第6話 無事カエル

 土間に続く玄関の引き戸は、やはり開けっぱなしだった。

 天道村の家のほとんどは、夏はかぎをかけるどころか戸を開け放ったままなのが標準だ。


「…ひいおばあちゃん、いる?」

「ああ稔流みのるちゃん。やっぱり帰って来たね」

「え?…あ、ただいま……」


 稔流がさくらと一緒に墓地から出て行ってしまってから、多分2時間くらい経っていると思うのだが、それでも神隠しの前例があるにしては曾祖母そうそぼはいつもと変わらない。


 稔流は曾祖母が怒った所を見たことがないのだけれども、ちょっとは心配されるだろうし、母なら心配きわまって怒るだろうし、既に大人達が捜索そうさく活動をしていたらどうしようと思っていたのに。


「稔流ちゃん、そこ気を付けて。まないでやってね」

「うわっ!」


 稔流は、み出そうとした足を引っ込めた。大きなカエルが土間の真ん中にどっしりと座っている。

 稔流の後ろから、さくらがひょこんとのぞき込んだ。


「この家の辺りにんでいるヒキガエルだよ。雨が降ってる訳でもないのに、昼間に出てくるのは珍しいな。お前、こんなところで何をしている?」

 都会っ子の稔流は、両生類も爬虫類も得意ではないが、さくらはカエルをでながら話しかけている。


「ああ、稔流。コイツには触るなよ。毒があるから危ないぞ」

「思い切り触ってない!?」

「座敷童にはかないよ。…まあ、この手で稔流にさわるとかぶれるかもしれないから洗ってくるか」

タタタ、とさくらは走って行ってしまった。


「ひいおばあちゃん、この辺りに手を洗う場所ってあるの?」

「台所で洗ってかまわないよ」

「えぇと、そうじゃなくて、外にある?」

「井戸があるよ。でも深くて危ないからこっちにおいで」


 稔流はさくらの行き先を知りたかっただけなのだが、一応山道を歩いたり管狐くだぎつねをもにもにんだりしたので、おとなしく台所で手を洗うことにした。


「…ひいおばあちゃん」

「何だい?」

さわぎになってなくてよかったけど…あんまり心配してなかったんだね」

ゆたか真苗まなえちゃんは、稔流ちゃんを追いかけようとしていたよ。でも、あれがひょっこり墓石に乗っかってきたもんだから、追いかけなくても大丈夫だと言っておいたよ」


 あれ、とは。土間に戻ると、まだいた。


「……このカエル?」

「そうだよ。カエルは『無事帰る』っていう縁起えんぎの良いものだからね。法要の間もずっとお坊さんのそばにいたし、終わったら今度は私に付いてきて土間に居座いすわったものだから、稔流ちゃんが帰ってくるならこっちの家だと思っていたよ」

「…………」


 そんな縁起担えんぎかつぎで誰もさがさなかったのか……田舎ってどこでもこんな?天道村が特殊とくしゅ?と思いながら、稔流はまだのっそりと土間にいるカエルを見遣みやった。


「そうか、お前お手柄てがらだったな。もう心配いらないから、お前もお帰り」

 井戸から戻って来たらしいさくらが話しかけると、ヒキガエルはさくらの言葉を理解したかのように、ぺたりぺたりと歩き出し、外に出て行った。


「さ…」

 むぐ、とさくらに口をふさがれた。


「私に話しかけるとひい婆様ばばさまに聞こえるぞ?」

 それまでずっと普通に会話していたから忘れていた。ひとりでしゃべり続ける変な奴に見えてしまう。


「ずっと手をつないだまま話すのも不自由だな。…これでも持っていろ」

 さくらは、髪にかざっている椿つばきの花から、花びら一枚をぷつんと抜いて稔流の手のひらにせた。


「私が気に入らないものを押し付けるのは申し訳ないが、それも私の一部にはちがいない。ふところに入れておけば、稔流の心の言葉が私に届く」

「…………」


 赤い花びらは確かに稔流の手の上にあるのに、稔流とさくらにしか見えないのだろう。

 そして、さくらは以前言っていた通り、本当に椿の花が嫌いなのだろう。無造作むぞうさに引き抜いたから、綺麗な白い髪に残った花姿もゆがんでしまっていて、悲しいと稔流は思った。


「どうかしたか?」

(…この花びら、ふところに入れるって言われても、俺は着物じゃないから入れる場所ってポケットしかないんだけど…)

「どこでもいいよ。ポケットとやらでも」

(しわくちゃになりそう)

「しわくちゃでも千切ちぎれても平気だ。私の一部には違いないから」

「…………」


 さくらの一部なら、稔流は大事に持っていたいのに。たとえさくらが嫌いなものであっても。


「稔流ちゃん」

 曾祖母が台所から戻ってきた。スイカをせたお皿を持って。…何故なぜかふたつ。

 たたみに上がると、今は掛け布団が無い炬燵ごたつの上にコトリと置いた。


「これでも食べていなさいな。稔流ちゃんが帰ってきたってゆたか真苗まなえちゃんに言ってくるから」

「…お父さんとお母さんが、こっちに来るの?」

「帰って来たって言うだけだよ。会いたなら呼んで来るよ」


「ううん」

稔流は首をった。


「会いたくない。何も…聞きたくない」


 申し訳なさそうにする両親の顔を、見たくなかった。稔流がえきれなくなって叫んで拒絶するまで、何も気付かなかったくせに、今更いまさら

 でも、今までだまっていたのは稔流自身だ。7歳から誕生日に作り笑いをしていたのは母だけではない、自分もだ。


 それでも、今の稔流には、両親が何を言っても取りつくろう言い訳にしか聞こえないと思った。

 そして、大人の巧みな言い訳に、稔流はいとも簡単に傷付くことも、わかっていた。


 だまっていてごめんなさいなんて、心にも無い返事をしたくない。 どうして、両親と同等の気遣きづかいで謝罪しゃざいしなければならないのだろう?

 くやしいくらい、悲しいくらい、自分は子供なのに。


 だから、聞きたくない、何も――――


「そうかい。稔流ちゃんはゆっくり休んでなさいな。スイカも冷たいうちにお食べ」

 曾祖母は全開の引き戸から出て行った。

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