第94話

「うっ……ひぐっ……ぐずっ……!」




 鬱蒼とした深夜の森の中に、少女の嗚咽が響く。


 その音が凶悪な魔物を呼び寄せないかと少女は恐怖するが、それでも止まる事は無い。


 もっとも、本人のスキルによってこの少女が出す音を生き物は感じ取れないのだが、少女は魔物相手にこのスキルを使った事は無かったために、恐らくは大丈夫だろうと思いながらも気が気では無かった。








「気をつけて下さいね!」


「わわわわかっています!」


「本当に気をつけて下さいね!?」




 そんなふうに身を案じてくれたエイラも、目立ってはいけないからと城に置いてきた。


 大きくて立派なのに、お金が無くてよく見るとボロボロなお城だけど、それでもティティアにとっては守りたい場所だった。


 皇女として、臣民たちだって守りたい。


 他国の皇女のような立派な生活なんてしていないけれど、それでもティティアは皇女としての矜持を捨てたくなかった。




 本当は怖くて怖くて仕方が無かった。




 身の回りで唯一心を許せる友達であるエイラが、自殺行為としか思えない事をしようとしていたので、思わず自分が行くと言ってしまった。


 ティティアのスキルを使うなら護衛が居ないほうがいいからと、こんな危険地帯に1人で踏み入っている。


 12歳の少女にとっては、今まで体感した全ての恐怖を合わせたよりも怖いことだろう。


 そこかしこで得体の知れない生き物の息遣いが聞こえ、恐らくその全てが自分を簡単に殺せる生き物たちなのだから。




 ティティアのスキルは魔力効率が良く、一度発動してしまえば解除しない限り魔力をそれ以上消費せずに済む。


 そのため、ティティアの隠密関連のスキルさえ通用するのであれば、例えミュルクの森だろうと突破できるとティティアは考えていた。


 だけど、こんな深い森の中に入ったのなんて、彼女にとっては初めての経験。


 そもそも、城から大して出たことも無いインドア派の人間だった。


 別に本人がそれを望んだのではなく、軽い軟禁状態だというだけだが、いずれにせよ進行速度は中々上がらない。




 セリカたちは、この森を身体強化で一昼夜走り続けて抜けて行ったが、ティティアにそんなストロングスタイルの探索は不可能。


 そのため、恐怖で頭がどうにかなりそうで、涙が止まらないこんな状態でも、コンパスを頼りに地道に歩くしかなかった。




 一応今は日中であるにもかかわらず、薄暗い森の中。


 人が立ち入った形跡はまったくない。


 ここで迷おうが、魔物に襲われようが、誰も助けには来れないだろう。


 トラブルが起きた時点で自分の生存は絶望的という状況は、例え大人であろうと精神を蝕む。


 ティティアには、既にこの森の中で聞こえる全ての音が、魔物によって発せられたもののように感じられていた。


 心が休まる瞬間など無い。




 まあ、実際殆どの音が魔物によって出されている物なので、気を休めたらいけないのだが。






 既に、ティティアが森に入ってから6日が経っていた。


 最後の食料も昨日切れてしまっている。


 城の数少ない使用人が持たせてくれた芋団子。


 ティティアが大好きなそれを最初の2日で食べ終えて、その後は欲し芋で食いつないでいた。


 ティティア本人も、使用人たちも、もっと多くの食料を持たせたかったが、聖教から配給されている状態の皇族にはこれが限界だった。


 使用人たち数人分の食料と、万が一に備えて日々の食料から少しずつ作っていた保存食を全て持ってきていたのだから。




 もし万が一余剰分の食料を見られれば、そんな余分な食料はいらないのだなと難癖をつけられまた配給が減らされる。


 皇族相手であれば、そんな待遇が罷り通っていた。


 それでも文句を言えない程に、皇族の力が弱まっていたという事でもある。


 聖教側は、国民からの印象を気にして皇帝制度を残したままにしていたが、そろそろその歪な関係も限界に近い。


 どこかで崩壊が始まるのは目に見えているといったタイミングだった。




 夜になったら木の根元の窪みでビクビクしながら眠り、比較的明るい日中は歩き通しだったが、あとどのくらい歩けば森を抜けられるのかなんて全くわからない。


 そもそもこの森の地図なんてものは、ティティアはもちろんこの世界の誰も持っていないだろう。


 常に命の危険があるゴールの見えない冒険の連続に、既にティティアは限界を迎えつつあった。




(私は、ここで餓死してしまうのでしょうか……?それとも発狂なんてこともあるかもしれません……。お水さえ飲んでいれば、比較的人間は長く生きられるとは聞きますが、こうやって歩き続けて汗をかいているなら話は別でしょう。これだけ歩いても魔物に見つからない以上、彼らに食い殺されることは無いでしょうけど……。エイラや貴族家当主の皆さんの前でついつい格好をつけてしまいましたが、無様なものですね……。できれば、テレビでみたあのパフェと言うものが食べて見たかったです。)




 ティティアは、次第に絶望し始めていた。


 それでも、前に進むことだけはやめなかったが、後ろ向きな考えばかりが浮かんでくる。


 例外は、食べたことが無い美味しそうなものを想像することくらい。




 その時、視界の右端を何か通り過ぎた。


 直後、背後から響く轟音と突風。


 何事かと見てみるが、木々が鬱蒼としていて見渡すことができない。




 ティティアが謎の現象に混乱していると、今度は先ほどとは逆側を光の束が通り抜けた。


 先程と同じように、また轟音と突風がくるが、今度は熱もすごい。


 左右を塞がれたティティアは、覚悟を決めて先ほど光るの束が通った方へと向かった。




 そこには、森の中に広い道ができていた。


 木々が消し飛び、そしてその先にあったと思われる岩山は、何かで抉られたような形に削れている。


 光の束がやってきたと思われる方向をみると、何かとてつもなく大きな人の形をした何かがある。


 分けが分からないけれど、完全な森の中を歩くよりは、今できたこの通り道を行く方が進みやすそうだ。


 幸い、進むべき方向も合っている。


 ティティアは、謎の人型物体に向かって歩き出した。






 人型物体に歩きはじめてから1時間程。


 ティティアの耳に、聞きなれない音が聞こえ始めた。


 何か空気を噴出しているかのような、もしくは金属同士が擦れあうような、そんな不思議な音。


 それが、どうやらこちらへ向かってくる。




(なんでしょう?虫型の魔物か何かでしょうか?)




 ティティアの能力は無敵ではない。


 生き物から発見されなくなるだけであり、走ってくる魔物に体が触れればもちろんケガをする。


 なので、近くに魔物がいる時には必ずケガをしないよう木の陰などに隠れることにしていた。




 隠れた直後にティティアの前に現れたのは、金属製ゴーレムのようなもの。


 それが無機質な目で、木の陰から様子を伺ったティティアを見ていた。




(……あ、もしかしてゴーレムには私のスキルが効かないのでしょうか!?)




 瞬時に体を恐怖が襲う。


 この森に入るまで魔物というものに全く触れてこなかったティティアには、ゴーレムに関する情報なんて無かったし、もちろん対処法なんて全く思い浮かばなかった。




 先程まで、餓死するかもなんて思っていた時とは打って変わり、今この瞬間強く死を意識してしまったティティア。


 気がつけば、股間にはシミが広がり、冷や汗が滝のように出て、呼吸は荒くなっている。


 それでも、脚は震えて全く動けない。




(うごかないと!にげないと!うごいて!うごいて!!)




 うまく回らない頭を懸命に働かせながら、何とか生き延びようとするティティア。


 しかし、彼女が想像した未来は訪れなかった。




『あー、あー、聞こえてるよね?ここはピュグマリオン男爵領だ。そしてこのロボット……ゴーレムは、ピュグマリオン男爵である俺が今操作してる。キミが何者か教えてほしい。』




 何故かゴーレムから人の声がする。




(今、何と言いましたか……?ピュグマリオン男爵……!?)




 噓か誠か、そのゴーレムからは、自分が探し求めた者の名前が聞こえてきた。


 頭がおかしくなった自分が見ている幻かもという気持ちも生まれたけれど、それよりなにより、ティティアは安堵していた。


 例え幻だとしても、もうこれ以上は耐えられなかった。


 だから、正直に聞かれた事に答える事にする。




「わわわたしは!」


『焦らなくていいぞ。落ち着いて話してくれればいい。』


「は……はい……。」




 緊張で舌が回らなかった。


 唇も震える。


 曲がりなりにも皇女としてあまり褒められた対応ではなく、とても恥ずかしい。


 それでも、何とか気を取り直し自己紹介をする。




「私は、真聖ゼウス教皇国第1皇女、ティティア・アストレアと申します!」


『…………そっか。少し待ってね?』


「え?はい……。」




 今度は、とりあえずちゃんとできたと思ったのに、何故か困惑されてしまった。




(……もしかして、他国の皇女がこんな所に1人でいるなんてとても不自然な状況なのでは無いでしょうか……?それに、よく考えたらどうやって私が皇女だと証明しましょう……?)




 あまりに初歩的なミスに、自分で自分が嫌になってしまうティティア。


 彼女は、今までに外交と言うものをしたことが無い。


 式典に呼ばれたとしても、外国の要人相手の場合挨拶をするくらいで、話し合いに関しては全て聖教の者たちが執り行っていた。


 だから、ティティアがミスをしてしまったとしても仕方ないといえば仕方ないのだが……。




『ティティア皇女、今確認が取れました。これからそのゴーレムで安全な場所までお連れしますので、中に乗り込んでください。』


「え!?確認って……?」


『貴方の国の聖女様が貴方の顔をご存じだったので、間違いないだろうとのことです。さぁ、お早くお乗りください。』




 聖女という言葉に、そう言えばエイラがそんな事を言っていたなと思い出す。


 たまたまここにピュグマリオン男爵がいて、更に聖女までいたという幸運に、ティティアは運命すら感じてしまっていた。




 ゴーレムの手に乗せられ、そのまま胸のあたりまで運ばれると、扉が開いて中に部屋のようなものが見えた。


 入ってみると案外広く、壁には外の景色が映っている。


 ティティアが乗り込んですぐ、扉が閉まってしまい、一瞬自分が閉じ込められたのかと怖くなるも、よく考えたら、ここだと危険性は外にいても変わり無いなと思い苦笑いが出てしまった。




『随分長い間森の中にいたようですが、お腹空いてませんか?』




 不意に質問が投げかけられ一瞬戸惑ってしまうも、多少の羞恥を押し殺して正直に答えることにした。




「少し……。食料が昨日尽きてしまい、どうした物かと思っていました。」


『そうですか。でしたら、そこの座席の裏にある箱の中に非常食が入っていますので、よろしければどうぞ。』




 そう言われ、部屋の中央にある座席の裏側をみると箱があり、蓋が一人でに開いた。


 中には、何かの容器のようなものがあり、栄養ゼリーと書かれている。


 容器の裏側を見てみると説明書きがあり、どうやら上の蓋をねじることで開け、中身を飲むものらしい。


 早速やってみると、蓋は案外簡単に開いた。


 試しに中身を飲んでみると、爽やかな香りのする甘い物が流れ込んできた。




「何ですかこれ!?とてもおいしいです!」


『え?そう!?よかった!……あ、よろしゅうございました……?』




 素直に賞賛されたのが嬉しかったのか、ピュグマリオン男爵の口調が一瞬砕ける。


 きっと素の彼は今の砕けた感じなんだろうなと思うティティア。


 そういえば、エイラがピュグマリオン男爵の事を権力に興味が無いと言っていた事を思い出し、庶民的な人間なのだろうなと推測する。




『このゴーレムにはシャワーと洗濯機の機能もついてるんですよ。見た所ティティア皇女殿下はかなり埃にまみれてしまった様子ですので、良ければお試しになりませんか?』


「え……?で、ですが、私は着替えの持ち合わせが無くて……。」




 ティティアとしては、一張羅の服を着てきたつもりだけど、実際森の中を歩いた結果ボロボロになって、汚れていた。


 年頃の女の子としては、やっぱり恥ずかしい。




『それならばご心配なく。先ほどの箱の下の箱に着替えもありますので。その箱たちの後ろ側の大きな箱は洗濯乾燥機なので、脱いだ服はそちらに入れてしまってください。あ、濡れて困るものは、先ほど非常食が入っていた箱に入れて頂ければ守れますよ?』




 説明を聞き確認してみると、確かに下の箱には何か服のようなものが入っており、後ろ側にある箱は何か魔道具のようだった。


 先程恐怖で漏らしてしまっていたこともあり、仕方なく服を脱いで洗濯乾燥機と言う物に入れる。




「あの……、服、脱ぎましたけど……?」


『そうですか。いまこちらからは中が見えないので反応が遅くなりすみません。今から自動で体を洗う機能を作動させますので、ちょっとびっくりするかもですが、安心して身を任せてください。』


「自動で体を洗うのですか!?」




 ティティアの驚きの声を聞き終わる前に、何かが動き出した。


 金属でできた腕のようなものが出て来て頭をブラッシングしてくれる。


 それが驚くほど丁寧で、あまりそのような事をしてもらった経験のないティティアは困惑するが、恐らく外国ではこれこそが湯浴みの作法なのだろうと覚悟を決める。




 プラッシングの後は上から暖かいシャワーをかけられ、今度は液体の石鹸のようなものも掛けられる。


 泡立ててごしごしと洗われたあと再度シャワーをかけられ、その後も何度も髪に何かの液体をかけたり馴染ませた人を繰り返される。


 それとは別にもう一組の腕まで出て来て、そちらは体を洗い始めた。


 土と垢と埃と、乙女的にちょっと言えないもので汚れていた体をどんどん奇麗にされていく。




 仕上げにシャワーで全てを洗い流し、温風で体を乾かす所までされてしまう。




(なんなんでしょうかこれ……。魔女の見せる幻影とでも言われた方がまだ信用できますねぇ……。)




 あまりに気持ちよかったため、軽く夢見心地になるティティア。


 しかし、自分が全裸である事を思い出し、慌てて先ほど教えてもらった着替えを取りに行く。


 その服は、あまり触ったことのないのっぺりした生地でできており、少し不安になってしまったけれど、今までの対応から察するに悪い物では無いのだろうと考え、一思いに着てしまう。


 すると、何故か袖を通した瞬間体にピッタリのサイズに変わり、肌触りも高級なシルクのようになった。




 まあ、ティティアはシルクと言う物を身に着けたことが無いので、なんだかツルツルで高そうだという印象しか持てないのだが。




「すみません、着替え終わりました。」


『自動洗髪機能と体洗い機能の使い心地はどうでした?』


「……正直、とても気持ちが良かったです!」


『しゃあ!』




 聞こえてくる声が弾んでいる。


 どうやら、何人かの女性も一緒にいるようで、彼女たちと喜び合っているらしい。


 何故かはわからないけれど、とにかく嬉しかったようだ。




「服もとても着心地が良いです。最初は不思議な感触でしたけど、着たらとても着心地が良くなりました。」


『喜んでもらえたようで幸いです。その服、槍も矢も通さない特別製なので、良ければそのまま着ていて下さいね。』


「それは……、ありがとうございます。」




 聞く限り、この服がとんでもない物であるようだと気がつき、緊張するティティア。




(この服は、魔道具と言う事なのでしょうか?こんなものがあるなんて聞いたことがありません……。)




 自分がこれから交渉しようとしている相手の底知れなさに、今更ながら息を飲む。


 だけど、多少食事ができたのと、シャワーを浴びたことで気力が復活し、決意を新たにすることができた。




 しばらくすると、どうやら目的地についたようで、部屋の中にも動きが伝わってきた。


 少しの振動の後に扉が開く。




 外には、テレビで見たピュグマリオン男爵と、数人の女性たちがいた。


 その中には、見覚えのある者もいる。


 彼女が聖女マルタで、きっとその隣で剣を持っている女性が勇者セリカだろうとアタリをつける。




「ようこそ、ティティア皇女殿下!とりあえず、話はあとにして、まずは食事にしませんか?」


「……え?」




 すぐさま尋問なり話し合いなりが始まると思っていたティティアは、少し虚を突かれてあっけにとられる。


 しかし、ティティア自身とても空腹だったために、それを受け入れることにした。


 ゼリー飲料1つだけじゃ、成長期の少女には全く足りていなかった。




「お心遣いありがとうございますピュグマリオン男爵。では、そのようにお願いします。」


「わかりました。まだ幼いのに、こんな森の中を1人で歩いていたのですから、お疲れでしょう?どんどん食事を用意しますので、好きなだけ召し上がってください。」


「ありがとうございます!先日12歳になりましたが、まだまだ威厳が無くて皇族らしさが足りない自覚はあります。できれば、護衛をしてくれるホーライ伯爵のように凛とした女になりたいとは思っているのですが、なかなか……。」


「……12歳?」




 その言葉を聞き、何かが気になったのか顔を顰めるピュグマリオン男爵。


 何か気に障るような事を言っただろうかとティティアが不安になっていると……。




「失礼、少々お伺いしたいのですが、皇女殿下は普段どのような食事をとってらっしゃいますか?」




 予想外の質問に、流石にどう答えたものかと考えるも、あまり料理の種類を多く知っているわけでもないティティアには、誤魔化す手段が無かった。




「ええと……お恥ずかしながら、普段はお芋ばかりです……。」




「おいマルタ、セリカ!」


「え?何?」


「なんでしょう?」


「この娘に腹いっぱい食わせてやるぞ!サポートしろ!」


「わかった!」


「かしこまりました!」




 何故か勢い込むピュグマリオン男爵と聖女様たち。


 それを無視して猛然と食べている後ろの女性たちもそれはそれで気になるティティアだったが、そんなことはマルタに食べさせてもらった魚の味を感じた瞬間に全てがどうでもよくなった。




「おいしい!おいしいです!すごくおいしい!こんなのたべたことがありません!」


「よく噛んで食べてくださいね?あとでカップ焼きそばとポテチとコーラも持ってきますから。」


「よくわかりませんがわかりました!」




 そこには、痛々しいほどに皇女足ろうとする少女ではなく、普通の女の子がいた。






「お父様、あの娘を太らせて食べるつもりなんですの?」


「食わねぇよ?」




不審な会話が聞こえた気がしたけれど、ティティアは敢えて聞かなかったことにした。



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