第5話 狐の縁結び(二)

 稔流みのるが名無しの管狐くだぎつねに名前を付けたいと思ったのは、自分とさくらを結びつけてくれた、特別な狐だと思ったからだ。


 稔流にとって、さくらはあたたかい恩人であり、今まで出会った誰よりも何よりも綺麗だと目が覚めるような思いがした存在だった。

 人間のものではない力を駆使くしし、圧倒的な存在感で他をねじせた白い髪の少女は、何もかもが特別だった。


 出会った時から特別で、特別の中でなお、《唯一ゆいいつ》だった。《唯一》という、あまりもあざやかなものを知ってしまった。

 人生がどれほど長くても、自分がまだ幼くても、一生変わることがないものを、知ってしまった。


「さくらは、名前を付ける前から、俺の特別だったよ」

「稔流は、どうしても私を陥落かんらくさせたいのだな」

陥落かんらくって……お城じゃないんだから」


 喜んで、と返事をもらえて、どれだけ稔流がおどろいて、どんな夢よりも嬉しいと思ったのか、さくらには伝わっていないのだろうか。



稔流みのるとみのりって…いい名前だと思う?」



 唐突とうとつな問いに聞こえただろうか。


 でも、産声うぶごえを上げなかった妹と、生まれる前からおそろいの名前だと聞いた時、稔流だけが生き残って妹は死んだと知った時、自分の名前なのに自分だけの名前ではなくなったような気がした。


 母のお産は一度だけなのに、自分は両親にとって、たったひとりの特別な子供ではなかった。

 稔流が信じていた世界は、6歳の誕生日の夜に壊れたまま、今でも小さな硝子の破片のように無数に散らばって、忘れた頃に稔流の心に突き刺さる。


 稔流が持っている『特別』は、半分の特別でしかない。

 だから稔流の誕生日が来ても、母は半分しか喜べず、お祝いが終わった夜にかくれて泣くのだ。


――――本当は、半分ですらないのかもしれない。

 死ぬことで両親の中で永遠となったみのりには、一生かなわない。そう思うようになってしまった。



「みのりは知らん」



 素っ気なくさくらは言った。

「会ったことがないから、どうとも思わない。子供は簡単に死ぬものだ。あまり死ななくなったのは、ここ何十年かの話だよ。どの家の墓も『当歳とうさい』だらけだ。この村では、不作の年が続けば口減くちべらしに子殺こごろしをしていたくらい、子供の命など綿わたよりも軽かった」


 稔流は、父が天道村の診療所で働きたいと思った一番の理由を思い出した。

 父はきっと、医療の手が届かずってしまう人を、ひとりでも減らす為にこの村を選んだ。


「でも、稔流は素敵すてきな名前だと、私は思っているよ」

「……どうして?」


「名前とは、とても強い言霊ことだまなんだよ。名付けられて、その名で呼ばれるたびに、自分が自分になってゆく。稔流は、宇賀田稔流という、この世界がどんなに広くても、たったひとりしかいない、私にとって一番大切な私の稔流だ。同名の者がいても関係ない。私が稔流と呼ぶのは、出会った時から、これからもずっと、今ここにいる稔流だけだから。…それ以外に、理由が必要か?必要なら、今から全力でさがそうか」


 稔流は、言葉を失った。

 必要だと答えたなら、さくらは本当に全力で探してくれるのだろう。稔流が否定しても、何度でも言ってくれるのだろう。


(一番大切な、私の稔流)


きっと、稔流は同じ心を言霊ことだまにして返すのだろう。


(一番大切な、俺のさくら)


「この『むすび』は、これからは私がいちいち命令しなくても、勝手に稔流の近くをうろちょろして様子を見に行きたがるだろうな。…こら、むすび。いい加減かげん私の稔流から離れろ」

「…………」


「稔流」

 さくらが、ひょいっと稔の顔を覗き込んだ。悪戯いたずらな表情だ。


今更いまさらだぞ?」

「…そう、なんだけど」


 『私の稔流』の連打で耳まで火照ほてるのに『私にとって一番大切な』と『今ここにいる稔流だけ』まで付いてきた。


「自分でも、格好悪いなあって思うんだけど…れるんだってば」


 格好悪いのも、今更いまさらだ。

 今日の墓参りと納骨の法事を思うと気が重くて、本当は行きたくなんかなかった。


 でも、イヤだと駄々をこねては両親を困らせるし、きっと傷付ける。

 大人になりたいなら、この程度の事はえて先に進まなければいけないと思っていたのに。


(俺の誕生日が書いてあるお墓なんて、見たくない)


叫んだ自分の言葉は、年相応としそうおうの子供の心でしかなく。

「稔流は格好悪くないぞ」

「え、…!!」


 息が、止まるかと思った。さくらが、ぽふっと抱き付いてきたから。

 背丈の差が少なくなったから、真っ白な髪がふわりと稔流のほおで、さくらの吐息といきを首筋に感じて、心臓がねる。


「ギリギリの所で自分の心を守るのは、自分自身にしか出来ない。我慢がまんせずに言葉にして、自分の心を守り切った稔流は、ちゃんと格好いいよ」

「…………」

「稔流が、本当の心を殺さずにいてくれて、よかった。…私には、稔流以上に大切なものなど無いから。私が一番消したくないのは、本当の稔流の笑顔だから」

「…………」

「私に、ここまで言わせた男は、稔流だけだぞ。私には、稔流が一番、誰よりも格好いいよ」


 ここまで言われたら、次は「一緒にトマトでも食べるか?」とか言われそうな顔になるしか、ないじゃないか。


「…そろそろ戻ろうか。また神隠しだと思われては困るしな」


 ふわりと、かけがえのないぬくもりが、遠ざかるのが少しさびしい…なんて、言えない。格好悪くて。


「ひい婆様ばばさまの家にでも行くか。今住んでいる家に行くのは気まずいだろう?」

さっきから、だまってばかりの稔流の代わりに、ずっとさくらの言葉がふたりをつないでてくれる。


「人間も妖怪も、神でさえ、全部自分勝手で身勝手だ。死んだ子をいたむ余りに、生きている聞き分けの良い子供に甘え切って、油断していた親もな。無理矢理に謝ったりゆるしたりしなくてもいい。稔流の気が向いた時にゆるせばいい。親なんぞ、困らせてやればいい。大人とて、子供が思うほど完成していないものだよ。大人も困って悩みながら成長する。…だから、稔流は稔流のままでいいんだよ」


「……うん」

 自分の心は自分しか守れない。きっと、そうなのだろう。

 でも、稔流が正直になれたのは、黙ってえてひとりで苦しむ不幸よりも、さくらのとなりにいる幸福の方が、ずっと大事だと気付けたからだ。


「…ありがとう、さくら」

「何がだ?」

「全部だよ」

「そうか」


 木立こだちに囲まれた山道を、ふたり手をつないでゆっくりと下ってゆく。


「ひい婆様ばばさまの畑のトマトでももらうか?」

「言われると思ったんだよ!!」


 帰ろう。一緒に。

 もう少しだけ、ふたりきりで寄り道をしながら。

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