第10話 許婚たち(一)
何か、
(おとう、さん……?)
(あれほど、お母さんが、時間外労働は引き受けるなって言ってたのに――――)
守ってあげたい…なんて。自分には背伸びだと思うけれども、心の中でそう思うことだけは許して欲しかった。
(ご
父の声だ。
(お
いつの間にか、稔流の意識はその部屋の
もう二度と目を覚ますことのない老人の枕元に、
ふと、あやめが天井を見上げた。
上から見ていた稔流と目が合った。
(私ね…、ずっと、この時を待ち続けていたの。…このひとが、死んでくれるのを)
あやめは目を細め、
美しいのに、どこか
(
「…稔流」
優しい声に、目が覚めた。さっき、一度目を覚ましたはずなのに、二度寝をしていたらしい。
「
さくらの手が稔流の額に
「…さくら」
「ん?」
「お父さんが、ご
「そうか。稔流がそう言うなら、そうなのだろうな」
さくらが身を起こした。
昨日むしられた
よかったと、稔流は思った。さくらは嫌いだと言うけれども、真っ白の髪に赤い椿の花は良く似合っていて、さくらが
「気が変わった」
「どうしたの?」
スッとさくらは立ち上がり、
「あやめの見送り行く。…出来れば、稔流も来て欲しい。嫌ならいい」
稔流の返事を待たずにさくらは行ってしまった。稔流に嫌だと思う理由など無いのに、どうしたのだろう?
「待って、さくら!」
稔流は、
「あら、おはよう稔流ちゃん。早起きだねえ」
曾祖母は、既に家庭菜園で一仕事終えて戻って来たらしい。
「おはよう…あ、あのっ、後でパジャマ片付けるから!」
「いいよいいよ。どうせ
「…………」
雨戸は開け放たれていて、庭に出ていたさくらがこちらを
「…友達じゃ、…」
稔流は急いで
「将来…結婚する人!」
黒い瞳が、驚きに見開かれて稔流を見た。稔流は、さくらの手を
「…稔流」
「何か…ごめんっ!ひいおばあちゃんには、
「ごめんじゃない。私は嬉しいよ。でも『大切な人』くらいにぼやかした方が、
「それ、ひいおばあちゃん世代ではほぼ同じ意味だから!」
嘘は、苦手だ。
嘘を
これからも、稔流はさくらのことを誰にも打ち明けられない。
だから、せめて、さくらの
(今、大人じゃないのが
「稔流」
「何?」
「思い切り走っているが、どこへ向っているんだ?」
「…………」
稔流は立ち止まり、その場にしゃがみ込んで頭を
……何やってんの俺。
「落ち込まなくてもいい。まだ間に合う」
今度は、さくらが稔流の手を
「
「へ?…わあああ!」
いつの間にか稔流はさくらに
稔流は
しかし、遠慮をしたら山から谷へと転落する。
「わーっ!わーっ!しぬ!死ぬーーー!!」
「まだ早い」
視界が青い。空だ。多分、木を飛び移りながら、山の上の方まで来たのだ。そこで、さくらは戦隊ごっこみたいな
「とうっ!」
「わーーーー!!」
飛んだ。落下した。稔流はジェットコースターが無理なタイプだ。
もう
「着いたぞ」
へたり込んでいた稔流は、顔を上げた。
「ここって……」
見覚えがあった。
5年前、神隠しの帰りに不思議な《天神様の細道》を通り抜けて
前に来た時には夜明けの直後だったけれども、今はもっと明るい
「あの時、私は《なし》ではなくなった。稔流が私を《さくら》にしてくれたから」
「…うん。覚えてるよ」
名前はない、だから《なし》と呼べばいいと、何でもないことのようにいうから、悲しかった。
雪の糸のような白い髪を持った、とても綺麗な幼い少女。
小柄な5歳だった稔流と同じくらいの背丈なのに、とても大人びて見えた――――それは「この子がもう何かを
稔流は
もう、二度と忘れない。あの時のさくらの笑顔を。
大人になっても、決して
「あ…」
空は晴れているのに、ぱらぱらと雨が
お天気雨だ。――
遠くから、しゃらん、しゃらん、とたくさんの
しゃらん、しゃらん、しゃらん……
しゃらん、しゃらん、しゃららん…
しゃらん、しゃらん、しゃらん……
しゃらん、しゃらん、しゃららん…
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