第4話

「うん!」


 大きく頷いて、ふうは次の花火を選び始める。

 それからしばらくは二人隣り合って花火を咲かせ続けた。時折、興奮したふうの声が零れて、それに花火が小さく同意する。その後、花火が半分ほど終わる頃になると、ふうはいつの間にか花火から少し離れたところに立って、


「見て、ハート!」


 と、ピンク色の火が出ている花火の先をハートの形に素早く動かす。光の軌跡が暗闇にハートを描いた。花火の雰囲気に吞まれたのか随分とテンションが高い。いや、こちらが普段通りのふうなのかもしれなかった。公園で出会ったふうが大人び過ぎていたのだ。


 ふうの花火のピンク色の火が消えて辺りが暗くなり、花火は自分の持っていた花火も随分と前から火が消えていたことにようやく気づいた。


(しまった、忘れてた……)


 今、自分が手に持っている花火が何色の火を出していたのかもわからない。

 花火に対する冒とくもいいところだな、と反省しながら消火する。次の花火を選んでいると、てこてことふうもやって来た。


「えっと、次はね」


 数秒だけ悩むそぶりを見せて、すぐに何か閃いたように頷くと二本の花火を選んだ。火を点けて再び花火から離れていく。


「ね、めっちゃ綺麗! めっちゃすごい!」


 興奮気味に話すふうの右手から赤色の、左手から青色の花火がそれぞれ溶け合って、ぼんやりとふうの表情も暗闇に映し出される。

 冬の寒く暗い空間を彩る花火に負けないほどに煌めく可憐な笑みを浮かべるふうに思わず見惚れたように見入ってしまった。

 一瞬でも気を抜こうものなら、ふうの浴衣姿が目に浮かんでしまうほどに。なんなら、花火はお面や水ヨーヨー、りんご飴を持ってお祭りを満喫している具体的なふうの姿を描くことができた。


(いやいや、さすがにそれはキモすぎるぞアタシ……)


 いくら何でも年下の女の子相手にこれほど妄想を重ねてしまうのはドン引きものだろう。見惚れたようにではなく、それは見惚れてしまっている。

 と、花火の視線に気づいたふうがこてりと可愛く首をかしげた。


「花火、どうかした?」

「え? えっと――」


 思わず雰囲気に呑まれて恥ずかしくて死んでしまいそうな言葉を流れのままにポロっと口走りそうになり、なんとか飲み込んだ。

 次の花火を選ぶため、こちらへ戻ってきたふうに代わりに違う言葉をかける。


「楽しそうだなって」

「うん。すっごく楽しいよ」

「それはよかった」


 照れ隠しも込めて笑みを向けると、ふうは「うん!」ともう一度大きく頷いた。

 それからは、ふうも離れていかず最初と同じように二人並んで花火をして、話して、花火をして。あっという間に花火は一種類を残すのみとなってしまった。


「あとは線香花火だけだね」


 花火の〆=線香花火というのは誰が考えたのだろう。決まりではないはずだが、どうしても線香花火を最後に残して、締めにしてしまう。

 さすがのふうも線香花火でははしゃぐつもりはないらしく、先ほどよりも随分静かに火を点けていた。穏やかながら吹いていた風も察してくれたように止まり、抜群のコンディションが整う。

 二人そろって火が点き、低い姿勢のまま火花を見守った。


 線香花火には起承転結があり、その様子で人間の一生を表していると言われている。

 火が点いてすぐ、ふっくらと丸い火の玉の状態を牡丹。パチパチと音を立てて大きな火花が激しく散るのが松葉。やがて音と火花が小さく細くなっていくと柳。最後に小さな火花が散りゆき、燃え尽きていくのが散り菊。

 線香花火に切なさや儚さを思うのは、これらの物語を無意識のうちに感じているからかもしれない。

 ぼんやりと花火を眺めていると、不意に隣からふうが「ね」と提案する。


「花火、どっちが長くできるか勝負しよ」

「ん、いいよ」

「それで、負けたら勝ったほうの言うことを聞くことね」


 その言葉にふと幼い頃、母親と姉と三人で線香花火で誰が一番長く火をつけていられるかの勝負をした記憶がよみがえった。


(………)


 ついでに姉に勝負に負けてしまって、もう一回もう一回と駄々をこねていた記憶まで鮮やかに思い出してしまう。


「花火?」

「あ、ごめん。いいけど、ふうちゃんもほんとにいいの?」

「うん、いいよ。負けないもん」


 自信満々に宣言したふうだったが、


「あっ」

「よし、アタシの勝ちね」

「も、もう一回。今のは練習だから」

「えー、そんなこと言っちゃうの」


 お願い、と両手を合わせるふうの姿に、花火は幼い頃の自分を見た気がした。


(まいったな……)


 儚く淡い線香花火の灯が見せた夢かもしれない。

 あの頃の花火の家は今では考えられないほどに仲良しで、喧嘩ではなく笑い声が絶えないでいた。それを今でも覚えている、思い出せる自分に少し驚く。

 同時に胸の裡に知らない間に空いていた小さな穴に隙間風が入り込んだようなソワソワ、ゾワゾワとした感覚が芽生えた。


「……いいよ、しよっか」


 誤魔化すように次の線香花火を手に取って、ふうにも手渡す。

 お互い同時に火を点けて、すぐに二回戦(ふうが言うにはこれが本番らしい)が始まる。今度はふうもコツを少しつかんだのか、どちらの花火も寿命が長い。


「ふうも髪、染めようかな」

「……は?」


 突然の言葉に思わず聞き返す。


「な、なんで?」

「花火の髪、かっこいいし」

「そういってくれるのは嬉しいけど、学校で禁止されてるんじゃないの?」


 言いながら、自分が初めて髪を染めた日を思い出す。

 怒られたこともびっくりされたことも思い出せなかった。ただ覚えているのは姉が「かわいいじゃん」と褒めてくれたこと。昔から感覚的にセンスのいい姉に褒められたのが嬉しかったのを覚えていた。


「それに、お母さんもお友達もびっくりしちゃうと思うけど」

「……別にいいもん」


 俯ぎ加減で答えたふうの顔は薄暗くてはっきりと見えない。だが、花火の目にはふくれっ面をしているような拗ねているような、そんな表情に映った。


「学校なんて好きじゃないし、友達も……今日だって」

「今日?」


 こくん、と小さく頷いて、ふうはしばし黙り込んでしまった。

 花火もふうも勝負の最中であることは忘れ、どちらの線香花火も散り菊となり消える。

 そして。


「……ふうね」


 ふうがぽつりと切り出した。


「学校であんまし上手くできてなくて」

「うん」

「今日、ほんとはお泊り会だったの」


 ふうが持っていた荷物がたくさん詰められたリュックサックはお泊り会仕様だったらしい。それであの量と重さだったのか、と花火は納得する。


「みんなと仲良くなれるチャンスだと思ったんだけど……」


 俯いて、ふうは一度言葉を区切った。線香花火の火は消えてしまい、その表情は見えない。


「でも、さっき行ったらなしになったって言われて」

「え? お泊りする子のお家まで行ったのに?」

「うん。やっぱりなしって」

「……それって」


 つい余計なことが口を衝いて出そうになって飲み込む。

 ふうの口ぶりから察するにお母さんに車で送ってもらったとか、荷物を持って一緒に行ってもらったわけではなさそうだ。そんなの、嫌がらせである。いや、ふうを誘ったその子たちからすれば、その通りなのだろう。


「あのね。でも出かけるとき、お母さんすごく嬉しそうだったから……帰れなくて」

「ふうちゃん……」

「こんなの、花火に言っても困っちゃうよね」


 今にも泣きだしそうな震える声でふうはくしゃりと最後の力を振り絞るようにくしゃりと笑みを作った。

 その顔に花火はなんと声を掛けたらいいかわからなくて、とっくに火は消えている線香花火をじっと見つめていた。


 ふうたちのクラスを見たことがあるわけではないから、今の話だけで判断するのは尚早かもしれない。だが、少なくともふうにとって楽しい場所でないことは確かだ。それでも、ふうは一歩踏み出してお泊り会へ行った。なのに結果はこれだ。何故か夜に花火と花火をしている。

 花火はふうの手から随分と前に知らぬ間に一生を終えた線香花火を受け取り、浅瀬に入れて消火する。そして、新しい線香花火に手を伸ばした。


「…………」


 が、そのまま何も取らず、ふうに身体を向けて両手を広げた。


「……ん」

「な、なに?」

「寒いでしょ。来(き)な」

「……うん」


 ぎゅ、と躊躇いがちにゆっくりとふうが抱き着いてくる。

 背中に回された両手がかすかに震えているのは寒さのせいでも、線香花火をずっと集中して持っていたせいでもないのだろう。花火もふうを優しく包み込むように抱きしめ返し、柔らかな黒髪をそっと撫でる。


「花火、あったかい」

「そうだね。あったかい」


 時折、ふうが鼻をすするのが聞こえる。ふうが袖口で目元をゴシゴシと擦る。花火はただ頭を撫でて、背中を優しく叩く。それからどのくらいが経ったのだろうか。

 数秒だったような気もするし、数分だったような気もする。

 いつの間にか泣き止んでいたふうがくすっと笑った。


「花火っていい匂いがする」

「まーじか。そういえば今日まだお風呂入ってないし、あんまり匂わないでほしいんだけど……」

「ううん、ふうは好き」

「……そっか」


 それでも花火から手をほどくこと、身体を離すことはできなかった。

 もう一度、ふうがゴシゴシと袖をぬぐう。そしてゆっくりと花火から身体を離そうとするのが伝わってきた。


「もういいの?」

「うん」


 お互いの身体を離すと、ふうは少しだけ赤くなっている目元のまま、照れ隠しのように「えへへ」とはにかんだ。


「ありがと」

「ん」

「なんか、ほんとのお姉ちゃんみたい」

「そう? アタシ、妹なんだけどな」

「そうなんだ」

「うん」


 残っていた線香花火が終わる頃にはロウソクも随分と短くなっていた。もう数分もしないうちに全てのロウが溶けてなくなってしまうだろう。それは本当の意味での花火の終わりを現しているようで、花火はロウの最期を見届けずに消火した花火をレジ袋に入れて立ち上がった。


「そろそろ帰ろうか」

「……うん」


 が、ふうは後ろ髪を引かれているのか、物惜しそうにロウソクを見つめている。


「ふうちゃんのお家、どっち?」

「あっち」

「ん。行こう」


 花火が歩き出すとふうもついてきた。傾斜を上がって河川敷から土手道に出る。

 当然、花火とふうの他には人の姿はなく、空には月と星が花火のように輝いていた。

 と、しばらくは花火の後ろをついて歩いていたふうが花火のコートを掴む。


「花火」

「んー?」


 首をかしげると、若干目を泳がせ気味にふうが躊躇をしてもごつきながら、小さな声を出す。


「手、つなぎたい」

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