第3話 白い少女

 道が急にアスファルトになった、と思ったらトンネルが見えて、入口に『平坂トンネル 長さ3113メートル』という表示があった。


 山を3キロメートル以上突き抜く一般道のトンネルは珍しい。出口が見えないトンネルを父が運転する車がひたすら走ってゆき、後続車もなく対向車と全くれ違わないのが、何処か違う世界に入り込んでしまったようで、稔流みのるはもう二度と引き返せないような気がした。


 やっと行く先に光が見えてトンネルを抜けると、民家みんかと田畑がある集落しゅうらくの風景に我に返った。


「ほら稔流みのるいたぞ」


 ずっと続いてきた道路からせまい私道を上がった所に、立派りっぱな日本家屋があった。

 父の実家は、村の中では比較的裕福ゆうふくらしい。実は村にたくさん居る『宇賀田うがたさん』の本家だ、というのは引っ越しが決まってから初めて聞いた。


「父さん、母さん、ただいま」

 父が玄関げんかんのチャイムも鳴らさずにガラリと引き戸を開けたので、稔流はぎょっとした。


 …そうだった。この村は、田舎いなか過ぎてかぎをかけて用心する必要もないし、むしろ鍵をかけているとアポ無しでやって来た客が「水臭みずくさい」と気分を悪くするという、何だかこわ距離感きょりかんなのだ。


 実は、アポ無しでも玄関から入るのはまだ礼儀れいぎ正しい方で、勝手に居間いまのサッシを開けて入って来るのが当たり前だ。入られる方もそんなものだと思っていて、畳の上に玄関マットが置いてあったりする。


 二階の部屋を自室にもらえないだろうか…と稔流みのるは思った。

流石さすがに二階のまどからは入って来ない。と思いたい。


「あらあら、お帰りなさい。真苗まなえちゃんも稔流みのるちゃんもよく来たねえ」


 暖簾のれんをくぐって奥から出て来た祖母は、本当に嬉しそうだった。

 そして、気付いた。父は当然のように「ただいま」と言い、祖母は「お帰りなさい」と言うのだと。


――――稔流が、ただいまと言って帰ったマンションには、もう帰れないのに。


 母と稔流は「よく来たねえ」という《外》の者なのだ。ただし、母の祖父はこの村の出身なので身内感があり、娘に近い感覚で「真苗まなえちゃん」なのだろう。


 小学5年生の稔流は、ちゃん付けは微妙びみょう居心地いごこちが悪いのだけれども、祖母にとっては孫はいつまでも小さい孫のままなのだろうから仕方がない。


「…お邪魔じゃまします」


 稔流は、何だか他人行儀たにんぎょうぎ挨拶あいさつになってしまった。

でも、5年の空白の間に、稔流はもう祖母に飛び付いて甘える年齢ではなくなっていて、どうえばいいのかわからない。


「上がって休みなさいな。お父さーん!ゆたかたちが帰って来ましたよ!」


 この『お父さん』というのは、稔流の父・宇賀田うがたゆたかの父で、稔流の祖父にあたる。

 どうして、年寄としよりは自分の配偶者はいぐうしゃのことをお父さんとかお母さんとかぶのだろうか?謎だ。


「お母さん」

稔流は靴をいたまま、リュックだけ玄関に置いて言った。


「俺、外にいてもいい?」

「…どうして?」


 いつもは明るい母の表情が、かすかに強張こわばった。

 母こそ、一体何が気にかるのだろうかと、稔流は怪訝けげんに思った。


「座りっぱなしでつかれたから、庭と畑を散歩してくる。あと、ひいおばあちゃんって、まだ古い家にいるの?」

「どうかしら…?前もご飯の時はこっちだったと思うんだけど」

「行ってみる」


 絶対にお庭から出ちゃダメよ、という母らしくもない過保護かほごな言葉を背に、稔流は玄関から出た。

 夏の日差しが強くて、キャップをかぶってくるんだったと思ったけれども、あの家に、大人達だけが笑い合う場所に、もどりたくなかった。


 本当は、稔流には違和感いわかんしかない場所から、遠ざかりたかったのだ。だから、げた。


 立派な母屋おもやうらには、もう農業の一線を退しりぞいたけれども、まだまだ元気だという曾祖母そうそぼが手がけている家庭菜園かていさいえんがある。面積めんせきとしては、畑と言った方がしっくり広さだ。


 その曾祖母そうそぼは、30年ほど前に現在の家を建てたのに、それまでの母屋おもやだった古民家こみんかに残った。


(ねえ、どうしてひとりでふるいいえにいるの?)

(落ち着くからね。それに…)


 曾祖母が、なつかしそうにかべを見上げていたことを思い出した。


 かざられていたのは、経年劣化けいねんれっかでくすんだ色の写真で、紋付袴もんつきはかま花婿はなむこ白無垢しろむく花嫁はなよめの写真だった。曾祖父母そうそふぼの若き日の晴れ姿すがた


 大正時代に建てられたという平屋の古民家は、柱がすすけて黒光りしており、広い家の中は昼でも薄暗うすぐらかった。

 何だかお化け屋敷やしきみたいだと稔流は少しこわかったけれども、曾祖母にとってその古い家は大切な思い出そのものだったのかもしれない。


 畑に曾祖母の姿が見当たらないので、稔流はそのお化け屋敷みたいな古い家に行ってみようと思った。


(ばあちゃんはね、ひとりじゃないんだよ)

(ほかにだれかいるの?)

(いるよ)


曾祖母は、井戸で冷やしたスイカを切り分けて皿にせると、家族の分とは別に広縁ひろえんに置いたのだった。


(時々、食べに来よる)

(いっしょにすんでるひと?)

(そうだよ)

(だれ?)


 伝統的でんとうてきな古民家は、夏の昼間はひさしさえぎられて室内に直射日光は入らない。障子しょうじを開け放ってセミの声を聞きながら、少しひんやりするたたみの上に座ってスイカを食べたものだった。


 そう言えば、おさなころの自分も、玄関ではなくえんで靴を脱いで出入りしていたなあと思い出した。

 もっとも、稔流の場合は古い家の玄関から入った土間どまに、魔除まよけの般若面はんにゃめんかざってあるのがとても怖かったという理由が大きかったのだが――――



「…ふうん?おどろいた。まだ私が見えるのか?」


 小鳥のような、鈴をるような声がそう言った。

 さっきまで誰もいなかったはずのえんに、小さな女の子がちょこんと座っていた。


 5、6歳だろうか。とても綺麗きれいな子だ。そですそ椿つばきがらがある白地の着物を来て、紅い帯を蝶々ちょうちょうに結んでいる。


 かたにかかる長さで切りそろえられたかみは真っ白で、赤い椿の花が雪の中に咲くようにかざられていた。


 幻想的げんそうてき姿すがたをしているのに、ぐに稔流を見つめる黒いひとみが、これは確かに現実なのだと、稔流と少女をこの世界につなぎ止める。


のに、めずらしいしいこともあるものだ。5年ぶりか?数え十二…ああ、今時の数え方ならとおか?ずいぶん大きくなったな。前は私より小さかったというのに」

「…………」


 言葉も出ずに立ち尽くす稔流を見上げて、少女はじーっと稔流の瞳を見つめた。その仕種はあどけないのに、 黒い瞳は夜空のように美しく、そのまま吸い込まれてしまうような気がした。


「ふうん…?見えてはいるけれども、私のことはわすれているか。ちゃんと術がかかっているのか、ただお前が成長したあかしなのか、……どちらであっても、悪くないのだろうな」

「…………」

「そんな顔をするな。人間は、成長して大人に近付けば、私の姿が見えなくなる。…私はそれでも良い」


 悪くない、それでも良い、と少女は言ったのに、その微笑が少し寂しげに見えたから、胸の奥がチクリと痛かった。


 そして、どうやら稔流を子ども扱いしている様子の少女もおさないのに、稔流の半分ほどの年頃としごろだろうに、口調くちょうも言葉も大人びているのが不思議だ。

 不思議なのに、不自然ではないのが、やはり不思議で――――


 稔流が返答にこまっていると、少女はくすりと笑って、白い髪がさらりとれた。

 いた者のそれとはちがう、深くもった雪のような、あわい光をまとうような、かげになると青みをびてき通るような…美しい白。


「…前に会ったことがあるの?」

「気にするな。今のお前が思い出せなくても、あの時のお前がうそいたわけではないことくらい、私は知っているし信じているから。…それで、十分だよ」

「…………」


(お前は、うそいてはいない――――)


 稔流は、立ちくした。その言葉には聞き覚えがある、そんな気がしたのだ。

 真っ白な髪も、出会った瞬間しゅんかんは、初めて見たとても綺麗きれいなもの…だと思ったのに。


――――きっと、初めてじゃ、ないんだ。


(ゆきの、いとみたい)


 稔流の脳裏のうりに、あどけない声が遠くひびいた。

 自分の声だ。稔流のくちびるは、無意識にひとつの名をつむいでいた。


「さくら……?」


 髪に赤い椿つばきの花をかざっているのに、椿という名は嫌いだと言ったから。

 真っ白な髪は、夜のやみの中でも雪のようにきらきらあわい光をらすのに、雪も冬もあまり好きじゃないと言ったから。


(はるは、すき?)

あたたかければ、嫌いではないな)

(じゃあ、はるのおはなならいい?)


 さくら、とばれた少女は、意外いがいそうにつぶらな黒い目を見開いたが、ふわりとやわららかなつぼみがほころぶように、綺麗に笑った。


「そうだよ。稔流みのる

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