02 おつかい
ここは孤児院なのだと言う。
人間の子供というのは、成熟、つまりは大人の保護下がなければすぐに死んでしまう。この大人というのは両親、または家族の事を指す。しかし様々な理由により、保護してくれる大人達を失った子供達が少なからず存在する。
孤児院というのは、そういった子供達を第三者である大人が保護し、十二分に外へ出ても生きることが出来るまで育てる場所、らしい。
ここが孤児院という以外は、直接的に聞いたわけでなはなく、孤児院内にあった本や周囲の動き、会話を観察した結果、ウルスラがそう勝手に学んだことだ。
では誰がウルスラをここに連れてきたのか、と言うと、とある剣士らしい。そのうち会えるらしいから、その時に礼を言うと良いとユリアーナはそう言って微笑んだ。何か含みがあるようにも見えたが、ウルスラはとくに深く考えずにその時は頷いた。
そしてここに来て、数日が過ぎ、ウルスラが少しこの孤児院の生活に慣れてきたころ、ユリアーナに呼ばれた。
「お使い、ですか?」
「ええ、そう。お願いできる?」
「……かまわないのですが、一人で?」
「ええ、そうよ」
実を言えばまだ、ウルスラはこの孤児院から出たことはない。厳密に言えば塀に囲まれた敷地の外、であるが。
だからまさかいきなり一人で外へと行くとは思わず、ウルスラはほんの少しだけ紫の瞳をきょろり、と丸くした。
「大丈夫、ちょっとギルドまで届けに行くだけだから」
「……ギルド?」
「あら……? ええ、そうね。そういえば説明していなかったわね」
ウルスラがよく分からないと言うように首をかしげる仕草に、ユリアーナは一瞬不思議そうに同じように首を傾げた。
だがすぐに気を取り直して、むしろその反応は当然だと言わんばかりに頷き、ウルスラを窓の近くへと連れて行き、視線を外へと向けた。
「ほら、あの塔」
ユリアーナが目の前のそれを指す。
ほんの少し小高い場所にある、巨大な天高く伸びる円柱の塔。窓から見上げてもさらに上へと伸びるそれは、揺らぐことなくそこにあった。
「いつの頃からあったのか分からない。ただいつの間にかそこにあったもの。場所によっては大きさも、高さも、形も違うらしいわ。そしてここの塔は他に比べてとても高い塔なのだそうよ。だからか誰もまだ踏破をしたことがないの」
「……踏破?」
「一番上まで登ることよ。ここよりも低い塔はもう踏破されているらしいけれど、どこも一番上には何もないらしいっていうのは聞いているわ」
「何もないのに、一番上まで登るのですか?」
ウルスラが小さく首を傾げた。するとユリアーナは困ったように笑った。
「ええ、そうよ。彼ら冒険者は皆、それを知っていても踏破を目指すの」
「何のために?」
「ロマンがあるからだそうよ? 私には分からないけれども」
「……私も、分かりません」
ロマン。その為に、人間はあそこを目指していたのか、とウルスラはゆるりと眩し気に紫を細め、再度見上げた。
しかし再度見上げて見たところで何もわかるはずもなく、ユリアーナへと視線を移した。
「それで、ギルドというのは」
「あの塔を攻略する冒険者達のギルドのことよ。もちろん他の塔以外の仕事も請け負ってくれるわ。他の小さな町とかはない場所もあるわね」
「何故、そんなものが?」
「管理の為ね。小さな塔であれば問題ないのだけど、ここまで大きいといろいろと大変なことがあったのよ」
なるほど、管理の為ならば必要なものだ。
ウルスラが素直に頷けば、ユリアーナは説明は終わりと言うようにテーブルの近くまで連れて行く。そしてテーブルの上に置いてあった籠をウルスラに渡した。大きさはウルスラが両腕で抱えられるくらいで、それほど重いものではない。何かいれているようだが、中身は上から布がかぶせてあって確認は出来なかった。
「そのギルドにいる冒険者にこれを届けてほしいの」
「分かりました。けど、これは」
「中身は見ては駄目よ? 出来る?」
にっこりと笑うユリアーナを前に、ウルスラは首を縦に動かす以外のことは選べなかった。
「……あ、その。冒険者の名前は」
「大丈夫、行けば分かるわよ」
なんて投げやりだろうか。しかし行けば分かると言うのはありがたい。
それに、一人で外に出られるということに、ウルスラは心なしか妙に身体中がそわそわと落ち着かないような心地になった。
誰も急かしてはいないというのに、足がすぐに外へと行きたがっているような、そんな心地だった。
「けど、その前に。ちゃんと髪を整えないといけないわね」
このまま行こうか、と思っていた矢先、ユリアーナがウルスラの肩を掴んだ。
「後で、自分で」
「そう言って昨日逃げたの、知っているわよ?」
あまりに見た目に頓着しないで寝起きのまま過ごすウルスラに、誰もがすぐさま口出ししたのは言うまでもない。
今も誰も口を出さなければ、銀糸のような美しい髪の毛先があちらこちらに跳ねさせたまま、お使いにいこうとしていたくらいだ。
早く外へと生きたいウルスラだが、ユリアーナのその笑顔を前に、大人しく従うした選択肢が残されていないことを悟ったのであった。
▽+▽+▽+▽+▽
右を見て、左を見て、そして見上げて。少しつまずきかけて、慌てて数歩足を急いで動かし、道のすぐ端っこへと移動した。
「……人が、多い」
周囲を見渡す限り、いるのは人、人、人、茶色の猫。にゃぁん、と茶色の猫がウルスラの足に人懐っこい様子ですり寄った。
ウルスラは籠が土で汚れないように抱えながらしゃがみ、猫の背を優しく撫でた。
出かけるまえにユリアーナが髪を整えるついでにと、長い前髪を三つ編みにして横に流したりと髪を結ってくれたおかげで前髪がおちてくることなく、視界はとても良好である。とはいえ、今はその前髪がちょっとばかり恋しくなった。
とにかく、今は周囲からの視線から逃げたくて仕方がなかった。
孤児院は町から少しばかり離れていたと言うおかげで、知らない人を見るということはほとんどなく、たまにユリアーナに用があってくる大人が一人、二人だけやってくるのを窓越しに見たのがそれっきり。だから、こんなにも人が多い場所へ訪れるというのは初めてのことだった。
一歩町へと入った瞬間に感じた視線の数々。即座に回れ右をして孤児院へと戻りたくなったが、なんとか踏みとどまり先へ進んだのだ。なんせ大人以外にも子供の姿も見え、その子供達ときたら楽しそうに大人が多くいる中、元気に駆け回っているのだ。そんなものを見てしまったウルスラは、すぐに逃げるなんていう弱気な選択をかなぐり捨てて勇ましく町へと再度踏み入れたのだ。
そして今、見事に進むにつれて足が重くなり、ついには壁際によって猫に慰めてもらっているところだ。
自分よりも大きな体躯の人間達が足早に通り過ぎている。誰も彼もウルスラの姿を見て奇異の目を向けてくるが、しかしそれだけだった。
今、自分は本当に人と同じ姿なのだと改めて自覚した。
「……お前は、呑気だなぁ」
ウルスラはごろごろとご機嫌そうに喉を鳴らし始めた猫に対し、へにょりと眉尻を下げた。
自分は人間達が言う、天使である。その記憶も、その自覚も、ウルスラはちゃんと持っている。
だがあの森で目覚めた自分は、何故か人間の子供。しかも相当幼い姿の女児になり、あったはずの翼はなく、食事というものが必要な身体になってしまっていた。
人間達は天使と呼ぶ自分達を見て、何故か彼らは武器を構えて向かってくる。ウスルラ自身、まだそのような目にはあっていはいないが聞いた話によれば、敵対心を抱いている者が多いと聞いている。
確かに天使であるウルスラ達にとって人間は他動物たちに比べてれば賢く、そして愚かであると言わざるえない。同じ種族である人間が、感情に身を任せて常に血で血を洗うようなことをしているのだ。しかしその反面、様々な手法を使って自己を表現し、限りある生を炎のように生きていく。
ウルスラはあくまで記録の他、他から聞いた話しか人間について分かっていない。だからこそ、人間というのはなんとも興味深く、恐ろしく、しかし目が離せない何かを感じていた。
一体、何がどうなっているのか分からないが、これはこれで人間をよく知るにちょうど良いものだと明るくとらえていた。
みゃあ、と猫が鳴いた。視線を向ければ、もう十分だと言わんばかりに起き上がり大きく尾を揺らした。
「またな、猫」
猫にそう声をかければ、今度は短く鳴いて、足取り軽く猫は人混みの中へと消えていった。
ウルスラはその姿が見えなくなるまで見届けた後、立ち上がり、ぐっと顔をしかめながら同じように人混みの中へと足を踏み入れた。
ユリアーナが書いてくれた地図はもちろん、道をまっすぐに進めばあると言う言葉の通り進んだおかげで迷うことなくギルドにたどり着くことが出来た。
場所は町の中央付近。目の前は大きな広場があり、むしろ迷う方が相当難しい位置にギルドがあった。周囲の建物よりも一回り大きく、ついでに言えばずいぶんと頑丈そうな造りをしている。何やら所々色合いや、建物が部分的に真新しいように見えるが、特に気にしてはいけない気がした。
ウルスラは一つ息をのみ、中央の大きな開け放たれている両開きの扉の影から恐る恐る、中をのぞき込んだ。
中は孤児院とは違って身体の大きな大人ばかりだった。様々な防具を身に着け、腰に剣を佩いた者達。長い杖を持つ者達。もちろんその他の大小さまざまな武器を持っている者達の姿が数多くいた。そしてもちろんだがそこに子供の姿はない。
尻込みそうなウルスラはそこから視線を動かし、建物内部をよく見渡す。
中央は大きな掲示板の他、近くにあるカウンターがあり、そこで大人達が何やら話をしている。そこから右手側を見れば二階へと上がる階段や、扉がいくつか並んでいるだけの空間。では反対側はどうかと思えば、これまた多くの大人達の姿があった。が、中央の空間にいる大人達よりもずいぶんと陽気というか、とても賑やかげに見えた。
大小さまざまなテーブルを囲み、椅子に座って飲み物片手に大声で笑っていたり、何やら話をしていたりしている姿が見える。
一体何を飲んでいるのか少しばかり気にはなるところではあるが、それよりも気になるのは、本当にここに目当ての人物がいるのかどうかだ。
せめて特徴だけでも教えて欲しかったと、孤児院にいるユリアーナに対して、内心文句を垂れ流した。
「……帰ろうかな」
「せっかく来たのにか?」
ぽつり、と思わずつぶやいただけの言葉に、真後ろから反応が返ってきた。全く予想だにしなかったことにウルスラは籠を落としかけ、慌てて後ろを振り返った。
真後ろを見れば、人の足があった。ので、ぐっと見上げてみれば、すぐ後ろにいつの間にか大人が立っていたのに今更ながら気づいた。
ずいぶんと背の高い男が、ウルスラを見下ろしている。驚き固まるウルスラの姿を見て、くすんだ金の髪の合間に見えた吊り目がちな赤い瞳を細めたかと思うとゆっくりとその場にしゃがみこんだ。その際、男の腰に佩いていた剣の鞘の先がが地面の石畳に軽く当たったのが聞こえた。
どうやらウルスラに視線を合わせるためだったようで、ウルスラの目線が会うと機嫌良さそうにまた赤い瞳を細めて薄い笑みを浮かべた。
それを目の前にしたウルスラは何故だろうか、この前初めて口にした蜂蜜のあの甘さを思い出してしまった。
固まったままのウルスラに、男はさらに笑みを深めた。
「元気そうだな」
「え?」
「ほら、中に入れよ。それとも俺が抱えてやろうか?」
言葉の真意を聞く前に男がそんなことを言ってきたものだから、慌ててウルスラは大きく首を横に振った。
耐えきれないと言わんばかりに男は喉奥を鳴らすようにクックッ、と笑いながらくすんだ金の髪を邪魔そうにかきあげながら立ち上がった。
「ほら、来いよ。俺に用があって来たんだろう?」
大きな一歩でギルドへと入った男がウルスラを見る。ウルスラはぐっと籠を抱え直し、その後ろを駆け足で追いかけた。
男が中に入った途端、中央にいた大人達のいくつかは会話を止め、顔を向けてきた。
「おい、ロルフ! こっち来いよ!」
「ちょうど良かった! ロルフさん、ちょっと相談したいことが」
「はいはい、後でなー」
顔見知りか。それともだいぶ仲が良いのか。
ロルフと呼ばれたこの男は軽く手を挙げて答えるだけで、そのまま左手側へと足を進めた。
遠慮ない歩幅ではあるが、ウルスラが何とか追いつける足取りのおかげで追いつくのにそれほど苦労はしなかった。
「ロルフ、その後ろのどうしたんだ?」
「マムのとこの新入りで、俺の客」
「ああ、なるほどなぁ。よぉ、嬢ちゃん」
小さな丸テーブルを間に挟むように座っていた男女の内、片方の男が中央にいた大人達同様に話しかけてきた。そして何か飲み物を片手に陽気にウルスラに手を振る。
ウルスラはどうしていいか分からずに、足を止めた男、ロルフの後ろにそっと身体を隠すように移動すれば向かい合うように座っていた女が腹を抱えて笑い出した。
「あははっ、怖がられてるじゃない!」
「うっせ」
「こんにちは、可愛いお嬢ちゃん」
女は軽くウルスラに手を振った後、片手に持つ飲み物を煽った。
どう反応すれば良いのか分からなかったが、またロルフが移動したのでその後をついて行き、そしてすぐに足を止めた。
ロルフが向かった先はウルスラの背よりも高いカウンターだった。
丸く背の高い椅子が一列に並んでおり、そしてそのカウンターの向こうには大柄な男が一人いた。ロルフが何かを話しかけ、男は小さく頷いている。
と、ロルフは立ち止まったままのウルスラに気づき、ああ、と椅子とウルスラを見て納得したような顔をした。
「ああ、椅子に座れねぇよな」
いや、違う。
けれども、大柄な人間の男に驚いてちょっと怖くなったなんて恥ずかしくて言えず、ウルスラはぐっと顔をしかめるしか出来なかった。
ロルフが軽々とウルスラを抱え上げ、椅子に座らせる。そして自身も隣に座り、カウンターに片肘をついて黙ったままのウルスラを見下ろした。
「ってことで、ようこそギルドへ。マムからのお使い、ちゃんと出来たな」
「……あの」
「ああ、俺はロルフ。気軽にロルフって呼んでくれよ。ロルフお兄さんでもいいぜ?」
「ロルフ」
当然のことながら呼び捨てである。確かに姿かたちは人間の子供ではあるが、中身は天使且つ、もうすでに人間の寿命以上に生きているわけだ。別におかしいところはないし、ただの憂さ晴らしでは決してない。
ウルスラがいきなり呼び捨てをしたことにロルフは器用に片方の眉を上げたが、とくに何も言ってくることはなかった。
「それで、お前は?」
「ウルスラです」
「ウルスラな。それじゃあウルスラ、マムからのお使いは何だったか覚えているか?」
「これ、お届けすることです」
「よしよし、よくできた」
ロルフに促され、ようやく本来の目的を思い出したウルスラはずっと抱えたままの籠をロルフに差し出す。ロルフはそれを軽々と片手で受け取り、カウンターに置いて、ようやくその上の布を取り払った。
「……お菓子?」
「そ。よくできましたって言うご褒美の菓子な」
「……ロルフの?」
「いや、ウルスラの」
一体どういうことか分からず、首をひねればロルフはまた愉快と言わんばかりに喉奥を鳴らすように笑った。
「これはあれだ。俺への挨拶って奴。俺とマムはちょっとした知り合い……みたいな感じでな。孤児院に来た奴らは全員同じようにお使いっていう名前の挨拶を俺にするのが通例みたいになってんだよ」
「……そう、なんですか」
「そういうこと。で、これはちゃんとここにたどり着けたっていうご褒美の菓子な。なんか飲みたいのあったら頼んで良いし、食いたいもんもあれば奢ってやるよ。だから昼飯前に来てもらったわけだし」
なるほど、だからユリアーナがあんな楽し気に笑っていたのかと思い返す。
とりあえず孤児院では食べることが出来ないものを食べさせてもらい、ユリアーナに自慢してやろうと決めた。
「それにしても……なんであんな道端で倒れてたんだ? まぁ、言いたくなかったら言わなくて良いけどな」
「……助けてくれたのって、ロルフですか?」
「おう。なんだ、マムから聞いてねぇのか?」
「剣士、とだけ」
「ああ、なるほどなぁ。マムはこういうのが好きなんだ、覚えとけよ?」
だから最初、元気そうだと言ったのかとウルスラは納得した。そしてこのお使いもそうだが、ユリアーナはどうやら何か人を驚かせることをずいぶんと好んでいる傾向であるらしい。
ウルスラは素直に頷き、しっかりと覚えることにした。
「分かりました」
「お、素直なのは良いことだな。けど、こうも素直だと心配になってくるな。行儀も良いっていうか、物分かりが良いというか……。本当、どこから来んだよ」
「遠くからです」
「遠く?」
こくり、とウルスラは頷いた。
「名前はウルスラです。遠いところから来ました。後は分かりません」
ユリアーナに伝えたものと同じように、最小限のことをロルフに伝える。と、ロルフはユリアーナ同様に目を見開き、ぐっと顔をしかめた。
「それ以外は」
「分かりません」
「……そうか。分かった、が……、記憶がほとんどない奴を一人で送り出すか? ……いや、マムならするな。俺が後からついていたわけだし」
「……え?」
ウルスラは思わず、と言うようにロルフの言葉を聞き返した。
聞き間違いでなければ、どこからかは不明であるがロルフがウルスラの後ろからついて来ていたと言う。
今度はウルスラが紫の瞳をまん丸くすれば、ロルフはわざとらしく肩を竦めた。
「迷子になられちゃ困るし、変な奴らに連れて行かれたりしたら元も子もないから、町の入り口あたりから俺が後ろからついてたんだよ。気づかなかっただろ?」
「……気づきませんでした」
「猫と遊んでいたけど、気を付けろよ? 後ろから知らねぇ大人が来たら逃げられねぇからな?」
「分かりました。けど……猫」
「誰かが側にいる時な。ほら、菓子食えって。で、なんか飲むだろ?」
一人では猫と遊んではいけないらしい。理由が分からずに首をかしげるウルスラをよそに、ロルフが顔を上げた。
「マスター。俺、ビール」
「子供の前だぞ」
「うるせぇ。後、肉」
無遠慮にマスターと呼んだ大柄な男に注文をしたロルフは、またウルスラに視線を向けた。
「ウルスラは何にする? 前に来た奴は果実水にしたぜ?」
果実水。孤児院では滅多に飲めないものだ。あってもやはり水がほとんど。それかミルクが出てくるぐらいだ。
ウルスラは少し迷うように視線を泳がしながら、恐る恐る口を開いた。
「……ホットミルク、を。その」
孤児院でも出てくるものだ。だがウルスラにとっては今や好物の一つになっている。とくにホットミルクのあの安心感は、まさに格別だった。
「甘いのにするか? 蜂蜜たくさん入れてくれるぞ」
「たくさんっ?! あ、うぅ、えっと」
まさしく甘美な言葉に、思わず大きな声が出てしまい、ウルスラは慌てて両手で口を押えた。
ロルフはウルスラのその反応を前に、顔をそむけたかと思うと大きく肩を揺らしてはっきりと大きく笑い始めた。が、すぐにマスターがロルフの頭に迷いなく手刀を落とし、静かにさせた。
「騒がしい」
「ああ? 他の奴らの方が騒がしいだろうが」
マスターは文句を垂れるロルフを無視し、最大限離れた位置からウルスラの目の前に綺麗に切り分けられた果物が盛られた皿を置いた。
「少し待っていなさい」
「……ありがとうございます」
「おい、俺には」
「無い」
また文句を言うロルフを騒がしい声を隣で聞きながら、ウルスラは輝いて見える果物に手を伸ばし、一口、かじるように食べる。
今までで一番美味しい果物だと、ウルスラはそう思った。
「なぁ、ウルスラ」
「やです」
横からロルフが食べたそうにしてきたが、ウルスラはすぐに首を横に振って皿をちょっとだけ遠ざけた。
先ほど笑った罰である。ウルスラは一人、ホットミルクが来るまで甘美な果物に舌鼓を打っていたのであった。
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