第7話 お嫁さんが来た

喜代きよは、よいひい婆様ばばさまだな」

とさくらが言った。

「うん…俺もそう思うよ」


 今なら、声に出して話しても大丈夫だろう。

「あのさ…」


 稔流は炬燵ごたつ腰掛こしかけた。寒い季節は下にった穴に炭を入れて暖を取るのだが、今はただ椅子のように座るだけなので、正座すると足がしびれる稔流には居心地のいい場所だ。


「ひいおばあちゃん、スイカをふたつ持ってきたんだけど…どういう意味だと思う?」

「時々縁側えんがわに果物やら菓子やらが置いてあるから、そういう意味なのではないか?」

 さくらは稔流のとなりにぽすんと座ると、当たり前のようにスイカを食べ始めた。


「えっ、本当に食べるの!?」

「だめなのか?」


 となりにいるさくらがきょとんとして、つぶらな瞳が稔流を見つめた。近い。

「稔流がふたつ食べたかったのか?欲しければあげるよ。食べかけだが」

「そ、そうじゃなくて」


 顔が赤らんだのは、食いしん坊と勘違かんちがいされたことにしよう。


「どっちもスイカが食べてあったら、ひいおばあちゃんどう思うんだろ…」

「稔流が食いしん坊だと思うか、でなければ『そういうこともある』とでも思うのではないか?喜代きよは嫁に来た時からそんな感じだ」


(そういうことも、あるかもしれないねえ)


 そう言えば、稔流がさくらが残していった饅頭まんじゅうの言い訳に困って「もらいました」と言った時も、曾祖母はそう言ってそれ以上何も聞かなかったことを思い出した。


 シャク、とさくらがスイカを食べる音がした。この音を、曾祖母は聞いたことがあるのだろうか。


「天道村の人って、みんなひいおばあちゃんみたいな感じなの?」

「さすがに令和の御代みよでそれはないよ。大抵の者にとって妖怪は昔話だ。不可思議なことが起こると、本当にいるかもしれないとたまに思い出すくらいだろうな。…ただ、本家や本家に近い家では、並の家よりも信じているよ」

「本家って、うちのこと?」

「ああ、ここは宇賀田うがたの本家だな。王の鳥海とみ天神てんじん波多々はたた、寺の比良ひらの本家もそうだよ。神や仏に仕えるしきたりを、ずっと昔から本家が中心になって引きいできたから。目に見えぬ神や仏像に宿る慈悲を信じている人間は、自然に妖怪とも近くなる…そういうものだよ」


 稔流は、不思議な気持ちがした。

 多くの人々が見えている世界に重なるように、別の世界が同じ場所に存在していて、さくらはその両方の世界を当たり前に行き来している存在なのだ。


「……俺みたいに?」

「稔流ほど何でもかんでも見えて聞こえる人間は、神主かんぬしでも巫女でも坊主でもそういないよ。時々私が見えていた太一たいちや、見えなくても私が《いる》ことだけは解っていて、この家に『一緒に住んでいるからひとりじゃないしさびしくない』と言ってのける喜代きよでも十分珍しい」

「さくらも寂しくなかった?」

「そうかもな。でも……」


 さくらは、確かに物思う横顔で何かを言いかけたのに。

「何でもない」


 口をつぐんださくらに、稔流はこれ以上いてはいけないと思った。 さくらも、曾祖母も、稔流を問いめたことはないのだから。

 うことはしてもみ込んでは来ない、だからほっとして、心が温かくなる気持ちがする。だから、稔流もさくらにとってそんな存在になりたい。


「じゃあ…人間が勝手に妖怪って言っているだけで、神様と同じなの?」

「そうとも言えるな。決して越えられない位や格の違いは当然にあるけれども。ろくな事はしない河童かっぱでも《約束》は絶対に守る、いにしえの…河ではなく、海神かいじんのなれのてだ。狐も宇迦うかの姫神様の使いだから姫神様の近くにいるし、姫神様の名にかけた《誓い》を破ることは決してしない。座敷童も人の家にみ着く代わりにその家を守る。…そうできるだけの、人間には持ち得ない力を持っている。私達は、そういうものなのだよ」

「…………」


 今さくらが言った『私達』とは、種類が違っても妖怪と呼ばれるものたちだ。


(私達も帰るとするか)


 そう言って、手を差し伸べてくれたのは本当のことなのに。

 『神とも言える』さくらが言う『私達』に稔流は含まれない。

 人間は、決して神様にはなれないのだから。


――――神様になれない俺は、どうすればさくらと結婚出来るんだろう?


 つい昨日さくらと再会したばかりで、思い出したばかりで、何も考えていなかったし何も知らなかった自分に気付く。

 あどけない初恋のままに花嫁さんになって欲しいと言った、5歳の頃から変わっていない。


 河童や狐は必ず守るという約束や誓いさえ、稔流は忘れ去っていた。

 忘れていたくせにまた好きになって、また結婚しようと言って、でも人間ではないさくらと結婚するというのはどういうことなのか、本当は何も解っていない――――


「また、難しいことを考えているな?」


 むにーっと、両側にほっぺたを引っ張られた。結構力が強い。

「いらいれふ…」(痛いです)

何故なぜ敬語だ?私達はそういう仲ではないだろう」


 ぱっとさくらがほっぺたを放してくれた。

「…今度はにまにま笑うのか。訳が分からん」

「何でもないよ」


 かくしても、だまっても、許し合える関係。

 未来が見えなくても、ふたりで一緒にいたいと想う気持ちは、本当だから。


「嬉しかっただけだよ」

「何よりだ。私には、稔流の笑顔が一番大切だから」

「…………」

「取りえず、今日はひとつ屋根の下の仲だな。元から住んでいるのは私だが、嫁に来たような気分だ」

「…………」


 稔流は、げほごほとむせた。


「そう言えば、スイカも赤いな」

「…欲しいならあげるよ」

「私は、ひとめするよりも、稔流とふたりで食べる方が美味しいよ」


……そうだね、と稔流もスイカをさくりと食べた。


「俺も、さくらが一番大切だよ」

 笑顔の時も。そうでない時も。

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