まつげ縁取ふちどられた黒い瞳が、おどろきの色を宿して見開かれ、でもさくらはすぐに苦笑した。


「ちょっとはまよえ。両親が悲しむぞ」

まよわないよ」


 両親よりも先に稔流が死んだなら、きっと悲しみ泣くのだろう。

 死産だった娘の名のとなりに、産声うぶごえを上げて生まれて来た息子の名前がきざまれた墓石を見るたびに、何年っても悲しみはよみがえるのだろう。


 稔流は、どうして自分だけ生まれてきてしまったのだろうと、みのりの分の命までうばって生まれて来たのではないかと、何度も思った。

 死んだみのりは両親にとって永遠の存在となり、生きている自分よりもずっと大切なのではないかとさえ思った。


 でも、今は違う。


「誰を悲しませても、泣かせても、俺は、さくらと一緒にいたい」


 ひとつひとつ、言葉をみしめて、稔流は言った。


「俺は、さくらが思うほど優しくないんだ。俺は、ままだから」


 さくらをぐに見つめながら言い切って、稔流は実感した。

 ゆずれないものがあること、自分の人生を誰かのせいにせず、ままに生きて死んでゆける自分であること。

 そのことに気付いただけで、こんなにも自分は幸福なのだと知った。


「……女を泣かせるな」

「ごめん。俺は優しくないから。でも、さくらにだけは優しくしたいって思ってるよ」

「知ってる。ばか」

「ばかでもいいよ」


 さくらと再会してたったの三日。

 その間に、稔流は長い時間と道程みちのりを、一気にけたような気がした。


「泣いてもいいよ。つらい気持ちじゃないのなら。でもつらいのなら、さくらの心を俺に聞かせて」


 そっと、抱き締めた。

 ほのかに、花のにおいがする。桜の花の香りはとてもあわいので、香らないと思う人も多い。でも、もしそのあわい香りをいっぱいに集めたならば、こんな甘いにおいがするのだろうか。


「…稔流」

「何?」

「まだ、死ぬな。…まだ、ってはいけない」

「うん、じゃあ死なないよ」

「…もっと、私と一緒に生きて」


 さくらは、涙にれた瞳で、でも桜の花のつぼみがほころぶように笑った。

「私は、これから成長していく稔流を、そばで見てみたいから」

「うん…楽しみにしてて」


「…稔流は、白無垢しろむくの白と、振袖ふりそでの黒の意味を知っているか?」

 稔流はくびを振った。普通の十歳はまず知らないと思う。


「白は、何色にでもまる、という意味だ。とつぐ男やその家の色に。逆に、黒は何色にもまらない。夫に一途いちずくし、決して違う色にまることはしない」

「……だから、あやめさんの花嫁衣装は、黒地の振袖だったんだね」


 もう、あやめは何色にも染まる必要はなかったのだから。人間として生きていた幼い頃から、善郎の色に染まっていたのだから。


「さくらは、白と黒と、どっちがいい?」

「私はどちらでもよい。稔流が綺麗きれいだと言ってくれる方にする」


 稔流は困った。神聖で初々しい白も、強く一途な黒も、どちらも…


「どちらも似合うし綺麗だ、などと優柔不断ゆうじゅうふだんな事を言うなよ」

「……………………」


 早く、大人になりたい。

 でも、急がなくていい。


 少しずつ成長してゆく、少しずつ大人に近付いてゆくその道程みちのりを、ふたり手をつないで歩いて行けるのなら。

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