第3話 双子の墓

 天道村てんどうむらに着いて一夜明け、今日は墓参りだ。

 稔流みのるは、祖父母と両親の背中を見ながら、少し遅れて曾祖母そうそぼと並んで歩いた。


 かつて稔流もお参りしたことがあるのだろうが、さくらとの出会いを忘れるくらいなのに、よく知らないご先祖様が眠る墓を覚えていないのは仕方が無い。


「ひいおばあちゃん、大丈夫?」

「なぁに、わたしゃ平気だよ」

「…そう」


 曾祖母は田んぼふたつ分の家庭菜園を手がけていて、非常時でも自給自足出来るようになっているほどだけれども、曲がった背で山の斜面しゃめんを登るのは大変そうに見える。


 辿り付いた墓には、『宇賀田家代々之墓』と刻まれていた。でも、代々にしては新しかったし、かと言って周囲の墓と比べて殊更に大きくはない。


「本家とは言っても、あんまり立派な墓はらないと思ってなあ」

と祖父は言った。その前の墓は明治時代からのもので古くなっていたので、建て替えたのだそうだ。


「…そうだね。この墓に入るのは、俺と真苗まなえで最後になるだろうから」

 稔流は、父の言葉に立ちくした。


(お父さんとお母さんが最後――――)


 父は、この村の医師としてやってきた。

 村長の鳥海とみさんと祖父母の顔を立てる為に、何年かは勤務するのは仕方が無い事なのだと思っていた。


 稔流が村を出て高校か大学に進学する頃には、喘息ぜんそくも治るか寛解かんかいかしていると父は考えたのだろうし、そのタイミングで両親も首都圏に戻るのだとばかりと思っていた。


 でも、そうではかったのだと、稔流はこの場で初めて知った。両親は稔流に何も言わずに、この村に骨を埋める気でやって来たのだ。


――――《みのり》の位牌いはい遺骨いこつを連れて。


 新しく墓をて替えようと思ったのは、10年の年月を経てやっと納骨のうこつされることになったみのりのためなのだろう。


 墓石には、明治の初めから宇賀田うがた家の故人の没年ぼつねん戒名かいめい・生前の名・享年きょうねんられている。それ以前の祖先の墓もあるのだけれども、全てを記すには人数が多すぎるし、古ぼけた墓石はもう判読はんどく出来ないものもあるという。


 新しい墓石に掘られた一番新しい故人の記録は、曾祖父そうそふの隣にあった。


 没年月日と戒名に続けて、「みのり 当歳とうさい」ときざまれていた。実梨みのりの字は、産声うぶごえを上げられなかった命と共に、どこかへ消えてしまった。


「当歳というのは、数えひとつのことだ。昔は、れい歳という考え方がなかったから」


 風が花の香りをまとったような声に、稔流は驚いた。

「さ…」


 思わず名を呼ぼうとしたが、昨日「数え九つくらい」になった白い髪の少女は、しーっと言って唇に人差し指を当てた。


 さくらは、驚いている稔流みのると手を繋いだ。


「私の声は稔流にしか聞こえないが、稔流の声は皆に聞こえる。…こうすれば、声にしなくても稔流の心の声が私にだけ伝わるよ」


 白くてやわらかい、人間と同じ血が通っているような、優しい手。あまりにも柔らかくなめらかな感触で、稔流の心臓はドキンとねた。


「どうした?」

 稔流は、心で思って答えた。


(手…すべすべだなって)

「こういう手は『働かない者の手』とか『苦労をしていない手』とか言われるものだよ」

(…………)


うわぁ。嫌味いやみったらしいなくっそムカつく。


「ああ、くっそムカついたから、そいつの着物の中にカメムシを放り込んでおいた」

(…………)


 どうやら、言うつもりがなかったことまで伝わってしまうらしい。くすくすと、さくらが笑った。


居心地いごこちが悪そうだな。稔流の心全部ではなく『伝えたい言葉』だけ伝わるようにするよ」

(…………。ありがとう、さくら。…全部)

「全部?」

(うん。さくらが俺のためにしてくれたこと、考えてくれたこと…全部だよ)

「そうか」


 そこでふたりの言葉は途切とぎれたけれども、となりにさくらがいてくれるだけで、こうして手をつないでいるだけで、重苦しかった気持ちが晴れていくような気がした。


 何もかもあたたかくて、こんな場所にいるのに幸せだとすら思える。

 きっと、さくらと一緒にいられるのなら、どこにいても。


「お坊さんと石工さんが来たよ」

 祖母の声が聞こえた。これから、納骨と読経どきょうをするのだろう。若いお坊さんだな、と稔流が思っていると、さくらが言った。

 

「ふぅん?平井寺ひらいでらの悪ガキがもどってきたのか」

(悪ガキって?)

「中坊の頃、無免許で原付に2ケツで乗って、収穫間近の田んぼに突っ込んで救急車で運ばれたついでに補導された悪ガキのうちのひとりだよ。中学を卒業したら修行のためにどこぞの山に放り込まれたと聞いていたが、案外立派りっぱな感じになって帰ってきたな」

(…………)


 もうひとりの悪ガキは、今真っ当に生きているのだろうか。


(…さくら、行こう)

「どこに?」

(ここじゃないどこか。…さくらが行きたい所でいい)


 もう、苦しみをを誤魔化して、封じ込んだままの自分でいたくない。

 言えなかった苦しみを、不幸だと思い続ける自分ではいたくない。


 やっと見出せた幸福を、こわしたくないから。これからずっと、さくらのとなりで幸せに笑える自分でありたいから。


「行きたい所…か。まあ急ぐでなし、歩きながら考えようか」

「ちょっと稔流!ひとりでどこに行くの?」


 母の声が聞こえた。

 無性に、腹が立った。


 八つ当たりだと、自分でも思うのに。稔流が何も言わなかったのだから、何も伝わっていないのは当たり前だ。


 でも、『おとなしい子』『物わかりのいい子』であったことを、今まで忙しかったからと、稔流の心にれる機会を持たなかった大人たちの言い訳にされてきたことくらい、もう何年も前から気付いていた――――思い知っていたのに。


「見たくない!」


 稔流は振り返って、正面を向いて叫んだ。

 背を向けたままでは、ただの台詞ぜりふになってしまうから。


(苦労をするよ)


 本当に、そうだ。物わかりのいい子供なんて、大人に都合つごうのいいゆがんだ存在でしかない。


 でも、稔流はそれを両親の所為せいにしたくなかった。

 優しさではない。自分の人生を、自分のものにする為に、さくらと共に在る人生を選ぶ為に、叫ぶ。



「俺は…!俺の誕生日が書いてあるお墓なんて、見たくない!!」



 その場が、シンと静まりかえったような気がした。

 セミの声はたくさん聞こえるのに。盆の入りだから、朝の早い時間でも墓地には花を手向け線香に火をともしている人々がちらほらと見えるのに。


 両親と祖父母が、驚いた顔をして稔流を見ていた。

 稔流はおとなしくてあまり反抗しない子だと思われていたから、急に声を荒げるとは思ってもいなかったのだろう。


――――曾祖母だけは、わかっていたのだと、稔流に痛ましい眼差しを向けていた。


「……行こう。さくら」


 声で伝えたけれども、小さな声だからさくらにしか聞こえていないだろう。

何処どこかへ行きたい。此処ここから居なくなりたい。

十年も前に死産した子供と、今から一緒の墓に入りたいと願う両親がいない何処どこかへ。


「稔流」


 稔流をさほど見上げなくても目線が合う背丈に成長した、綺麗な少女が微笑ほほえんだ。

 真夏の日差しの下でもけることはない雪の糸が、かすかな風に光を踊らせる。


「行こうか、一緒に」


 怒り叫んだ稔流をなだめるでもなく、あわれむでもなく、手を引いて誘ってくれる。

 そんなさくらが、好きだと思った。

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