第13話 春の花

 夜のやみでもあわく光をびて続いてゆく、不思議な道。


「まほうみたい…」

「海の向こうの国の術か。でも、これは人間には使えない術だよ。私がいるから通してやれる」


 人間ではない、妖怪だと自ら言うこの少女を、どう思えばいいのだろう?


「なまえ、きいてもいい?…いいたくないなら、いわないで」

「そのとしで、気遣きづかいがぎるぞ?子供ならば、もっとままになっていいものを」

「…………」


 不思議な気持ちがした。わがままになっていいなんて、稔流みのるは初めて聞いたから。


(わがままをいうのは、わるいこ)

(わがままをいわないのが、いいこ)


――――いいこじゃないと、おかあさんがこまるんだ。

おとうさんもこまるし、ほいくえんのせんせいもこまるんだ――――


「名は無いよ。だから『なし』と呼ばれている」

「え…?」

「呼びたければ、なしと呼べばいい。それで通じる」


 …どうして。

 稔流は、泣きたくなった。泣かないように、我慢がまんした。


 どうして、この子には親がいないのだろう?名前さえ無いのだろう?どうして――――


「稔流、そんな顔をしないで。名を付けてやると言われたことが有ったのだけれども、私が断っただけだ」

「どうして?いやだったの?」

「…椿つばきの花は、嫌いだ」


 椿つばき。稔流は気付いた。白い髪にかざられている、赤い花のことだろうか。


「早春…早い春と言われているけれども、冬に咲く花だ。私が雪の上で目が覚めた時から、私は子供なのにどうしてか髪は真っ白で、この赤い椿つばきがくっついていた。気に入らなくてむしって捨てても、すぐまた咲いてくる。理由は私も知らない」


 口調は淡々としていたけれども、それが稔流には返って悲しくて、胸が痛いと思った。どうして椿の花が嫌いなのか…なんて、もう聞けない。

 それに、椿をそんな風に言うのなら、わかる。


「ゆきや、ふゆも、きらい…?」

「あまり好きではないな」

「…ごめんなさい」


 稔流はあやまった。ひどいことを言ってしまったと思った。

 悪気は無くても。本当に綺麗だと思ったからそう言ったのであっても。この少女を傷付けてしまったのなら、全部自分が悪くてもいいと思った。


(ゆきの、いとみたい)


「謝らなくていい。《雪の糸》は気に入ったよ。…とても。稔流の心みたいに、綺麗な言葉だ」


 心は、目に見えない。綺麗な心とは、どんな色をしているのだろう?

 心臓なら、見えなくてもどきどきすればそこにあるとわかるけれども、自分の心なのにどこにあるのかもわからなくて。


――――ほんとうに、きれいだったらいいのに。

このこが、ぼくのこころを、きれいだとおもっているのなら――――


「年寄りのばばあみたいな白髪しらがだと言われたら、いくら稔流でもデコピンのひとつでもくれてやろうかと思ったかも知れないが」

「いわないよ!おばあちゃんじゃないし、しろいかみとしらがは、なんかちがうんだよ。おなじじゃないよ!」

「ふふっ、稔流がそう言うのなら、そうなのだろうな。…ありがとう。綺麗なものに例えてくれて」

「…………」

お礼を言われただけなのに、照れてしまうのはどうしてなのだろう?


「ねえ、-------」

 稔流はとなりの少女に話しかけようとして、言葉にまった。


(なし)


 なし、と呼びたくなかった。

 自分が『なし』と呼ばれたら、どんな気持ちになるだろう?自分には名前がなくて、誰も自分の名前を呼んではくれなかったなら…?

 この世界に、稔流という名前がなかったなら…


 自分が誰なのか、わからなくなってしまう。自分が、どこかへ消えてしまう。

 そんな気がして。


「どうした?」

「なし、って…よびたくないよ」

「私は平気だぞ」


どうして、このこは、あたりまえのことみたいにいうんだろう?


「でも、なしなんて、かなしいよ」


 わがままじゃないのは、このこだ。

 へいきになってしまうくらいに、のは、このこなのに。


「だから、ぼくが、なまえをつけてもいい?」


 嫌だと言われてしまったら、自分はとても傷付くだろうと稔流は思った。

 だから、嫌だって、いわないで。どうか。


「いいよ。稔流が呼びたいように呼べばいい」

「ぼくだけじゃ、だめだよ。-----が、…」


このこも、すきななまえじゃなきゃ、だめなんだ。

このこが、よろこんでくれるなまえが、いいんだ。


「……はるは、すき?」

あたたかければ嫌いではないな」

「じゃあ、はるのおはななら、いい?」


 きらきらした真っ白な髪で、赤い椿つばきは嫌いでも赤い着物はよく似合っていて、とても綺麗な女の子。

 だから、雪の白に、少しだけ花の赤をぜた色の…


「さくら…」


 真っ先に思い付いたのは、日本中の人々がその花のおとずれを待つ、愛される花の名前だった。満開になったなら、目をうばわれるように美しい、春の花。


「さくらのはなは、きらい?」

「桜の花…?」

少女は、少しおどろいた顔をした。そして、ふわりと笑った。


「……好きだよ」


 心臓が、ねた。

 この子が好きだと言ったのは桜の花。稔流のことを言ったわけではないのに。


「なまえ、さくら、でいい?」

「…いいよ」

「がまんしちゃ、だめだよ?」

「していないよ」


 白い髪の少女が、手をつないだままくるりと稔流の正面に来たので、ふたりは向かい合った。

「嬉しいよ。春に咲く、一番綺麗な花だ。これからは、名を聞かれたら《さくら》と答えるよ」


 《さくら》は本当に嬉しそうに言った。

「私はもう、なしじゃない。稔流がくれた名前、大切にするよ」

「うん。…さくら」


 稔流も嬉しかった。

 何かをあきらめていた、ままを言わない小さな女の子に、大切だと言って貰えるものをひとつプレゼントすることが出来て。


「…もう、夜が明けるな」

「え…?」


 見上げれば、いつの間にかつたのトンネルは消えていた。

 少しけぶった空は昼の空よりも暗いのに、何故か光が満ちているようでまぶしく思えた。


「早く帰った方がいいのだが…、この天気ならいいものが見られるよ。少し寄り道しなければならないが、どうする?稔流が帰りたいなら…」

「みたい!いく!」


 本当は、もうつかれ切っている。でも、さくらが言う「いいもの」を見てみたかった。

 まだ、その手をつないだままでいたかった。

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