第2話 神様と妖怪の村へ(二)

「ん?稔流みのる、どうした?」

「ううん、何も…」


 こんな強烈きょうれつな山奥の村に、週3日でも1日でも医者が来たがらないことくらい、まだ小学5年生の稔流みのるにもわかる。


 でも、現実的な母に相談せずに、お人好しでどこかほわほわと浮世離うきよばなれした感じの父がすでに引き受けてしまった以上「この話は無かったことに」とは言えない。


今更いまさら断って、貴方の実家が村八分むらはちぶにされたら困るしねえ」

母の言葉がこわい。


※ 村八分:火事と葬式 そうしき二分にぶ)以外、すべての交流をたれけ者にされること


「元々、次の職場は田舎いなかがいいって思っていたんだよ。空気が綺麗きれいな方が稔流みのる喘息ぜんそくにはいいだろうから」

「田舎にもほどがあるけどね!?あの村は、交通事故が二千日以上起ってないのをほこってるくらい交通量が少ないから、排気はいきガスなんて有って無いようなものでしょうけどね!?」


 うわあ、行きたくない。


 田舎はたまに行くからよいのだ。

 せいぜい年に一度か二度、親戚しんせき大歓迎だいかんげいされて、盛大せいだいに甘やかされてお小遣こづかいをもらうくらいでいいのだ。


 …そう、旅行で行くのは、楽しかったと、おぼろげに思い出した。

 お祭りの日には、この村のどこにこんなに人がいたのだろうかとおどろくほどにぎやかだったり、冬は雪がたくさんもっていて、近所の子供達と雪遊びをしたり。


(…あれ……?)


 稔流みのるは気付いた。

 稔流みのるは父方の親戚しんせきからお年玉やお小遣こづかいをもらった記憶が無いのだ。


 それは、天道村てんどうむらに家族で訪れたのが、稔流みのるがまだ5歳、保育園の年長組の夏が最後だからだだろう。


 多くの家が長男、跡取あととりを手放したがらない中、稔流みのるの祖父母は父には肉体労働よりも学問が向いているのだからと、農業はがなくていいと送り出してくれたのだそうだ。


 だから父は遠い田舎に残してきた祖父母を気遣きづかい、年に一、二回は一泊であっても会いにゆき親孝行をしたいと思っていたのだし、母は早くに自身の母親をくしていたので「会えるうちに会っておきなさい」と父に言っていた。


……ことを、稔流みのるはおぼろげに思い出した。


 でも、稔流みのるが5歳のお盆を最後に、両親は天童村への帰省きせいの話を、少なくとも稔流みのるの前では一度も出さなかった。

 思えば、不自然なことに、母がこまめに編集へんしゅうしていたアルバムには、天道村で過ごした時の写真がのだ。


――――どうして、お父さんもお母さんも、村に行くのをやめてしまったんだろう?


 きっと意図的いとてきにやめてしまったのだ。

 それなのに、5年の空白を経て稔流みのるが10歳の今になって、父が旅行レベルをすっ飛ばして村に『住む』ことを決めてしまったのはかなり唐突とうとつだ。


 父はともかく、母まで「村八分よりはかなりマシ」と案外あんがいあっさりれたのが、稔流みのるは何かが引っかる気がした。


 引っ掛かったからこそ、稔流みのるは、もう言っても無駄なのだと思いながら言った。


「俺の中学受験はどうなるの?…小学校も、今の友達と一緒に卒業出来なくなるの?」

「…………」


 父は、分かりやすく「今初めて気付きました」という顔をした。そして、正直に困り顔で言葉に詰まった。


 稔流は、知っていた。父には悪気など全く無い。

 父は善人だが、その目は家庭よりも外の世界に向いているのだ。大学時代に母と出会っていなかったら、今頃はアフリカの難民キャンプに居たかも知れないタイプだ。


 稔流みのるは1年前から、中学受験を視野に入れて塾に通い、頑張って勉強をしてきたのに。

 もうすぐ小学5年生の一学期が終わるのに。卒業まで2年を切っているのに、友達と離れてなければならない。


 医療不足の村の医師になるという新たな道が見えた時、父はただ忘れていた、そんなことは思い付きもしなかった、それだけなのだ。


 そして、母も何かがおかしい。

 本当に稔流みのるの事情と父の実家の村八分だけが問題ならば、少しさびしいが父が何年か天道村に単身赴任たんしんふにんすればむ話だ。


 学校にも、そういう家庭の子はちらほらいる。子供の教育きょういく環境かんきょうとして有利な都会に住んでいるのに、僻地へきちへの転勤に子供を巻き込むのは、デメリットが大きすぎる。


 なのに、当然のように僻地へきちに行く方向に話が進んだのは……


――――お父さんとお母さんは、俺が知らない秘密ひみつかくしてる。


稔流みのるは言った。

「いいよ、別に。…引っ越しても。」


 父が村の医者になれば、村の人々の為になるのは確実だし、稔流の喘息ぜんそくなおる「かもしれない」と父は希望を持っている。

 母は、稔流みのるを最優先にするのが母親としての役目だと分かっていても、善人すぎてあぶなっかしい父を単身赴任たんしんふにんに送り出すのは心配だろう。


 つまり、母が気にしている親の役目とは、大人の建前たてまえだ。母の本当の心は、愛する夫に付いて行きたいのだ。


 両親、村人全てが満足する答えは、『宇賀田うがた一家が村でらすこと』一択だ。

 満足しない、本当はイヤだと思っているままな子供は、稔流みのるひとりだけだ。


 ――――だったら、俺だけ我慢がまんすれば、あきらめれば、みんな喜ぶんだ。


「……じゅくの代わりは通信教育でいいよ。友達とはいつでも連絡が取れるし、ゲームでも遊べる。でも、高校と大学は自分で選びたいし、中学を卒業したら村を出る。お父さんもそうだったんだからいいよね?」


 これで、引っ越しが決まった。とても、あっけなく。


 ――――どうして、今なら村に行ってもいいんだろう?

 5年もの間、多分わざと、村から遠ざかっていたのに。


 お父さんとお母さんは、一体何をけていたんだろう?何をかくしているのだろう?特に、お母さんは…


一体、んだろう――――?


「行けば分かるのかな…」


 稔流みのるは車の窓を開けて、盛夏せいかの新緑がきらきらと散らす光に目を細めた。

 ひとつだけ、稔流みのるがはっきりと覚えている話がある。


 天道村には、神様と妖怪ようかいがいるのだ。


 人間の、とても近くに。

 すぐそこに。

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