第9話 数え十五(二)

 コン、と足元で小さな鳴き声が聞こえた。そして、いつの間にかそこに稔流みのるくつが置いてある。

「…むすび?」


 見覚えがある管狐くだぎつねは、しゅるんと襟巻えりまきのように稔流の首に巻き付いた。

「ここがお気に入りなの?」

 機嫌きげん良さそうに頬擦ほおずりされたので、そうなのかもしれない。


「行っていいのかな…」

稔流は、くつを持ってえんに出た。

「ちっ…むすび。余計よけいな事を」


 あからさまに舌打ちされたので、やっぱり来てはいけなかったのかなと思いながら、稔流は庭でさくらと向かい合って立っている相手を見た。




「おい稔流…!」

「ちょっ…わあっ!!」


 さくらがつかつかと歩み寄り、むすびをつかんでぐいと引っ張った。むすびはびよーんときつね色の水飴みずあめのようにびたが、伸びるのにも限界があるようで、稔流はむすびごと濡れ縁の下に落っこちた。


「いっ…たたたた…、何するん」

だよ、をき消して

「稔流お前…!見目みめのよい女なら見境みさかい無く見蕩みとれれる男だったのか!?出会ってすぐに求婚するわ、殺し文句を息を吐くように言うわ、実は軽薄けいはくな男だったのか!?」


 仰向あおむけになって倒れたまま、稔流は肩を鷲掴わしづかみにされてゆっさゆっさと盛大にさぶられた。

 稔流は、視界がぐらんぐらんしながら思った。

 見目みめのよい女の中に、ちゃんと自分も入ってるんだね、さくら…それで合ってるけど。


「あらあら、さくら。殿方とのがたまたがってはダメよ。はだけて中が見えてしまうわ」

「月も星も上からしか照らさん。はだけても見えんわ」

「目を回してるわよ?お庭で気を失うのは可哀想かわいそうだわ」


 さくらは眉間みけんしわを寄せたが、肩をするのをやめて、またがるのもやめてくれた。


「…さくら」

「何だ」

「俺、うっすら他人に興味きょうみ無いみたいから、女の人に見蕩みとれたのってさくらだけだよ」

「馬鹿正直にずかしい事を言うな!!」


 暗くてよく見えないけれども、今さくらは真っ赤なんだろうなと思うと少しうれしい。


「さくらの知り合いで人間の姿なら、よその座敷童かと思ったんだけど…、座敷童とは全然違ったからおどろいただけだよ」


 もしかしたら、本来は中学生くらいの見かけの『少女』なのかもしれない。でも、綺麗きれいにお化粧けしょうして髪をい上げて首筋くびすじを見せ、優雅ゆうが振袖ふりそでまとったそのひとは、とても『大人』に見えた。


「はじめまして、宇賀田うがた御当主ごとうしゅさま。波多々はたたの家のあやめと申します」

「えっ…あの」


 稔流は家をぐ気なんてさらさら無いし、「さま」とかうやまわれても困るし、さくらとは随分ずいぶん《違う》し、情報量が多すぎて何から弁明べんめいすべきか混乱した。とりあえず、


「敬語じゃなくていいです…」

「では、お言葉に甘えて」

 月光の下で、振袖という晴れ姿のあやめは、とても華やいで美しかった。でも――――


「どうして、私が座敷童ではない、と思ったの?さくらよりも、私が年長に見えるから?」

「えぇと…『年上に見える』のはそうなんだけど、もっと…」


 稔流は、さくら以外の座敷童は見たことがない。あるのだとしても、記憶にない。

 でも、比較ひかく対象たいしょうはなくても、わかる。あやめは、もっと根本的な所で、


「――――さくらと、全然、ちがうから」

「全然…そうね。でも、何が違うの?」


 何と言えばよいのだろう?稔流も直観ちょっかんでそう感じただけだから、言い表す言葉を探した。


「…全部だよ。あやめさんは、さくらと違って『自由』だから。何を選んでもいいし、どこに行ってもいい。さくらがあきらめているものを諦めていないし、もう持ってる。……だから、あやめさんは…」


 稔流は言葉をつむぎながら、自分でも驚いた。


――――座敷童だったのに、今は座敷童じゃない…?


 あやめは、さいごにさくらを訪ねてきた友人で、座敷童だった。

 友人なのは今でも変わらないのに、座敷童ではなくなった――――?


 あやめは、驚いた様子で稔流を見つめたが、…ふわりと微笑ほほえんだ。

「だから、大人の都合つごうなど関係なく、あなたが本当の宇賀田うがたの当主なのね。姫神様も天神様も、どうして貴方に格別の関心を持っているのかわかったわ」


 あやめはわかると言ったのに、すぐそこにいるのに、稔流はどうしてか遠く感じた。

 座敷童ではなくなって、むしろ人間という平凡なものに近付いたように見える。


 でも同時に、ような、今にも月光にけ込んではかなく消えてしまいそうな……人間ではない《何か》。


「…ねえ、さくら。私をひどい女だと思う?」

「思わないよ。善郎よしろうは、望んだ訳でもないのに長く生き過ぎた。いつか人は死ぬ。そのついでにあやめの願いも叶う。それだけの事だ」

「ありがとう。…言うと嫌がられるけど、やっぱりさくらは優しいわ」

「最後だ。私のことなど、思いたいように思って行けばいい」


 さくらは淡々と言ったが、ふと微笑した。

「今日明日の『一番綺麗』はゆずってやるよ。――おめでとう。あやめ」

「ありがとう。こんなににぎやかなお別れになるとは思っていなかったわ。――ありがとう、稔流さん。さくらのこと、よろしくね」


 音もなく、あやめは背を向けた。金糸と銀糸が織り込められた袋帯ふくろおびが月明かりにきらめいて、ふくらすずめの後ろ姿が遠ざかる。

 お別れだというのに、あやめもさくらも、さよならとは言わない。


「…見送りにいかなくていいの?」

しむ別れでもない。あやめは、やっと幸せになれる。誰であっても、いつか別れはおとずれる」


 素っ気なく言って、さくらは草履ぞうりを脱ぐと濡れ縁に上がった。稔流も追いかけて、結局使わなかった靴を小さな草履のとなりに置いて中に入った。


 部屋に戻ると、さくらはごろんと無造作むぞうさたたみに寝っ転がった。さっきとは逆向きだから、さくらの顔は見えないし、…少し、遠く感じるのが、さびしい。


「さくら」

「子供は寝ろ」

「…それでも、俺とさくらには、もう別れは来ないんだって信じてるよ」

「…………」


 ころりと寝返りを打って、さくらが稔流の方を向いた。

「うん…稔流。私も、信じてる」


 さくらが、綺麗に笑った。

 よかったと、稔流は思った。あっという間に、眠りに落ちていった。

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