第2章 ひとつ屋根の下の座敷童

第1話 夢じゃない 

「…神隠し、か」


 稔流みのるは、ぽつりと呟いた。

 うっすらと目を開ければ、見慣れない天井に、昨日引っ越してきたのだと思い出した。


 とてもあざやかな夢をだった。その夢は、過去という現実だった。どうして忘れ去っていたのか不思議なくらいに。


 そして、さくらの存在を忘れていたのが、不思議と言うよりも不可解だ。

 5年ぶりの再会であっても、誰とも見間違えようのない美しい白い少女を見ても、忘れたまますぐには思い出せなかったことが、自分でも有り得ない事だと思うのだ。


「うわ~…、はず」

 せっかく目を開けたのに、ころんと寝返りを打ってした。

 稔流みのるは何かと奥手おくてな子供で、今でもおとなしい子と思われることが多いし、自認もしていたのに。


「5歳の俺、勇者じゃん…」

 思い出した幼い初恋は、恩人の少女に一目惚ひとめぼれをして結婚を申し込むという、あどけなくも衝撃的しょうげきてきなものだった。


 まっすぐに心かれて、その少女が《唯一》だと知ってしまった。

 この世界がどんなに広くても、稔流の命があと百年続いたとしても、あの少女よりもあざやかな存在と巡り会うことはない。


 さらさらと、光を散らす『雪の糸』のような真っ白な髪も、長い睫毛まつげも。つぶらな黒い瞳も。

 晴れ着を着てもべにを差さなくてもえるような、赤みをかす唇も。

 助けてくれた時には深紅しんくで、別れ際は白に変わった着物姿も。

 怒りのままに雷と炎をあやつり、くれない鉄槌てっついを下そうとした、荒神あらがみのような姿も。


 全部、何もかもが綺麗で、幻想的で、なのにあこがれでますことは出来なかった出会いは、るぎのない現実だった。だから、


「忘れてたくせに、しっかり再会れしてるし……」


 さくらは幼い女の子の姿のままだったのに。それでも、稔流の心はさくらを選ばずにはいられなかった。

 きっと、これからもそうなのだろう。一瞬一瞬を生きるたびに、例え、稔流は何度でもさくらを選び続ける。


だまるな。約束しろ)

(稔流には手を出さぬと。失えば稔流が悲しんで泣く人間も、決してうばわぬとちかえ)


小さな神様の声を、思い出した。


「《約束》するよ…さくら。俺は、二度とさくらを忘れない。さくらは、二度と俺を失わない」


稔流は言葉をつむいだ。


「俺は、二度とさくらから笑顔をうばわない。…必ずむかえに行くって《誓う》よ」


 さくらは、忘れてもいいと言った。でも、稔流が思い出した時は、嬉しいと言って笑っていたさくらを思い出すと、胸が苦しくなる。


 あんなに素直に、輝くように笑ってくれるのなら、本当は忘れられて少しも傷付かなかっただなんて、平気だったなんて…


「そんなうそ、俺につかないでよ…」


 文字列と辞書的な意味だけ知っていた「切ない」という気持ちは、今の自分の心のような気持ちを言うのだろうか。


(俺が大人になったら、結婚して。俺が知っているような結婚にはならなくても)

(喜んで)


「…秘密、なんだろうな。ずっと…」

これからこの村でさくらと過ごす、喜びひとつ幸せひとつ、他の誰とも共有出来ない。


 座敷童とは、多くの人々にとって、昔話や伝説の世界の住人だ。

 さくらの姿も、声も、心も、気付かない人々には『存在しない』のと同じなのだ。


 さくらは自分の年齢を思い出せないくらいこの村に存在していたのに、妖怪であり小さな神様であるさくらの存在に、ほとんどの人間は気付くことすら出来なかった。


 ほかの座敷童たちは、成長してこどもではなくなり、次々に去って行った。さくらは、どんな気持ちで見送り続けたのだろう?


(大人になったら、俺の花嫁さんになって下さい)


 早く「大人になったら」の部分を言わなくてもいい自分になりたい。約束を、誓いを、守れるように。

 そう決意して、稔流はベッドから起き上がった。これから始まる重苦しい一日にも、耐えてみせる。



みのり――――


「みのり」いう稔流とよく似た響きの名前には、聞き覚えが有った。

でも、『聞き覚えた』のは神隠しの終わりの時ではないのだ。


 神隠しがお盆の一週間。その1ヶ月後、9月23日が稔流みのるの6歳の誕生日だった。お祝いもしてもらったことを覚えている。

 しかし、1ヶ月しかっていないのに、稔流は『神隠し』も『みのり』も全く覚えていなかったのだ。


――――やはり、何かがおかしい。


 でも、稔流は『みのり』だけは、6歳の誕生日に知ることになった。

 稔流は、一度眠りに就いたら朝までぐっすり眠る子供だったのに、その日に限って夜中に目が覚めた。


 『みのり』に呼ばれたのだろうか。それとも、単に秘密は暴かれるためにあるのだろうか。

稔流は、このまま目を閉じてもすぐには眠れないような気がして、大人の気配がするリビングに向った。


「……ごめんね、みのり」


 まだ稔流が廊下ろうかにいる時、押し殺したような母の声が聞こえた。


「おめでとうって…言えなくて、ごめんね…ごめんね」


 母は、泣いていた。ドアの隙間すきまから、稔流は声をかけることも出来ずにその光景を見ていた。

 

 まだ稔流が手が届かない、サイドボードの上にある《何か》。

 小型の家具調の四角いそれが何であるのか、小柄な稔流は気にしたこともなかったのだけれども、知ってしまった。


 いつもとびらが閉ざされたそれは、今は開けられている。中に在るのは小さな位牌いはい


 知ってしまったら、もう、その前には戻れない。


「ごめんね…みのり。『なし』なんて、もう付けないから…!」


 稔流の誕生日が来る度に、母はケーキとごちそうとプレゼントを用意して笑顔でお祝いしてくれていた。

 でも、稔流が寝静まってから、母は成長を祝うことが出来ない我が子を想って泣いていたのだ。


 知ってしまった。

 自分の誕生日は、双子の妹の命日だったのだと。

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