第15話 約束 

 格好悪い。花婿はなむこさんになると言ったのに。大人になれば、泣き虫ではなくなるのだろうか。


「よくないよ!さくらは、ちっともわがままいってくれない!はなよめさんをみて、いいなっていったのに。さくらがいってた『いいもの』って、にじよりも、はなよめさんで、けっこんしきのことなのに。…だから、ぼくは、おとなになっても、さくらがみえるぼくでいる。みえなくても、みえるまでさがすよ。さくらって、なまえをよんで、さがすから。ぜったいに、さくらをむかえにいくから…むかえにいくって、《やくそく》するから…っ」


 さくらは、何も言わずに稔流みのるを見つめていた。つぶらな黒い瞳を、少し見開いて。

 さくらでも、言葉を失うことが、あるのだろうか。


「だから…、さくら。ぼくがおとなになったら、ぼくのはなよめさんになってよ!ぼくは、はなよめさんは、さくらがいい!!」


 しゃらん、しゃらん、しゃらん……

 しゃらん、しゃらん、しゃららん…


「…大人になれない花嫁さんでも?」

「いい。ぼくは、さくらじゃなきゃイヤだ」

ままだな」


 しゃらん、しゃらん、しゃらん……

 しゃらん、しゃらん、しゃららん…


 鈴の音が、遠ざかってゆく。いつの間にか、雨は上がっていた。


「でも、そのままは悪くない」

 さくらは、くすりと笑った。


「…いいよ。稔流が大人になったら、私を迎えに来て。迎えに来てくれたら、私は子供の姿の花嫁さんになるよ」

「それ…やくそく?」

「うん。《約束》だ。私は、稔流を待ってる。…ずっと」


 そう言ったさくらの笑顔は、あどけなく、とても幸せそうで。なのに、


「でも、この約束は、忘れてもいい。子供はよく覚え、よく忘れるものだ」

「わすれないよ!やくそくは、まもらなきゃ『うそ』なんだから。ぼくは、うそなんかつかない!」

「知っているよ。稔流は嘘をいてはいない」

「じゃあ…しんじてよ!ぜったい、さくらをむかえにいく!さくらを、ぼくのはなよめさんにする!ぼくがおとなになったら、けっこんしてよ、さくら!」


 そう叫んだ時、やわらかな風が吹いた。

 きらきらと、朝日に舞う粉雪のような光が、ふわりとさくらの体を包み込んだ。


「さくら…?」


 きらきら、光が舞い落ち地面に吸い込まれて、雪の糸のような髪がさらりとさくらの肩をでた。


「何だ…?髪が伸びたのか。わざわざ切りそろえなくても、ずっと同じ便利なおかっぱだったのに」

「えぇと…、髪の毛だけじゃ、ないよ?」


 見かけの年頃なら、5,6歳だろうか。

 稔流の前に立っていたのは、稔流よりも背が高い少女だった。 深紅だった着物はなめらかな白地のものに変わり、紅い帯が蝶々ちょうちょうに結ばれている。


「さくらって、おとなになれないんじゃ、なかったの?」

「なれない。それより稔流、少し小さくなってないか?」

「ちがうってば!ぼくはちいさいまんまだけど、さくらがすこしおとなになったんだよ!」

「……白い着物か。私は、ではないのか…?」


 稔流には意味が分からなかったが、さくらの独り言だったのだろう。

 さくらは、白い着物のたもとすそを見た。赤い椿つばきがらがあしらわれている。そして、稔流よりも一回り大きくなった白い手で、白い髪に触れた。


椿つばきからは、のがれられないか…。やはり、これは、--------」


 し目がちに言った言葉の最後は、聞き取れなかった。小さな声はうれいをびていて、稔流は心配になった。


「さくら…おおきくなったの、イヤなの?」

「イヤではないよ。でも…おどろいた。やっぱり、稔流は私の特別だ。長い時を渡ってきたけれども、成長したのは初めてだから」


 まだ子供の姿で、でも確かに少し成長した姿の、美しい少女が笑った。

「心配しなくていいし、落ち込むな。背丈なら、すぐに稔流が追い越すのだから」

「そうかなあ…。ぼく、なかなかおおきくなれないんだよ」

「なれるよ。稔流の両親も、どちらも背は高めだろう?子は親に似る。すぐに追い着く」


(すぐに、おいつく)

(すぐに、おいこす)


 幻の様にひびく声に、稔流の意識は遠のいた。


 うつらうつら、眠っていたのだろう。とても聞き慣れた、でも初めて聞く必死さで稔流の名を呼ぶ声に、うっすらと目を開けた。


「……。おか…さん…?」


 目をこすりながら身を起こすと、そこは古い家のえんだった。

 少し肌寒い。あの、白いもふもふの毛皮みたいなちゃんちゃんこはどこに行ったのだろう?


「稔流…稔流。よかった…稔流」

 稔流の小さな体をぎゅっと抱き締めて、母は泣いた。


「心配したのよ。さがしてもさがしても、ずっと見付からなくて…!」

「…ごめんなさい」


 稔流が一晩帰って来られなかったのは、河童にさらわれて河童も狐も稔流を帰してくれなかったからで、稔流の所為せいではない。

でも、母がこんなに泣くのなら、自分が謝らなければならないと、稔流は思った。


「1週間も見付からなくて…、もう帰ってこないんじゃないかって…っ」


 稔流は驚いた。1週間なんて知らない。一晩帰れなかったけれども、さくらが助けにきてくれて、夜明けに『狐の嫁入り』を一緒に見たのに。


 でも、本当に1週間戻らなかったから、母はこんなに泣いて、を言ったのだ。


んじゃないかって……!」


 みのり。

 初めて聞いた。稔流によく似た響きの名前を。生まれてくる前、母のお腹の中で一緒に育った子の名前を。


 双子だったのに、産まれてきたのに生きてはいなかった、産声うぶごえを上げることなくってしまった、妹の名前を。

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