第11話 許婚たち(二)

 しゃらん、しゃらん、しゃらん……

 しゃらん、しゃらん、しゃららん…


 すずの音が近付いて来た。木立こだちの向こうから、静かな、でもたくさんの人の足音が近付いて来る。

 遠い遠い何処どこかへ、花嫁と花婿を連れて旅立って行く行列だ。


 ゆっくりと進んでゆく行列の人々が、皆白い狐の面をつけていたのも幼い日の記憶と同じだった。

 朝の光に雨が混じる不思議な世界は、この幻想的な花嫁行列のために存在しているような気がした。


 しゃらん、しゃらん、しゃらん……

 しゃらん、しゃらん、しゃららん…


 ふと、稔流みのるは気付いた。

 以前見た時には、白無垢しろむく綿帽子わたぼうしの花嫁のとなりには、紋付袴もんつきはかまの花婿がっていたのに。


「どうして…?」


 大きなかさの下にいるのは、花嫁ひとり――――あやめだけだ。

 あの日とは違って、花嫁は黒地の振袖ふりそでまとい、金銀を基調にした華やかな帯をめていた。髪型は角隠つのかくしなので、しとやかな表情のあやめの姿はよく見えるのに。


 座敷童ではなくなったあやめは、ひとりでどこに行くのだろう?誰にとついでいくのだろう?


「大丈夫だよ」

 さくらがささやいて、まぶしげな表情で行列の先を見た。


花婿はなむこなら、もう待ってる」


 花嫁行列が、ぴたりと足を止めた。その少し先には、軍服を着た若い青年が立っていた。多分、第二次世界大戦の頃の軍服だ。


(待たせて悪かった)


軍服の青年は、微笑ほほえんだ。


(とても綺麗だよ。…あやめ)


 花嫁の瞳がうるみ、行列から飛び出して、走り出した。

 走ると行っても、花嫁衣装では足さばきもちょこちょことしか進めない。

 それでも花嫁は花婿の居る先へ懸命けんめいに走り、軍服の花婿もまた花嫁にけ寄り、その腕に抱き締めた。


(ごめんなさい、善郎よしろう兄様。私…約束を、守れなかった)

(違うよ。俺の帰りがおそかった。…でも、お前がまだ俺を待っていてくれて、よかった)


 青年は、あやめの瞳からこぼれ落ちようとする涙を、そっと指でぬぐった。


(もう、兄と呼んでくれるな。俺はもう、あやめの夫なのだから。あやめは、俺の妻なのだから)

(はい…。善郎よしろうさん)


 花嫁は、幸福そうに笑った。

 せっかく花婿が目元をいてくれたのに、ぽろぽろと大粒の涙をこぼして泣いた。泣きながら、綺麗に笑った。


 しゃらん、しゃらん、しゃらん……

 しゃらん、しゃらん、しゃららん…


 鈴の音と共に、狐たちの行列が去って行く。

 もう役目は終えたのだと、花嫁と軍服の花婿を残して遠ざかって行く。


 花婿と花嫁もまた、いながら歩き始めた。

 ゆっくり、ゆっくりと遠ざかり、そして幻の様に消えていった。


 空は青く。雨が止んでいることに稔流は気付いた。

「…あやめさんは、好きなひとの花嫁さんになれたんだね」

「あやめは八十年待っていた。…やっとむくわれた」

「え…?」


 八十年前といえば…稔流は頭の中でざっと計算した。第二次世界大戦の終戦が一九四五年。あやめを迎えに来たのは、軍服姿の青年だった。


「…少し、昔話をしようか」


 そう静かに話し始めたさくらは、まだあやめが去って行った方向を見つめたまま、稔流の方を向こうとはしなかった。


「あやめは、鳥海とみの一の分家の娘で、波多々はたた本家の善郎よしろうの許婚だった」

「え…?」

善郎よしろうという名は、稔流も知っている。


(善郎は、望んだ訳でもないのに長く生き過ぎた)


善郎よしろうさんって、夜明け頃に亡くなったおじいさんのこと…?」

「ああ…稔流はゆたかに付いていって、臨終りんじゅうに立ち会ったのだったな」


 それは夢の中の出来事のはずなのに、でも本当の事なのだと稔流は自分でわかっていた。そのことを、どうしてさくらが知っているのかはわからなくても。

 ……そういうこともあるのかもしれない、曾祖母そうそぼならそのように思うのだろう。


「年が少し離れているが幼なじみでもあったから、あやめは善郎を兄様と呼んでいた。幼いながらもあやめは善郎をしたっていたし、善郎もあやめの成長を大切に見守っていた。似合いの2人だったよ」

「………!」


 波多々善郎はたたよしろうは実在の人物だ。ならば、その許婚のあやめも、座敷童になる前は人間だったことになる。


「座敷童は、成人前の子供のなれのてであることが多い。…と言われている。産まれてくることがかなわなかった水子みずこ口減くちべらしに殺された赤ん坊、病気や怪我けがで死んだ幼子おさなご、数え十五の成人に至らずに死んだ者。…色々だ」

「…………」

「死んだ子供の全てが座敷童になるわけではないよ。でも、どうして一度はこの世を去ったはずの魂が、こちらの世界で『座敷童にる』のか、あの世に行ったままの大多数の子供と、座敷童になる子供では何がちがうのか、……私も知らない」


 稔流は気付いた。さくらが、あやめの花嫁行列を見送りに行く気になったのは、まだ花嫁になれない座敷童である自分を悲しく思うことよりも、あやめという長年の友人の幸福を見届てやりたいという心を選んだからだ。


 でも、稔流に付いて来て欲しいと言ったのには、もうひとつ、別の理由があったのだ。

 それは、今まで稔流が気になりつつも無理にあばきたくないと聞かずにいた秘密を、さくらがかしたいと思ったからだ。


――――さくらの正体を、俺に打ち明けたいと思ったからだ――――

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