第6話 人ならざるもの(一)

 どのくらい、時間がったのだろう。


 8月の空とは違う、少しけぶった春の空を背景はいけいに、うすあわくれない宿やどした桜の花が、春の女神のように絢爛けんらんに、いつか見た花嫁のようにきよらかに咲いていた。


 突然とつぜん現れた幻想的げんそうてきな花は、まるで《さくら》そのものみたいだと稔流みのるは思った。


 さくらもまた、おどろいた様子で桜の木を見上げていた。

 その黒いひとみに、空をいっぱいにくすほどの桜の花がうつった。夜空からる星のように、春の空から薄紅うすくれないの雪がふるる。


姫神ひめがみ様…?」


そうつぶやいたさくらの体が、花びらと光をまとうやわらかな風に包まれて、ふわりと白い髪がった。


 くるくる、ひらひら、花びらは風におどり、さくらはねむるように睫毛まつげせた。そして、その花びらが光にけるように消えた時、夢からめるようにゆっくり目を開いた。


「ふぅん…?」

さくらが、さらさらした髪をでて、首をかしげた。


、髪がびたような気がする」

「えぇと…、髪の毛だけじゃ、ないよ?」


 確かに、白い髪は肩にかかるくらいだったのに、胸までびていた。

そして、


「何で、俺と同じくらいの身長になってるの!?」

大袈裟おおげさだな。稔流の方が大きいぞ。…ふむ、このくらいか」


さくらは、親指と人差し指を開いて『このくらい』を見せてくれた。多分、5センチくらい。


誤差ごさ……」

何故なぜ落ち込む?」

「子供でも、一応男の見栄みえってあるんだよ……」


 稔流と同じような早産の子供達でも、大体6~9歳くらいで差がまると言われているのに、個人差があるとは言えおくれている。ただでさえ中身はさくらの方が大人びているのに、背丈せたけまでさくらにかれたくないのだ。


「この村の昔のしきたりからするに、私は数え九つほどの姿すがたになったのだろうな。多分、前回からさっきまでの私が、数え七つくらいだったから」


 数え七つというと、満年齢なら5、6歳で、実際じっさいにさっきまでのさくらの姿がそのくらいに見えた。

そ して今、数え九つとすると、満年齢で7、8歳ということだ。


「村のしきたりって?」

「親やら婆様ばばさまあたりから聞いていないか?この村では、子供の数え年が奇数きすうになるといわい事をする。《外》のしきたりの七五三をもっと長くして、男も女も同じにしたようなものだよ」


 さくらが言うには、数え三歳から始まり、数え十五歳まで。今では実年齢で行うことも多いが、昔は数え十五歳で成人と見なされた。


とし節目ふしめいわうのは、いつはらうのをねている。昔は子供は簡単に死ぬものだったから、生きびるたびに祝った。それでも、流行はややまいが来れば大のおとなでもあっけなく死ぬのはめずらしくなかったよ。……今でも、不便ふべんな土地では命が軽い」

「…………」


 稔流は、だまってさくらの言葉を聞いていた。

 村の事情じじょうを知らなかったのは、稔流の所為せいではない。誰からも聞かせてもらえなかったのだから。


 本当は引っ越しなんかしたくなかったのに、両親の身勝手な里帰りに自分の喘息ぜんそくを利用された気すらして、胸のそこに小さないかりをめていた。

 でも、父がこの村の医者になることをのぞんだのは、決して安請やすうけ合いでもお人好ひとよしの決断でもなかったのだと、思い知る。


「子供はこの世に生まれてから日があさいから、生と死の狭間はざま…神の世界に近い所にいる。大人には見えぬものや、見えぬ方がいいようなものを、子供は見てしまうことがある。だから、神隠しにうのは子供が多い。…そのまま帰って来ない事が多い」

「え…?さくらは、俺を助けにきてくれたのに」

「昔から、座敷童ざしきわらしなどいない家の方が多いんだよ。今では戦前にさかのぼるような家はずいぶんったから、私が知っている座敷童も片手の指で足りるくらいだ」


 さくらは微笑びしょうした。やわららかいのに、ゾクリとするような笑みだった。


「稔流を助けたのは、私にとって稔流が特別な子供だったからだよ。そうでなければ知ったことではない。人の子ひとり生きるも死ぬも、私はどうでもよいからな」


……そうだ。これが、人ならざるもの、そして神に近いものであるさくらだ。


姫神ひめがみ宇賀田うがた、天神の波多々はたた、王の末裔まつえい鳥海とみ、仏の比良ひら天道村てんどうむらではこの四つの本家は別格べっかくだ。私は宇賀田うがたの本家…今は稔流のひい婆様ばばさまが住む家に居着いついた座敷童だからな。稔流だけが特別だ」

「…………」


(俺が特別だったのは、さくらが助けてくれたのは、ただ宇賀田うがた本家の子供だったから――――)


「いたたたたたた!!」

「勝手にへこむな。私が『喜んで』と答えたことをもう忘れたのか?」

「わ、忘れてないけど!そんなに耳を引っ張らなくても、」

いいだろ、と言い終わる前に、さくらは稔流の耳を放してくれた。


宇賀田うがたの血筋でも、私が座敷童の加護かごさずけたのは稔流だけだぞ?私が人のえりごのみをするのは、人間以上だ。救われたければ仏でも拝んでいればよい。妖怪にしろ、…神でさえも、気まぐれにしか人間をすくわないのは、神が人間のために存在している訳ではないからだよ。依怙贔屓えこひいきして加護かごさずけるのも、気に食わねばたたるのも、私のような者には善でも悪でもない。その気まぐれなはずの私が加護を授けたのは、私の長い記憶きおくの中でも稔流が初めてだよ」

「…………」

「初めてで、…このまま最後になる」


 微笑ほほえんで、ぐに稔流を見つめる黒い瞳と、真っ白な長い睫毛まつげが綺麗だ――――と稔流はぼんやりと思った。

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