04 かげ
本日のウルスラの髪型は長い二つの三つ編みである。
ロルフから貰った櫛を使って丁寧に髪を梳き、慣れない手つきで長い髪を片方ずつ時間をかけて編み込んだ。のだが、どう見ても何故か太さが全く違っていたことに終わってから気づき、ウルスラは小さく嘆いた。
「ウルスラ、片方太いわよ」
「……難しい」
「直すならやるわよ?」
「よろしく頼む」
「リーゼだけずるい! わたしもやりたい!」
その様子を後ろから見ていたリーゼが待ってましたと言わんばかりにウルスラの髪をほどきにかかる。さらに近くにいたハンナも加わり、二人して後ろであーだこーだと話ながら再度ウルスラの髪を綺麗に梳かし始めた。
「櫛あるのに」
「それはウルスラのものだから、あたし達が使っちゃ駄目なの」
「なの!」
ロルフから貰った櫛はウルスラだけが使えるもの、だと決まっているようだ。
いつの間にそんなルールが出来たのかとウルスラは疑問に思いながらも大人しく結われるのを待つことにした。
右側をリーゼが。左側をハンナが少し引っ張りながら三つ編みを作っていく。先に終わったのはリーゼだったが、ハンナもウルスラが一人で格闘していた時よりもずっと早く結い終えていた。
「ほーら、あたしの勝ち!」
「次はわたしが勝つもん!」
どうやらどっちが早く三つ編みが出来るか勝負をしていたらしい。
それでも二人が結ってくれた三つ編みはウルスラ自身が結ったものよりも均一で綺麗に編まれており、本当に自分はこういうものに向いていないのだと再認識した。
「ありがとう」
「んふふふふっ、いーわよ! ウルスラは今日どうするの? また本読んでいるの?」
「ああ、外でな」
傍らに置いていた読み途中の本を手に取り、ウルスラはようやく椅子から腰を上げた。
このまま外に出ても良いのだが、前に一度やったら笑顔でユリアーナに怒られた。庭であったなら怒られなかったが何せ向かう場所がこの孤児院の裏に広がる森の中なのだ。
確かに心配性のユリアーナは怒るだろうと、すぐにウルスラは自身の非を認め、それ以降は出る前に忘れずに一言言ってから出ることにしている。
「マム、外で本読んできます」
ユリアーナはほつれた服を直していたところだった。
すいすい、と針を二度ほど動かしてから顔を上げ、困ったように眉尻を下げた。
「裏の森よね?」
「はい。いつものところです」
「あんまり奥に行っては駄目よ」
「分かっています」
顔に心配だと書いてあるユリアーナだが、それ以上は何も言わず、しかしじっとウルスラを見つめてくる。
ウルスラは少し考え、綺麗な三つ編みを見せた。
「リーゼとハンナが結ってくれました」
「……今度は自分でも出来るようになりましょうね?」
「……がんばります」
難しいことを言うユリアーナに、ウルスラはしぶしぶというように頷く。そうしてようやくユリアーナが困ったようにであったが笑顔を浮かべてくれたので、ウルスラはそそくさと孤児院の外へと足を向けた。
▽+▽+▽+▽+▽
人の気配がない森の奥へと進む。とはいっても、孤児院まではそう離れていない場所だと、歩数と周囲の景色を見ながらそう推定した。
本を読むのは嘘ではない。孤児院の中は常に騒がしく、落ち着いて本を読むのには適していない。また読んでいれば他の子供達が寄ってきて、何の本かと聞いてくるのだから中々読み進められない時もあるのだ。
だからこうして近頃は外で読むようになったと言うわけだ。
そして何故、こうも人の気配がほとんどない場所へと移動してきたかと言えば、ウルスラの足元の影が理由だった。
ウルスラは周囲を何度目か、誰もいないことを確認してからしゃがみこみ、影に触れた。
「……力が完全失ってはいない、とはいえ……これではなぁ」
影がぐにゃり、と歪んだ。
ウルスラの小さな手にまとわりつくように影が集まり、そこからにょきりと、蛇の頭のようなものが出てきた。
「お前、ずいぶんと小さくなったな」
答えはない。これは最初から言葉を発するものではないが、どうも影は影で別にある程度の判断が出来る程度の知能を有しているようだった。
ウルスラはその、おそらく頭であろう場所を指先で軽く撫でれば、影は頭をくるくると回し、反応を見せた。
喜んでいるのか、はたまた止めろ、という意味なのか。
これが考えていることをウルスラは未だに理解できずにいた。
この影はウルスラが持っている力の一つだ。
と言っても他の天使達が使えるものではないし、むしろ忌み嫌うような力だ。しかも何かしらの意思を持っているのだから薄気味悪いと何度言われたことか。
ウルスラ自身も何故、このような力を使えるのか理由は分からない。だが、とても便利な力なのは確かだった。
人間とさして変わらないこの須賀になっても、この力が使えることが分かったのは、この森で野犬に出会った時の事だ。
いつの間にか周囲に野犬が三頭も集まり、今にもウルスラに飛び掛かろうとしていた。
成熟した身体であったなら太刀打ちか、もしくは即座に逃げる選択が出来たが今は未成熟の身体だ。逃げるにしても追いつかれてしまう。
絶体絶命だった。
こんなことならば未成熟の人間の耐久力なり、自衛方法等を知っておくべきだったと後悔してももう遅かった。
中央にいた野犬が一つ吠え、ウルスラに飛び掛かる。
ウルスラは何も出来ず、とにかく身を守ろうとその場で小さく身体を反射的に丸めた。その時だった。
影から鋭く長いとげが野犬に向かって突き出したのだ。
驚いた野犬はきゃん、と鳴いて仲間を引きつれて森の奥へと消えてしまった。
ウルスラは姿をようやく見せてくれた影の鋭いとげに触れれば、雪のように姿を溶かし、影へ姿を消した。
この時ようやく、この力がまだ使えたことを知ったのだった。
ウルスラは小さな掌をぱっと開き、そこに小さな丸い球体上に輝く白く、淡い光を展開させる。
おかげで足元の影はより濃くなり、にゅっ、と小さな蛇だった影がもう一回り大きな蛇となって姿を見せる。
この光は天使として当たり前に使えるものだが、悲しいかな、ウルスラは足元を照らす程度の光しか扱えなかったのだ。この影の地力のせいなのかもしれないが、ウルスラはとくに悲観はしていない。というのもこうして影がずっとそばにいるからだ。
それでもこの影は以前と比べてずいぶんと小さな姿になってしまっていた。そもそもの影が小さいからなのか、それともやはりウルスラ自身がこの姿のせいなのか。
「……あそこへ、行かなければならないだろうが……さて。どうやって行くべきか」
理由は分からない。
だからこそ、ウルスラはこの誰もいない森の奥で考えていた。
天をつくほどに高い、あの塔へどうやって行けるであろうか、と。
堂々と孤児院の真正面から外に出ればすぐにユリアーナに知らされ、どこにいくのかと追いつかれるだろう。であれば、この森を抜けて行くのが定石であろう。
だが孤児院から塔へ行くにはどうしても見晴らしの良い道を通らなければならない。その道は孤児院からよく見えるため、うっかり誰かに見つかる可能性だってある。
最初の一回は強行して行けるだろうが、ユリアーナが笑顔で激怒するのは目に見えている。
なんて恐ろしいのか。
ウルスラが知るが切、他の天使にあれほどまでに恐ろしいものはいなかった。
考えただけで背筋がゾクリ、と冷たいものが走ったような感覚を覚え、ウルスラは慌てて思考をするのを止め、光を消した。途端に影はすぅっと足元へと戻り、姿を消す。
そろそろ戻らなければ。森は早く暗くなってしまうから。
ウルスラは来た道を急ぎ戻った。
「塔の近くへ行ったら怒られるだろうか」
森の奥から孤児院に戻った先に、ちょうどルッツが他の子達と玉蹴りをして遊んでいた。
ルッツもまた、リーゼと負けず劣らずに世話焼きだ。だが素直ではない。
しかし皆、ルッツを兄のように慕い、頼っている姿をよく見かける。
だからウルスラも自然と、ルッツならば何か知っているのではと淡い期待を抱き、出会いがしらに問いかけてみたのだ。
ルッツは、出会いがしらにそんなことを問われて、一瞬驚いたのか動きをぴたりと止め、しかしすぐに慌ててウルスラの腕を掴み、庭の隅へと引っ張った。
「おい、ウルスラ! 他の奴らに聞かれたら絶対にマムに告げ口されるぞ!」
「分かった、気を付ける。それで、どうやったら行けるだろうか」
構わず話を続けるウルスラにルッツは盛大に顔を歪めた。
「怒られるに決まっているだろ。っていうか、ギルドのやつらが見張っているから行ってもすぐに見つかる」
「ルッツはもう行ったのか」
「……うるせぇな」
ルッツに聞いてよかったと心の底からウルスラは安堵しながら、ルッツの続く言葉を待った。
「なんで行きたいんだよ」
「好奇心。それと、私自身の為に」
半分は好奇心。もう半分は、何かの手掛かりなりを探しに。
じっとルッツを見つめていれば、ルッツはあああ、と変な声を漏らしながら自身の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき乱した。
「ルッツ?」
「いいか、絶対に言うなよ!」
「分かった」
こそこそ、とルッツが声を潜め、秘密の通り道なる場所を教えてくれた。
ウルスラは一度でちゃんと覚えようと真剣な顔で頷き、聞き逃さないようにと身を寄せた。
「近いっ」
「……そうか?」
「こいつっ」
時々ルッツは何故かおかしな反応をウルスラに見せる。耳の端が先ほどよりも赤く見えたが、暑かったのだろうか。
ウルスラはこてん、と首を傾げれば、ルッツは苦虫を嚙み潰したような顔を見せた。
▽+▽+▽+▽+▽
秘密の通り道は、やはり裏の森から塔へと向かう方法だった。
けれどもそれだけではなく、ウルスラは知らなかったが裏の森から、塔の麓に広がる森までは小さな小川で繋がっているのだと言う。
この孤児院。孤児院から見える景色と、町までの道に町。それ以上の地形等々をウルスラは早くしていなかったが、孤児院を挟んで町の反対側にはその小川が流れているのだと言う。
その小川は孤児院からは見えず、見えたとしても木登りをしなければ分からない。
だいぶ遠回りとなる道ではあるが、確実に見つからない通り道だった。
一日空けた今日、ウルスラはルッツにこっそりと行ってくると言い、そしてユリアーナにはまた森へ行ってくると嘘を伝え、塔へと向かった。
ルッツに教えてもらった通り、森を抜け、小川へと出る。
なるほど小川は孤児院がある場所よりも低い場所にあり、その途中の起伏により尚更見えにくいのだとウルスラは知った。
翼があれば上から地形を確認できるが、今はそんなものはない。今後は地図をしっかりと見なければならないだろう。
穏やかに流れる小川の横をひたすらまっすぐに歩き続ける。そうこうしていると、塔の麓に広がる森へと入る。ここからひたすらまっすぐに塔がある場所まで向かう。あまりにも大きすぎる塔のおかげで目的地まで迷うことはない。
だが出入できる箇所はこれほど大きいのに一か所しかないと、ルッツはぼやいていた。
ウルスラはそういうものだとしか思わなかったため、なるほど複数あっても良いものなのかとそれを聞いてようやく疑問に思えることだった。
しかし出入口が多いとそれはそれで管理が面倒なことになるわけで。そう考えれば合理的と言えた。
そろそろと歩くのに疲れを覚えてきたころ、ようやくウルスラは塔の足元へと続く道へと出た。
さて、後はこの道をまっすぐ登れば塔へと着く。
疲れた足をぺしぺしと掌で叩き、よし、と一歩前に出ようとして、目の前に人影が見えた。
「こぉら、そこで何しているのかな?」
「あ」
よくよく見れば、この道のもう少し上へと登った先に小屋があるのが見えた。
なるほど、人がここで待ち構えていており、だからルッツは見つかってしまったのだとウルスラは知った。
だがしかし、いるならいると何故ルッツは教えてくれなかったのだと内心少々文句を言ってしまったが仕方がないと思いたい。
ウルスラが文句と、そしてどうしようかと考えている間に、その人影はすぐにウルスラの目の前へとやって来た。
ずいぶんと背の高い金髪の男性だった。腰には少々細見の剣を佩き、軽装ながらも胸は肩には鎧をしっかりと身に付けていた。
「ここはギルド登録をしている冒険者以外立ち入り禁止になっているんだけど、分かるかな、お嬢さん」
「近くに来ただけです」
「うん、それでも駄目だよ?」
優しく諭すような言い方をする男性に、ウルスラはきょとりと首を傾げた。
男性は器用に片方の眉を上げ、ぐっと茶色の瞳を細めた。
「それじゃあお兄さんは何でいるんですか」
「ギルド所属の門番だからだよ。こうして子供が勝手に塔へと入らないように見張っているのが僕のお仕事さ」
「じゃあお暇なんですね」
「君が来たから暇じゃなくなったね」
「お仕事出来ました?」
「見張っている間もお仕事しているんだけどな?」
男性はその場に片膝をつき、ウルスラと目線を合わせてくれた。
少しだけ男性の顔が影でよく見えなかったがおかげでよく見えるようになった。
話し方というのも影響しているだろうが、どこか穏やかそうな雰囲気を感じるような顔立ちをしていた。おかげで怖さを感じることなく、ウルスラは会話をすることが出来た。
「一回目だけは見逃してあげる。けど二回目からはちゃーんとギルドに連れて行くからね」
「ギルドは嫌です」
「だーめ。というか君、どこの子?」
「……孤児院の」
「孤児院の……って、ああ! 新しく来た子か。綺麗な銀髪の女の子って聞いていたけど、まさかここまでお転婆だったとか思わなかったよ」
きっと誤魔化しても無意味だろうと思い、ウルスラが正直に伝えれば、男性はウルスラのことを誰から聞いていたらしく、すぐに人のよさそうな笑顔を浮かべた。
「じゃあ孤児院だね。それが嫌ならここには来ないこと。危ないからね」
人間の笑顔というのは、様々なものがあるらしいが恐怖しか感じ取れない笑顔というものがあると言うのをこの姿になってウルスラはもうすでに何度も経験をしていた。
だがまさかユリアーナ以外にも器用に恐ろしい笑顔を浮かべられる人間がいるとは思わず、無意識に後ろに下がりそうになった。
「……お兄さんは、これについて詳しいんですか」
しかしせっかくここまで来たのだから、すぐに逃げ帰っては意味がない。ちゃんと目的を果たさねばと、ぐっと足が動かないように踏みしめながら、そびえる塔を指した。
「……まぁ、それなりには、だけどね? けど俺も知らないことが多いし、何よりもまだまだ解明できていないことが多いから、あまり期待しないでほしいな」
「分かりました。けど、お兄さんはいろいろと知っている方ですか?」
「知っているっていうのは?」
「たくさん、いろいろです。私、何も知らないので」
「……ああ、記憶が無かったんだったね」
正しくは人間の常識というものを知らないのであって、記憶がないわけではない。ただこの姿になってしまっている原因、その前後の記憶が欠片もないだけだ。
しかし記憶が無いというのは都合の良いもので、男性は同情するかのようにウルスラを見つめていた。
「そうだね。どれだけ知っているかは分からないけど、基本的なことは教えてあげられるかもしれないな」
「分かりました。それじゃあ、お兄さんに会いにここに来ます」
予想していなかったウルスラの言葉に、男性は目を見開いた。
「待って。なんでそうなるの?」
「教えてくれると」
「来るならギルドにしなね? それに俺じゃなくって、他の人に聞いた方がもっと知っているはずだし、ここにいつもいるとは」
「いなかったら帰ります」
「そうじゃなくて、来ないでね?」
「嫌です。それではまた明日。本持ってきます。さようなら」
「来ないでね!」
ウルスラは最後の男性の言葉を背中で聞きながら、急いで来た道を戻ろうと駆け出した。
半ば無理やりな、一方的な約束を取り付けたが、これでうまくいくかどうかは明日以降に分かることだ。
一先ず戻ったらルッツにうまく行けたと報告をしよう。そして何か礼をしなければいけないが、一体何をすればよいのか思いつかなかったウルスラはもう直接ルッツに聞こうと決めた。
無事に戻り、ルッツに礼をしたいのだがどうすれば良いのかと本人に聞いたところ、いらない、の一言だった。
ほんの少しだけ、ちょっぴりだけ寂しさを覚えたような気がしたウルスラだった。
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