第12話 天神様の細道

「…もう、苦しくはないか」

「え…?」


 ぎゅっとしがみついていたはずなのに。いつの間にか、少女は稔流みのると向かい合って立っていた。

「うん…苦しくないよ」


 せきは止まっているし、のどもヒュウヒュウ音を立ててはいない。

 体がとても楽だ。少女が飲ませてくれた不思議な甘い何かが、体にも心にも甘くあたたかくわたっている気がした。


「私達も帰るとするか」

「…あ!」

「何だ?」

 稔流は、キョロキョロと見渡みわたした。


「お馬さんがいない!きゅうりのお馬さん、だいじなお馬さんなのに」

あのきゅうりの馬がないと、『ごせんぞさま』が帰って来られない。


「ほらほら…もう泣くな」

 少女は苦笑して、赤い着物のそでで稔流の目元をいてくれた。

「心配いらないよ。あの馬なら、もう迎えに行った。そろそろ太一たいちでも乗せて喜代きよの家に戻っているだろうよ」


「たいち…?」

 稔流は思い出した。緑の少年が言っていた名前だが、誰のことかわからなかった。


太一たいちは、稔流のひい爺様じじさまだよ。喜代きよはひい婆様ばばさまの名前だ。仲の良い夫婦だったから、お盆はふたりとも嬉しかろうな」

「ひいおじいちゃん…」


ゆたかも狐の子だろ)

宇賀田うがたの家には狐の子が生まれるんだよ。太一たいちもそうだったな。喜一きいちはふつうだけどさ)


「きつねのこ、ってなに?」

「河童め…余計よけいな事を」


 少女は、舌打したうちしたが教えてくれた。


「髪やら目やらがきつね色の者のことを、《狐の子》と呼んでいる。秋の稲穂いなほのような色だから狐に気に入られるし、宇迦うかの姫神様の加護かごを受けて、田畑の実りが良くなったり家が豊かになったりする。でも、神でも妖怪でも、特別に気に入られるのはいい事ばかりではない。稔流のように、とんだ災難にうこともある。そんなことも知らずに神から依怙贔屓えこひいきされていると言って、うらやましがったりねたんだりする者もいる。人間とは馬鹿な生き物だ」


 稔流は、ぼくも人間なんだけど…とちょっと困ったが、先回りするように少女は続けた。

「ああ、稔流は馬鹿ではないよ。かしこくて、優しい。稔流は大切にされるために生まれて来た。幸せになるために生まれて来た。稔流と初めて会った時、私はそう思ったよ」


 白い少女が微笑ほほえんで、稔流はほおが赤くなった。嬉しくて、胸がくすぐったい。


「さあ、もう帰ろう。稔流の母様かかさま父様ととさまも、…稔流を愛する者は皆、心配して探しているから。歩けるか?」

「…うん」

「無理をしなくてもいいぞ。つかれてつらいのなら、私がおぶってやる」

「い、いいよ!歩けるから!!」

「…ふふ、そういうことにしておくよ。…ほら」


 差し出された白い手は、稔流と同じくらいの小さな手。稔流も色白なのに、少女の手はもっと白い。


「…ゆきみたい」

にぎった手は、ほんわりとあたたかいのに。


「髪か?まあ、稔流から見れば変だろうな。河童の緑の髪が許せるのなら、私の髪もそのようなものだと思っておけ」

「ち、ちがうよ!」


 確かに白い手よりももっと真っ白だけれども、お人形のように整った顔の輪郭りんかく沿って切りそろえられた雪のように真っ白なおかっぱの髪は、一歩歩くごとにさらさられて、とても美しいものなのに。


「へんじゃないよ!ぜんぜん、そんなこと、ないよ!あのね、まっしろで、まっすぐで、きらきらしてて…!」


稔流は、一所懸命いっしょけんめいに言った。


「きれいで…ゆきの、いとみたい」


 雪の糸。


 稔流は口にしてみて、本当にそうだと思った。

 雪はふわふわもったり、冷たい粉のようだったりするけれども、もし、それが細い細い糸につむがれたなら。

 きっと、光がき通るような、真っ白な糸になる。


「そんな、それこそ綺麗な言葉は、初めて聞いたよ。稔流」

 稔流の隣で、少女が綺麗に笑う。


「幼いうちから殺し文句もんくか。将来女を泣かせるなよ」

「ころし…?」

「ふふっ、心を射抜いぬく才があるということだよ」


 難しいことを言う。稔流は生まれつき小さくて、5歳の今でも周囲の子供の成長に追い着けていない。

 稔流と同じくらいの背丈せたけなら、この少女は稔流よりももっと幼いはずなのに。


「…ねえ、なんさい?」

「女にとしくな」

「どうして?」

「そういうものだ。理由はまだわからなくてもいい」

 何だか、少女の口ぶりは大人が子供に対して言うような雰囲気ふんいきだ。


「ぼく、5さいなのに…」

「知っているよ。満年齢まんねんれいならそうなるな。数え年なら七つだ」

 満年齢まんねんれいも、数え年も、知らない言葉。


「知りたければ教えてやるが、私の見かけは多分数え五つくらいだ。稔流が5歳だという満年齢まんねんれいなら、私は3、4歳くらいに見えるのだろうな」

「ねんしょうさん?」

「それは、幼い子供があずけられる場所の言葉か?」


 くすりと『多分数え五つくらい』の少女は笑った。

「違うよ。私は人間ではないから、そのような場所にあずけられることもないし、あずける親もいない」

「…………」


 稔流は、自分はいてはならないことをいて、いてはならないことをいてしまった気がした。

 親がいない。自分より年下に見える女の子が、そんな事を言うなんて。


「気にするな。妖怪とはそういうものだよ。親から生まれるのではなく、川の水のあぶくのように、自然に『る』ものだ。河童や狐は死にたくないとさわいだが、人間のように死ぬ訳ではないよ。亡骸なきがらが残るわけでもないし、ただ消えるだけだ」


 稔流は何も言っていないのに、心を読んだかのように少女は言う。

 わからない。この子の言うことは難しすぎて。

 手をつないで歩いているのに、こんなに近くにいるのに、どうしてか遠く感じるのが、さびしい。


 となりで、んだ歌声が聞こえた。

「…とーりゃんせ、とおりゃんせ」


(こーこはどーこのほそみちじゃ)


「ちーっととおしてくだしゃんせ」


(ごようのないもの とおしゃせぬ)


少女が歌うと、誰かが木霊こだまのように返してくる。


「このこのななつの おいわいに」


(おふだをおさめに まいります)


「いきはよいよい」


(かえりはこわい)


「こわいながらも とーおーりゃんせ」


(とおりゃんせ…)


 ふたつの歌声が途絶とだえた。

「近道だ。天神様の細道を行けば早く帰れる」


 暗闇くらやみでもぼぅっと光る小径こみちが、つたからみ合いトンネルのような通路になってずっと向こうまで続いていた。

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