第8話 数え十五(一)

(お前が、宇賀田うがたの新しい子か?)


――――いつの記憶だろう。

 呼びかけてきた声は、興味津々きょうみしんしんの子供の声のようなのに、いくつしみのひびきを持っていた。


(ん…?お前、私のことが見えているのか?)


 稔流みのるは、仰向あおむけからころんと腹這はらばいになって、その声のぬしに向って、何故なぜかずりずりと匍匐前進ほふくぜんしんのようにたたみの上を進んでいった。


(ふふっ、ずりいが上手だな。いい子だ)


 赤い着物を着た《誰か》の白い手が、稔流の小さな頭をでる。


稲穂いなほのような黄金色こがねいろだな。後で神社にれて行ってもらうといい。宇迦うかの姫神様はきっとお前を気に入るよ)


 稔流は、赤い着物のひざに乗り上げて手を伸ばした。自分の頭をでてくれた手よりもずっと小さい、おもちゃのような小さな手が触ろうとしたのは、日の光にきらきられる、真っ白な髪の毛だった。


めずらしいか?)


 珍しかったというよりも、初めて見る、きらきら、さらさらした綺麗なもの。

 ぎゅっとつかむと、《誰か》は笑った。


結構けっこう力があるな。痛いぞ?)


 痛いと言いながら、好きに触らせてくれる。白桃はくとうのようなほおをぺちぺちとたたいてみても、うれしそうに笑っているばかりで。


(名前は…)


 黒い瞳が、稔流の瞳を、じーっとのぞき込んだ。


(みのる…。稔流、というのだな、良い名前だ)

(母が真苗まなえで父がゆたかだから、子供は豊かな稲穂いなほみのるということか)


(両親に、愛されて育ったのだな。稔流に会えて、喜一きいち登与とよ喜代きよも、みな嬉しかろうな)


(私も、嬉しいよ。稔流の目に私は見えて、稔流の手は私に触れることが出来るのだな。…とても、嬉しい)


(姫神様より一足早く、私の加護かごを授けよう。この村をはなれても、稔流が幸せでいられるように)

(稔流は、幸せになるために生まれて来たのだから。愛されるために生まれて来たのだから)


すこやかに育ち、みのりますように。遠く遠く、離れていても。大切な、私の稔流――――)



 ――――ああ、そうか。

 覚えていなくても、忘れてしまっても。

 ずっとずっと、俺を許し続けていてくれたんだね。

 ずっとずっと前から、俺の幸せをいのってくれていたんだね。


 もう、《なし》じゃない。俺の、――――




「…さく、ら…?」

「静かに」


 さくらがささやいて、稔流は自分が曾祖母そうそぼの家にまっていたことを思い出した。

 眠っていたからか暗闇くらやみに目が慣れていて、少し身を起こしたさくらの姿が見える。


「何か来る」


「何か、…って…」

 かべに目をれば、古ぼけた時計は二時過ぎを指している。「丑三うしみつどき」という単語が頭をよぎり、さぁっと血が引く心地ここちがした。

 障子しょうじの向こうで、カタリ、と雨戸が動く音が聞こえて、さくらは立ち上がった。


「行ってくる。大丈夫だから寝ていていいよ。…心配するな」

 さくらは微笑すると、静かに障子しょうじを開けて広縁ひろえんに出て行ってしまった。


「…って、無理だろ!」

 心配しないなんて。


 稔流も肌掛はだかけ布団をはねけて障子しょうじを開けた。自分なんかが追いかけても、きっと何も役に立たないのに。

 少し雨戸がきしむ音がして、月明かりに幻想的な人形のようなさくらの姿がうつし出された。


気配けはいがまるで違うから、誰かと思ったぞ。――あやめ」


 さくらの声に、品のよい風情ふぜいの少女の声が答えた。

「でも、私だってわかったのね」

「当たり前だ。何年の付き合いだと思ってる」

「さあ…。私はさくらとはちがう。数えたら本当の年齢を思い出してしまうもの。いやよ」


 クスクスと、そよ風のように相手は笑った。

「さくらだって、ずいぶん大きくなったのね。成長はしない、例外は一回だけって言ってたのに」

五月蠅うるさい。その振袖ふりそではどうした?」

「ふふっ、最後だもの、怒らないで?この振袖ふりそではね、着られるのは今夜だけだから勿体もったいなくて遠慮えんりょしたのだけれど、姫神様が数え十五のおいわいだからっておっしゃるからいただくことにしたのよ。……あら、誰かいると思ったら、喜代きよちゃんじゃないのね」


 ちら、とさくらが稔流を見た。

かわやなら反対側だぞ」

「違うってば!」

「もう、さくらったら知ってるくせに。心配するなとでも言ったんでしょう?――無理よ」


 言いたいことを先回りされた。誰だろう?

 さくらは警戒けいかいした様子で出て行ったが、今はそうではない。何か来る、の何かとは、さくらの知り合いか友人のようだ。


 そして、こんな夜更よふけにやって来る、さくらを知る者ならば。数え十五なのに曾祖母を喜代ちゃんと呼ぶ少女ならば、


――――人間では、ない。


 来訪者らいほうしゃが、さくらにげた。


「今夜はお別れに来たの」

「そうなのだろうな。…もうくのか」

「ええ、…わかるの。《あのひと》が、とうげを越えることはないわ」

「……私は、おめでとうとでも言えばいいのか?」

「せっかく振袖ふりそでを着てきたんだもの。おめでとうついでに『綺麗だ』とでもめてくれると嬉しいわ」

「そんなもの、いっとう先に善郎よしろうに言ってもらえ」

「できないわ。今際いまわきわ人もいると言うけど…もう意識が無いの。二度と、目を開けてはくれない」


 沈黙ちんもくが落ちた。リリリリリ…と虫の声が聞こえる。まだぼんに入ったばかりなのに、夜にはだいぶすずしいこの村には、秋のおとずれが近いのだろうか。


くだ草履ぞうりを持って来い」

「わっ!?」


 天井からにゅるりと細長い影が伸びてきて、トトンと広縁ひろえんに下りた。ピンとした耳にふさふさした尻尾しっぽ管狐くだぎつねが二匹いる。

 それぞれ片方ずつ口に草履ぞうり鼻緒はなおくわえていて、ぴょんとえんの下におりた。一緒にさくらも雨戸の外に出て行った。


 稔流は、追いかけるか迷った。

 さくらは淡々たんたんとしているし、あやめ、と呼ばれた相手は時々笑うような軽やかな声だが、事情はわからない稔流にも、話の内容は重いものだとさっしが付いたからだ。


――――きっと、もうすぐ、誰かが死ぬ――――

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