第10話 童女神(一)

 その少女は、幼いのに夢まぼろしのように綺麗で、美しかった。

 夢でも幻でもない、その黒い瞳が確かに稔流みのるの姿をうつして微笑ほほえんだ。


「もう大丈夫だよ。稔流は私が守る。私が母様かかさま父様ととさまのところに帰してあげるから、安心するといい」


 そう優しく言ったのに、綺麗な女の子は立ち上がりぐるりと周囲を見渡して、打って変わって地をうように低く重い声色こわいろで言った。


「お前達…よくも稔流をさらったな。よくも、私から稔流を取り上げたな…?」


 その瞬間、空を引きくような雷光が走った。ドォン、とすぐ近くで大きな音が響いて、緑の子供もお面の子供も悲鳴を上げて逃げた。

――――逃げようとした。


「逃げられると思ったのか?…この、私から!!」


 またピカッと金の蛇のような光が闇夜を走り、直後にもっと近くで落雷の音がした。雷とは違う輝きと共に、バリバリと大きな音を立てて大木がかたむき、炎を上げて燃えながらズシンと倒れた。


「こんなに腹が立ったのは何年ぶりだろうな。…ふふ、百年思い返しても覚えがないよ」


 少女は笑った。でも、稔流にはこの白く美しい少女が、言葉の通りにとても怒っているのだと伝わってきた。


――――かみさま、みたいだ――――


 いつか、父が教えてくれたことがある。

 神様は、心からいのれば人間を助けてくれたり、願いを聞いてくれたり、不思議で大きな力を持っている。でも、大きな力を持っているから、怒った時の神様はとても恐ろしいのだと。


 だから、人間は神様を大切におまつりして、うやまわなければならない。

 うやまう、という言葉は幼い稔流にはわからなかったが、この時稔流は、ならば、わかったと思った。


 白い少女は、とても優しい声と目をしていて、とてもあたたかくて、稔流を迎えに来てくれた。でも、今怒っている少女は、緑の子供やお面の子供が泣いて逃げまどうほどに恐ろしかった。


 恐ろしいのに、てつくように冷たく清らかで、熱く激しく燃えさかる炎のように、目を離せないほど美しかった。


「火の結界を張った。破れるのは姫神様か天神様くらいだろうよ。河童と狐ごときが、今更無事で逃げられると思うな。稔流をさらった罪、寄ってたかって泣かせた罪……どうしてくれようか?」


「ちょっ…ちょっと待ってくれよ、!」

緑の少年があわててて叫んだ。


「みのるは、狐の子だけじゃねーんだぜ?水の子だよ。オレ達と同じだから、オレ達だって気に入ってんだよ」

「…水の子?」


 なし、と呼ばれた少女はビリビリとした圧倒的な空気をまといながら、眉間みけんしわを寄せた。

「もう一回、言ってみろ」


「みのるって名前、みのるだけじゃなくて、ながれるって字が入ってるんだよ。だから狐の子だけど河童と同じ水の子だから、遊びに連れて来たんだよ」

「…ほう、に受けて二度言うか。…まわしいあやかしが!!」


 少女の怒りに呼応こおうするように、幾股いくまたにも割れた光が天から地上を照らし、その光は轟音ごうおんと共に周囲の木々に落ちて周囲を火の海にした。


「水の子だと…?産声うぶごえを上げることなく流れたあわれな子を、人間はなげいたんで『水子』と呼ぶものを。私の稔流に、そのようなむごい言霊を投げ付けるとは…!河童の住処すみかを全てかまの湯の如くかしてやろうか?二度と河童の川流れも出来ぬようにな!!」


「うわあぁぁん!」

稔流と同じくらいの背丈の、幼い青い子供が座り込んで泣きながら訴えた。


「みのるは、おなじっていったんだよ。おさらも、こうらもないっていったんだよ。あたしたちのかおも、あおくないし、あかくないし、くちばしもないんだよ」


 狐面の男の子もべそをかいた。

「みのるには、おれたちが狐のお面をかぶった人間に見えてるんだよ。着物を着てて2本足だって言ったんだよ」

「そうだよ、狐は誰もみのるをかしてないのに。河童もだましてないのに。だからもっとあそびたかったんだよ」


「……は?」

 白い髪の少女は、呆れたように苛々いらいらと言った。

「河童と狐が人間の訳がなかろうが。ひとの姿を持っている私ですらそうでないというのに」


(人間じゃ、ない……?)


 稔流には、思ってもみなかったことだった。

 緑や青の髪色でも。どんなに走っても飛び跳ねても白い狐面が少しも動かず、本当の顔のようにぴったり貼り付いたままでも。

 同じじゃないなんて、思わなかった。稔流だって、保育園の他の子供と違って金茶色の髪と金色がかった目をしていても、それでもともだちだったから。


 稔流を助けにきてくれた、とても綺麗な女の子が、「敬わなければならない」小さな神様のように見えても。


――――同じじゃない、人間じゃないなんて――――


「稔流がき込んで、苦しがって、泣いているのを笑うのが、お前達の《遊び》なのか!?稔流が息を出来なくなって、あやうく死にかけていたのが、そんなに楽しいか!!」


 強い風に、少女の白い髪と赤い着物のそでが、あざやかにひるがえる。

 稔流は、自分のためにこんなにも怒ってくれるひとは、初めてだと思った。

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