第10話 許婚たち(一)

 何か、あわただしい気配けはいがする…と思いながら、稔流みのるうすく目を開けた。


(おとう、さん……?)

(あれほど、お母さんが、時間外労働は引き受けるなって言ってたのに――――)


 となりを見れば、まだ寝息を立てている、あどけない寝顔。

 守ってあげたい…なんて。自分には背伸びだと思うけれども、心の中でそう思うことだけは許して欲しかった。


(ご臨終りんじゅうです)


父の声だ。


(おやみ申し上げます)


 いつの間にか、稔流の意識はその部屋の天井てんじょう辺りで父を見下ろしていた。


 もう二度と目を覚ますことのない老人の枕元に、あでやかな振袖姿ふりそですがたのあやめが座っていた。

 臨終りんじゅうの場面だというのに、そこだけ華やいでいて、やはり周囲の人々にはあやめの姿は見えていないのだろう。


 ふと、あやめが天井を見上げた。

 上から見ていた稔流と目が合った。


(私ね…、ずっと、この時を待ち続けていたの。…このひとが、死んでくれるのを)


 あやめは目を細め、べにを差した唇のはしり上げた。

 美しいのに、どこかくらく、魔性ましょうを感じさせるみだった。


ひどい女だと思うでしょう?私、今とってもうれししいの。幸せなの――――)




「…稔流」

 優しい声に、目が覚めた。さっき、一度目を覚ましたはずなのに、二度寝をしていたらしい。


夢見ゆめみが悪かったのか?」

 さくらの手が稔流の額にれて、気が付いた。うっすらと、汗をいている。もう一枚、タオルケットを用意してもらえばよかったと思うくらい涼しいのに。


「…さくら」

「ん?」

「お父さんが、ご臨終りんじゅうです…って、言ってた」

「そうか。稔流がそう言うなら、そうなのだろうな」


 さくらが身を起こした。

 昨日むしられた椿つばきの花が、白い髪に綺麗に咲いていることに稔流は気付いた。


 よかったと、稔流は思った。さくらは嫌いだと言うけれども、真っ白の髪に赤い椿の花は良く似合っていて、さくらが仕種しぐさひとつ変えるたびにそっと花びらがれる、そのさまがとても綺麗だと思っていたから。


「気が変わった」

「どうしたの?」

 スッとさくらは立ち上がり、障子しょうじを開けた。背を向けたまま、


「あやめの見送り行く。…出来れば、稔流も来て欲しい。嫌ならいい」

 稔流の返事を待たずにさくらは行ってしまった。稔流に嫌だと思う理由など無いのに、どうしたのだろう?


「待って、さくら!」

 稔流は、行儀ぎょうぎが悪いと思いながら、パジャマを放り出して普段着に着替え、急いで後を追った。


「あら、おはよう稔流ちゃん。早起きだねえ」

 曾祖母は、既に家庭菜園で一仕事終えて戻って来たらしい。

「おはよう…あ、あのっ、後でパジャマ片付けるから!」

「いいよいいよ。どうせ洗濯せんたくするからね。…お友達とお出かけかい?」

「…………」


 雨戸は開け放たれていて、庭に出ていたさくらがこちらをり向いた。

「…友達じゃ、…」

 稔流は急いでくつくと、さくらにけ寄って手をにぎった。そして、曾祖母を振り返った。


「将来…結婚する人!」


 黒い瞳が、驚きに見開かれて稔流を見た。稔流は、さくらの手をにぎったまま走り出した。


「…稔流」

「何か…ごめんっ!ひいおばあちゃんには、うそつきたくなかったから…!」

「ごめんじゃない。私は嬉しいよ。でも『大切な人』くらいにぼやかした方が、ずかしくなかったのではないか?」

「それ、ひいおばあちゃん世代ではほぼ同じ意味だから!」


 嘘は、苦手だ。

 嘘をくくらいなら、だまっていた方がいい。


 これからも、稔流はさくらのことを誰にも打ち明けられない。

 だから、せめて、さくらの気配けはいだけは知っている曾祖母には、本当の事を言いたかった。


(今、大人じゃないのがくやしいくらい、俺は、さくらが、好きなんだ――――)


「稔流」

「何?」

「思い切り走っているが、どこへ向っているんだ?」

「…………」


 稔流は立ち止まり、その場にしゃがみ込んで頭をかかえた。

……何やってんの俺。


「落ち込まなくてもいい。まだ間に合う」

 今度は、さくらが稔流の手をにぎって走り出した。


つかまっていろ。落ちるなよ」

「へ?…わあああ!」


 いつの間にか稔流はさくらに背負せおわれていて、さくらは身軽に大木のみきってとなりの木の枝に飛び移り、そこから更に飛び移り、どんどん上に向かって走って飛んで行く。


 稔流はり落とされないように、ぎゅっと背中からさくらを抱き締めているしかなかった。近すぎる。やわらかすぎる。

 しかし、遠慮をしたら山から谷へと転落する。


「わーっ!わーっ!しぬ!死ぬーーー!!」

「まだ早い」


 視界が青い。空だ。多分、木を飛び移りながら、山の上の方まで来たのだ。そこで、さくらは戦隊ごっこみたいな口調くちょうで言った。


「とうっ!」

「わーーーー!!」


 飛んだ。落下した。稔流はジェットコースターが無理なタイプだ。

 もうたましいが抜けた感じにカクンと首が後ろに倒れたが、さくらの声で我に返った。


「着いたぞ」


 へたり込んでいた稔流は、顔を上げた。

「ここって……」


 見覚えがあった。

 5年前、神隠しの帰りに不思議な《天神様の細道》を通り抜けて辿たどり着いた場所。

 前に来た時には夜明けの直後だったけれども、今はもっと明るいんだ早朝の空だ。


「あの時、私は《なし》ではなくなった。稔流が私を《さくら》にしてくれたから」

「…うん。覚えてるよ」


 名前はない、だから《なし》と呼べばいいと、何でもないことのようにいうから、悲しかった。


 雪の糸のような白い髪を持った、とても綺麗な幼い少女。

 小柄な5歳だった稔流と同じくらいの背丈なのに、とても大人びて見えた――――それは「この子がもう何かをあきらめてしまっているからだ」と気付いたあの日。


 稔流は一所懸命いっしょけんめいに《さくら》という名前を考えた。《さくら》になった少女は、本当に嬉しそうに笑ってくれた。

 もう、二度と忘れない。あの時のさくらの笑顔を。

 大人になっても、決してあきらめない。さくらの笑顔を守ることを。


「あ…」

 空は晴れているのに、ぱらぱらと雨がり始めた。

 お天気雨だ。――きつね嫁入よめいり、ともいう。


 遠くから、しゃらん、しゃらん、とたくさんのすずの音が聞こえる。


 しゃらん、しゃらん、しゃらん……

 しゃらん、しゃらん、しゃららん…


 しゃらん、しゃらん、しゃらん……

 しゃらん、しゃらん、しゃららん…

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