第9話 神隠し(二)

「おい、みのる、起きろ」

「…う…ん…」


 稔流は、いつの間にか草の上にころんと寝転がっていた。

 風にれるまぶしい夏の木漏こもが、きらきら綺麗だと思った。


「みのる!みのる!」

「みのる!おきてよー!」

「あそぼ!あそぼ!」


 何だか周囲がにぎやかで、不思議に思って目を開けると、たくさんの子供が稔流の周りにむらがっていた。稔流と同じくらいの背丈の子からもっと年上のお兄さんやお姉さんまで様々だ。


「だれ…?」

「オレ達は河童かっぱ様だよ」

さっきの緑の少年の声だ。ちょっと偉そうだ。


「おれはきつね!」

「あたしもきつねだよ!」


 子供達がわいわいと河童かっぱきつね、と自己主張するので、稔流は小首をかしげた。


「かっぱごっこと、きつねごっこ?」

「………」

 わいわいがんで、今度は皆ひそひそ声で何かを言い合い始めた。


「…なあ、みのる。お前には、オレ達がどう見えてるんだ?」

 稔流は困惑した。どう見えるも何も、着物姿なのが昔話みたいだけれども、それ以外は保育園の子供達や近所の小学校のお兄さんやお姉さんと同じだと思う。


「えっと…、緑や青のかみのけで、かみのいろとおなじいろのきものをきてる。緑でも青でもないこは、白いお面をつけてる。お面はね、犬みたいなみみがあって、おひげが赤いせんでかいてあるどうぶつ。きものはいろいろだけど、ふさふさのしっぽつけてるよ」


 ひそひそが、ざわざわになった。

「へえ?みのるには、オレが緑やら青やらの人間に見えるのか?」

「…?うん」


 今度はお面の子が言う。

「オレが2本足に見えてんのか?」

「足はだれでも2ほんだよ?」

「面白ぇな!頭のさらとか背中の甲羅こうらとか、くちばしとか水かきとか、見えてないのか?」

「……おさら?…こうらって、カメみたいなもの?くちばし…鳥?みずかきって、カエルみたいなもの?」


 一度に色々言われたので稔流は慌てて色々考えて、そして目の前の少年を見た。


「みえないけど…どこにあるの?」

「なあなあ!白いお面って狐の面か?」


 いつか読んだ絵本に、そんな感じの『狐のお面』が出てきたような気がする。狐のお面のはずなのに、何故かきつね色ではない白いお面。


「……そうかも」

 稔流の返事に、子供達はわっといた。皆面白がっていて、そしてとても喜んでいる様子だ。


「にんげん、にんげん!」

「オレたち人間!」

「狐も人間!」

「狐の子もにんげん!」

「いっしょ、いっしょ!」

「みのるといっしょ!」

「みーんなみんな、みのるといっしょ!」


 はしゃいで大騒ぎで、稔流はあっという間に人気者になった。稔流も見知らぬ子供達を怖いと思うことなく、色々な遊びをした。


 こんなにたくさん、長い時間遊んだのは初めてだった。かごめかごめ、とおりゃんせ、はないちもんめ、だるまさんがころんだ、かくれんぼ、鬼ごっこ。


 でも、5歳であっても3歳くらいの小さな体は、かくれんぼと鬼ごっこで一気につかれた。

 河童や狐は軽々と木や岩に登るのに、そうは出来ない稔流はすぐ鬼になってしまう。足も遅いから、鬼ごっこでは真っ先にねらわれる。


「もう…やだよ…」


 稔流はつかてて、へたり込んだ。まるで、いじめられているみたいに感じた。

 実際に、いじめられていたのかもしれない。


 いじめる方は、いつも笑っているのだから。

 いじめるのは、いじめる者にとっては、とても面白い遊びなのだから。|


 稔流みのるがもう走れないのに、しゃくり上げて泣いてるのに、緑や青の子供も狐面きつねめんの子供も笑いながらはやし立てる。


(あそぼ、あそぼ)

(もっとあそぼ)


(たのしいたのしい)

(いっぱいあそぼ)


「やだ…、かえりたい、かえりたいよ…!」


(帰れないよ)

(みのるは、オレ達とおんなじなんだよ)

(みんな、おんなじ)

(おんなじ、おんなじ)


「おなじじゃないよ!ぼくは、もうあそびたくない。ぼくだけあそびたくないんだから、ぼくだけたのしくないんだから、みんなとおなじじゃないよ!!」


 稔流が泣きながら叫んだ時、ふっと、空気が変わった。

 ――――冷たい風。いつの間にか周囲は真っ暗で、見上げても黒い木々がザワザワ音を立てているだけで、まぶしかったおひさまは見えなかった。


(もう夜だよ)

(夜だよ、夜だよ)


(みのるは帰れないよ)


(天神様の細道を)

(知らないから帰れないよ)


――――てんじんさま、ほそみち。

どこかで聞いた言葉だ。


(まっくら、まっくら)

(あかりをつけよう)


(きつねのあかり)

(いっぱいいっぱい、きつねのあかり)


 稔流ののどが、ひゅっと鳴った。

 周囲には、ゆらゆらと赤い明かりがれていた。まるで、怖いお話に出てくる人魂ひとだまのように、それは辺り一面にれながらともっていた。


「…たす、けて」

稔流は、耳をふさいでうずくまり、叫んだ。


「たすけて…たすけて!おかあさん…おとうさぁぁん!」


 泣きすぎて、苦しかった。呼吸が乱れて上手く息が出来ない。

 のどの奥がひゅうひゅう鳴って、稔流は激しくき込んだ。喘息ぜんそく発作ほっさだ。


 ずっと走り回っていて、今まで発作を起こさなかったのが不思議だったくらいだ。稔流があまり長く外遊びをしないようにと、両親が保育園にお願いしていたほどなのだから。


 でも、ここは保育園じゃない。

 誰も止めてくれなかったし、薬もない。コンコン、コンコンとき込むたびに苦しくなってゆくのに、せきを止めたいのに、何も出来ない。


 以前一度だけ、せきが止まらなくて救急車に乗って運ばれたことを思い出した。


(こわい。くるしい)

(ぼく、しんじゃうの…?)


 苦しみながら、死というものを初めて近くに感じた。

 こわい、しにたくない、くるしい、しにたくないよ、たすけて――――


(コンコン、コンコン)

(狐の子)

(コンコン、鳴くのは狐の子)


――――どうして、みんなわらうの?


ぼくは、くるしいのに。

コンコンは、せきのおとなのに。

ぼくは、きつねじゃないのに。

たすけて、たすけて。


……おかあさん。…おか…さ……



「すまぬな。母様かかさまではなくて」


 優しい声がした。

 母親とは違う。でも優しくて、綺麗な声だ――――


「これを飲め。楽になる。頑張がんばれ」

誰かの指が、稔流の口の中に甘くて丸いものを入れた。それはすぐにとろりと溶けて、稔流はせきき出しそうになるのを懸命けんめいこらえて飲み込んだ。


「よしよし、よく頑張がんばったな。今までよくえた。…むかえに来るのが遅れて、悪かった」


 抱き締めてくれた、あたたかい誰か。稔流は、今まで自分は寒かったのだと気が付いた。

 山村の夏は、夜になると一気に気温が下がる。半袖のTシャツにハーフパンツ姿だった稔流は、走り回った後の汗でれて、一層体が冷えていたのだった。


白狐殿しろぎつねどの、すまぬがひらべったくなってくれないか?……稔流、これでも着ていろ。体を冷やすとせきが出やすいのだろう?」


 ふわっとした、白いちゃんちゃんこを羽織はおらされた。夏に着るには暑いようなもふもふ感だが、今の稔流には丁度良くあたたかい。

 稔流は気温差に弱い。寒さで体が冷えてしまったり、冷たい空気を吸った時にせきが出やすい。でも、どうしてそれを


……知っているの、と言いかけて、言葉を失った。


 稔流をむかえに来たと、遅れて悪かったと言ってくれた声の主は……


「どうした?豆鉄砲まめでっぽうでも食らったか?」

背丈は稔流と同じくらい――ならば、稔流は5歳でも保育園の年少さん並なので、その子は稔流より年下の3、4歳だろうか。


 深紅しんくの着物に、ひらひらした白い兵児帯へこおびを結んでいる。

 暗闇くらやみのはずなのに、一輪のあかい花がかざられた髪は真っ白で、雪の結晶がきらめくような光をびて肩の上で風にれているのが見えた。


 髪も睫毛まつげも真っ白なのに、稔流を見つめるのは夜空のように黒い瞳。微笑ほほえんだくちびるは、花びらのように赤みを差して。


 ああ、とってもきれいな、女の子だ――――

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