第6話
わたしは神様に感謝をしました。
わたしは、二年前のわたしと出会うことができたのです。二度と会うことはないと思っていた、過去のわたし。それはトレモロに似ていました。いつまでも盛り上がりを見せないくせに、終わりなき淡々としたメロディ。わたしの恋心は、まさにその様相だったのです。
歩んできた道はけして、平坦なものではありませんでした。
編集者はわたしの(書きたい)と思ったところを潰してくるのです。
わたしが、幼き日の自分と約束をしたもの。
わたしが、誰かに伝えたいと思っているもの。
わたしが、こころの底から痺れているもの。
その全てを、「売れないから」という理由で曲げてくれるのです。もちろん出版社には出版社の事情があることも知っています。継続して利益を上げなければ、それこそ出版界は終わってしまう。伝えたいことがうんぬんより先に、伝える場所そのものを失ってしまう。
だからわたしは、自分の表面に二層の『膜』を張りました。
それは自分自身を抑え込む膜。恋も、幼さも、もう二度と暴れてくれないようにと。
『
あなたのメッセージを読みました。なんと、遅くなったのだろうと思います。
私はあなたにフられたと勘違いしていた。だからメッセージを読むのが怖く、こんにちに至るまでSNSへのログインを行なってこなかったのです。ですが私は、鍵を得ました。それはあなたと、本当の意味で向き合える鍵。
申し訳ありませんが、もう少しだけ待ってください。
胸を張って、あなたを迎えにいきます』
冬が来て、春になり。夏が逃げ水を連れてきて、秋が小さな舌を出した。
一年以上が、経った。
わたしの作品のアニメ化が決定した。
わたしが思い描いていたキャラクターとは、似ても似つかぬ声。演技。本編にはないようなお色気シーン。わたしはSNSに「とても光栄です!」と書いた。顔文字つきで。
わたしは、待った。
待ったのです。過ぎ去る季節に手を振りながら、常に微笑を点し続けた。
そのあいだ、多くの方と出会い、そのなかには私に愛を告げる男性もいらっしゃいました。
その形は様々でした。これまで友達だと思っていたはずの方が涙を流しながらわたしに想いを告げ、女同士であるはずのありりんぐすさんはスクミズ姿でわたしの家までやって来ました。
「好きです」
「私とつきあってください」
「ドンガバチョ」
だけど、そのどれもが違った。
私の膜は、一枚が剥がれていた。
信じていた。わたしがわたしでいられる瞬間が訪れることを……。
そんな瞬間があってもいいでしょう? カーテンを撫でる。ぼんやりとした墨色の光。少し横に滑らせてみる。あら、雪。
つけっぱなしにしていたSNSのメッセージ欄が縦方向に、ずれた。
『今日、会いにいっていいでしょうか』
躍るように、キーボードに指を立てる。
『いつでも』
『では、到着の一時間前になったら、またメッセージを送ります』
わたしはミミッキュのぬいるぐみを持って、
ポイッと投げようとしたのだけど、
こいつめ、と小さく頭を叩いた。ミミッキュが、ふにゃりと微笑んだような気がした。
そうだ、いよいよ言一さんと会うんだ。
だったら、
まず、『森野さん、いますか?』と書く。こうしないと彼は出てこない。
『ういーす! いますいます!』
わたしは森野さんに、言一さんと再会する旨を報告した。
するとすぐさま、返事が来た。
『ぼくも……行っていいすか。いや、絶対に行きます。ぼく、あなたに伝えたいことがあるんです』
わたしの息が浅くなった。
降り始めの、幼き雪よ。
どうか、楽しかったあの日を、すべて隠してしまわないで。
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