第7話 人ならざるもの(二)

稔流みのるが気付いてなくても、私はずっと大切に見守っていたんだよ。なのに、ちょっと目を放したすききつね河童かっぱが勝手に私の稔流をさらって行ったのだから業腹ごうはらだよ。…心配した。妖怪のくせに。この世で一番大切なものを失うのが怖いのは、私も人間と変わらないらしい」

「…………」

「私が稔流に加護を授けたのは、神隠しよりもずっと前のことだよ。覚えるも忘れるもいくらい稔流が小さい頃から、私にとって稔流は誰よりも大切で、誰よりも何よりも特別だった。稔流だから助けに行ったし、稔流でなかったら結婚を申し込まれても嬉しいとは思わなかったよ」

「…………」


 さくらが、稔流の顔をのぞき込んだ。

「夏祭りで、たこ焼きを一緒に食べるか?」

「悪かったねだこで!」

「悪くないと言っただろう。未来の花婿殿はなむこどの見蕩みとれられるのも悪くない」


 私の稔流とかこの世で一番大切とか花婿殿とか、綺麗だと見蕩みとれていたのもバレているとか、顔が赤くならないのは無理だ。

 何をどうしたってさくらの方が上手で、その小さなてのひらの上で転がされているような気がする。


 かといって、からかわれている訳ではないことも、稔流はわかっていた。

 さくらは、ただとても上機嫌じょうきげんなだけなのだ。……稔流も、決して悪い気持ちではないのと同じで。


「私は、きつね河童かっぱも、てんいかづちを落として黒焼くろやきにする気満々だったのだが」

「そこまでしなくていいよ!俺はさくらのお陰で無事だったんだから」

「…と稔流が止めるから、しなかった。そういう心根こころねは、稔流は変わらないな」

さくらはなつかしそうに言って、違う言葉につなげた。


「でも、私は稔流が思っているような、心優しい存在ではないよ。人間が古くから妖怪をおそれてきたのは、おそれる理由が有るからだ。私は人間ではない。美しい誤解をして傷付かぬように、決して忘れてはいけないよ。……私との約束と同じくらいに、忘れないで」

「………っ」


 やっと再会出来たのに、思い出せなくてもいいと言う。

 思い出してもらえて嬉しいと笑ったのに、プロポーズにも喜んでと返事をしてくれたのに、人間ではないと距離を置こうとする。


 もう、わかったのに。稔流が幼なじみと言った時、さくらが不機嫌に見えたのは、怒ったからではないのに。

 本当は、悲しかったからだ。悲しみをかくそうとして、怒ったように見せるしかなかったのに。


「誤解して傷付くのは、俺だけじゃない、さくらだって……!」





「あらまあ、稔流ちゃんかい?」


稔流は、夢から現実に引き戻されたような気がした。

「…ひいおばあちゃん」


 記憶よりも小さく見える曾祖母そうそぼが、玄関から出てきた所だった。

「よう来たねえ。すっかり大きくなって」

「…こんにちは」


 やはり、遠慮えんりょがちな口調くちょう挨拶あいさつになってしまう。

 小さい頃は、布団ふとんもぐんで昔話を聞かせてもらうほどなついていたのに。


「お友達と一緒に上がりなさいな。…どれ、お菓子はあったかの」

「え…?」

稔流ははっとした。


「さくら…?」


 さくらの姿は、そこになかった。確かに、稔流はさくらの手をにぎり、そして抱き締めたのに。

 さくら自身も、満開の桜の木も、まぼろしの様に消えていた。


「ううん…俺ひとりだよ」

「あら、そうなのかい?おしゃべりしている声がしたから、誰かと一緒に来たのかと思ったよ」

「……!」


 曾祖母には、ふたり分の声が聞こえていたのだ。稔流に初めて座敷童の話を聞かせてくれたのは、曾祖母だった。この古い家には、昔から座敷童が住んでいると。


 曾祖母自身はその姿を見たことは無かったけれども、誰もいないはずの部屋で物音がしたり、廊下ろうかを走り回る足音がしたり、何人かの子供がおしゃべりをしたりクスクスと笑ったりする声が聞こえる…と。


(ひいおばあちゃんは、こわくないの?)

(小さな子供だし、楽しそうにしているからこわいと思ったことはないねえ)


(それに、座敷童のいる家は栄えるって言われていてね、この家の者は食べるものに困ったことはないし、流行はやり病が来てもひとりも残らんということはなかった。『わらじ足』だから、兵隊にも取られなかった。だから家が途絶とだえずに長く続いてきたんだよ)


 昔は一家全員が病気で全滅することもあったという恐ろしさを、幼い稔流は理解してはいなかった。

 でも、座敷童は時々悪戯いたずらをすることはあっても住み着いた家にはさいわいをもたらす小さな神様のような存在なのだと、曾祖母は教えてくれた。


 そして、まだ5歳だった稔流が突然行方不明になり、家族だけではなく村のたくさんの大人達が山に分け入り懸命けんめいに捜し、最悪の事態を想定して川や池を調べてみても見付からず、気丈きじょうな母でさえ泣きくずれていた、…ところに、稔流はひょっこりと戻って来た。


(神隠し)


さいわいの子か、わざわいの子か)


宇賀田うがたきつねの子は――――)


 稔流の記憶では、知らない子に遊ぼうと言われて、かなり強引に連れ去られたものの、始めは楽しく遊んでいたのだ。でも、日がれてもその子供達は稔流を帰してくれなかった。


 そのままならきっと、幼い稔流は死んでいた。でも、さくらが助けてきてくれたから、次の日の早朝に戻って来ることが出来た。


……はずが、どうやら1週間も稔流は姿を消していたことになっているし、ヒーローみたいに格好いいと思っていた気丈な母まで稔流を抱きめてわんわん泣くし、何が何だかわからなかった。


みたいに、もう戻って来ないんじゃないかって――――)


「稔流ちゃん、お饅頭まんじゅうを持ってきたのかい?」

「……え」


 抱き締めた時には全く気にならなかったし、多分無くなっていたはずなのに、その前にさくらの手首をにぎっていなかった方の手に、つぶあんの饅頭が握られていた。


「えっと…」

ひとつだけでは、お土産みやげどころか差し入れにも見えない。気まずい。どう言い訳しようか。


「ごめんなさい……もらいました……」

誰から、の部分を言わずに、ぎくしゃくして敬語。


「そうかい」

曾祖母はあっさりと納得なっとくした様子で笑った。

「そういうことも、あるかもしれないねえ。暑いから、麦茶でも飲んでいきなさい」

「……うん」


 稔流は、久しぶりに土間に入って柱を見上げた。

 家同様にかなり古いであろう般若はんにゃめんは、すすで黒ずんでいてもぼうっと白く浮き上がる幽霊のようで、やっぱり今でも怖かった。


 でも、本当は美しい女性であったろうに、鬼と化したすさまじい形相ぎょうそうはただ恐ろしいだけものではなく、


――――何だか、悲しそうだ。


 幼い日とは、違って見えた。

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