第4話 狐の縁結び(一)

 さそわれるまま山道に入り、木漏こもの世界に変わった。誰が使うのか何処どこへ向うのか、よく分からないような細道だ。


くだ、出て来い」


 さくらが言うと、草むらからしゅるりと何かが飛び出してきて、稔流みのるの首にぐるんと巻き付いた。


「うわっ!?」

 細長いのに四本の足がついていて、きつね色のふさふさした毛並みがいいかんじの、何か。


「やはり、稔流になついているな。一度は河童かっぱを止めようとしただけのことはあるか」

「え…?」


 ふさふさと、目が合った。見覚えがあるような気がする、愛嬌あいきょうのある…多分、きつね


「そいつに、稔流に何かあるようなら私に伝えるように言っておいた」

白い指が、細長い狐の頭をでると、ちょっと得意そうにコンと一声鳴いた。

「あ…それで……」

さくらが突然墓地に現れたのは、この狐が、稔流の心の危機だと判断したからなのだろう。


「5年前、稔流が帰って来られなくなったと、私に教えてきたのもこのくだだ」

「そっか…、助けてくれたんだね」

「そうとも言い切れないがな」


 さくらが言うには、この『くだ』と呼ばれる狐型の妖怪は天道村にはありふれた存在で、『主人あるじ持ち』はあるじの家来とペットを兼ねたようなものなのだそうだ。

 さくらは、稔流の首元にくっついている管をじろりと横目で見た。


「あの河童が稔流をさらった時、こいつは河童を止めるつもりで割って入ったんだよ。でも、河童に一緒に遊ぼうと誘われて、浮かれて他の狐も呼んで大騒ぎだ。日がれそうなのに誰も稔流を帰そうとしないものだから、困って私を呼びに来たポンコツだ」


 さくらの声は不機嫌で、狐はしょぼくれたような顔で「きゅぅ」と小さく鳴いた。

「いいよ、さくら。5年も前のことでしからなくても」

絶対、稔流を帰した後で、管という狐はさくらにガッチリしぼられたのに違いない。


雑巾ぞうきんみたいにしぼりついでに、引き千切ちぎってやろうかと思ったのだが」

稔流は、一瞬血が引くような感覚がした。


……そうだ。さくらは子供の姿をしていても、座敷童を名乗っていても、本気で怒れば雷と炎で全てを焼き尽くす、荒ぶる神でもあるのだ。


「稔流ならきっと止めるだろうと思って、雑巾みたいにぎゅうぎゅう絞るところでやめておいた」

「えっと…ぎゅうぎゅう絞ったら、骨が折れちゃうんじゃ…」

「折れる骨など無いよ。そいつは『狐の形をしているだけ』のあやかしだ。動きがぬるぬるぐにゃぐにゃしているだろう?試しにそいつの体をんでみろ」


 稔流は、おそるおそる、管の細い胴体どうたいにぎってんでみた。

…もみもみ、もにもに。むにむにむに。


「なかなか良い心地ごこちだろう」

「何か、くせになる感じ…」

「そいつもいじられるのが好きなんだよ。いい顔をしているだろう?」


 よく見ると、管狐くだぎつね肩揉かたもみでもされているような顔で、目を閉じてのんびりしている。

 稔流はほっとした。この、何だか憎めない感じの狐が、どうやら今も元気でいてくれて。


「…先程さきほど、これを引き千切ちぎるような者だと、稔流は私を恐ろしいと思っただろう?」

「うん…」


 さくらが、意外そうな顔をした。

「ちょっとは悩むか迷うかすると思ったが、案外あっさり答えるのだな」

「悩まないし、迷わないよ。さくらが誤解だって言っても、俺はさくらを優しいと思ってる。…でも、河童や狐の子供が泣きながら、死にたくないって言うくらいに…あの時殺そうと思えば殺せた、そういう…」


人、と言いかけて、稔流は言葉を繋げた。


「神様…なんだってことも、知ってるから」


 知っているし、もう、気付いている。

 さくらもまた、人間である稔流の前では、人間と同じ命と心を持てない自分をめていることを。


「優しい時も怖い時も、一番綺麗なのはさくらだから。俺には、それだけでいいんだ」

「……………………」


 さくらが、こんなにはっきりとほおを赤らめるのを、初めて見たと稔流は思った。

相変あいかわらず、子供のくせに殺し文句が得意だな!」

「え…?本当のことしか言ってないよ」

「天然か。思わせりめ」


 さくらは、ぷいとそっぽを向いた。

「…でも、稔流のそういう所は、嫌いじゃない」

「うん…」


 想っているのに、どちらも「好き」と言えずにいる、思わせ振り。


「管」

さくらが、どこからか竹筒たけづつを取り出した。稔流の首に巻き付いていた狐が、しゅるんとその中に収まった。ひょこんと首だけ出すと、元々小さかった管狐くだぎつねが、


「ひとまわり、小さくなったような…」

「このような管に入れて持ち歩くから管狐というのだが、ちょっとくらい小さくなって収まってくれないと使い勝手が悪い」


「管狐…」

 ふと、稔流は思った。


「じゃあ『くだ』っていうのは、この狐だけの名前じゃないの?」

「管は管だよ。私もいくつか飼っているけれども、全部見分けが付くから不自由しない」


(名は無いよ)


「どうかしたか?」

「……この狐に、名前を付けてもいい?」

 さくらは不思議そうな顔をしたが、納得したようだった。


「稔流は、名前を付けるのが好きなのだな」

「そういう訳でもないんだけど……」

でも、さくらとめぐり会えたのは、この狐のおかげだと思うから。


「むすび、っていうの、ダメかな」


 さくらが、不思議そうを通り越して、おどろきとあきれをかくさない顔で言った。


「おい…稔流。それはかなり上位の神の名だぞ?特に高御産巣日神たかみむすびのかみ神産巣日神かみむすびのかみといった原初の神は、私のような者では永遠にお目にかかることもないだろうよ」

「え?そうなんだ??」

「むすびはとは、。神が生じる様を表す言葉だが『神を産む神』の名でもある。…まあ人間はわかりやすいものを好む。縁結びの神だと思って拝んでいる者も多いし、そのようなご利益りやくで有名なおやしろもあるらしいな」

「だったら、わかりやすいそれで合ってるよ」


 稔流は笑顔を返した。

「さくらはきっと、俺が知らない所でもずっと俺を見守ってくれていたんだよね。でも、神隠しにわなければ、さくらは俺の前に姿を見せに来てはくれなかったかもしれない。だから、その管狐が俺とさくらの縁結びをしてくれたんだなあって思ったんだ」

「…ふむ、そういうとらえ方もあるか。稔流らしいな」


 さくらは、竹筒から顔を出している管狐の頭をちょんちょんとつついた。

「管、今日からお前の名前は《むすび》だ。名前負けするなよ」


 狐の妖怪でも、嬉しそうに目がきらきらするんだなあ…と稔流は思った。散歩に連れていかれる犬みたいだ。


「むすび、しばらく好きに遊んできていいぞ」

むすびは、コンと一声鳴いて、またしゅるっと稔流に巻き付いた。


「えっと…俺と遊びたいの?」

「名を付けてもらったのがよほど嬉しいらしい。良い名前を付けてもらうというのは、大きな喜びなんだよ。名付けてもらって、その名を誰かに呼ばれる度に、自分は自分で、他の何ものとも違う、唯一の特別な存在なのだと実感してゆける。…私もそうだったよ」

「…………」


 どちらが先なのだろう?

 名を持つと特別になるのか。特別だから名を付けるのか。

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