第2話
(……これ、どうするかなぁ)
正直、子供はあまり好きではなかった。
うるさいし、すぐに泣くし、今は花火したいし。
しかし、後日になってこの公園で誘拐事件がありました、なんてニュースを見た日には寝覚めが悪いなんてものではない。スマホは持っているだろうから両親に連絡を取るか、一緒に交番に行くか。なんにせよこのまま放ってはおけない。
(めんどくせぇ……)
ため息を吐いて花火は少女のもとへゆっくりと歩み寄る。
よし、足はあるな。幽霊じゃないな、とそっと確認してから、努めて柔らかな口調で声をかける。
「大丈夫?」
「…………」
一瞬だけ鼻をすするのが止まったが返事はない。すぐにまた鼻をすするのが聞こえた。
どうしたものかと考えていると、ベンチに置いてある水色のリュックサックが目に留まる。女の子のものと思われるが、随分と中身が入っているようだった。
「名前は?」
「…………」
またも返事はない。
代わりにひゅうと風が吹いて、花火は身を震わせた。
答えてくれるまで待ってもいいが、このままじっと待っているだけなのも寒い。
それに飲み物を買いたかったのでもう一度、自動販売機の前に戻った。少し悩んでミルクティーとはちみつレモンを一つずつ購入してベンチに戻る。
「ん」
どっちが好みかわからないので二つともを女の子に差し出す。
顔を覆っている手の指の隙間から差し出された飲み物のラベルが見えたのか、ようやく女の子が顔を上げた。
「……」
「――ッ」
こちらを見つめる顔が驚くほど整っていて思わず息を呑む。
艶やかな闇色の長い黒髪。雪のように白くきめの細かい肌。長い睫毛。なにより最も引き込まれたのは澄んだ空のような青色の瞳だった。チープで在り来たりな使い古された例えだが宝石のようという表現がぴたりと当てはまる。ハーフかクォーターなのかもしれない。
今はまだあどけなさが残っているものの、近い将来美人になることが約束された顔をしていた。
「飲めば? 寒いでしょ」
「…………」
無言で頷いて女の子は迷わずミルクティーを受け取った。
泣いているのにロイヤルな気分らしい。
だが、寒さで手がかじかんでいるようで、なかなか蓋が開けられないようだった。女の子は手袋を外して再挑戦してみるも蓋はびくともしない。その様子を花火はじっと見守っていたものの、次第に女の子の瞳に涙が滲み始めたので、すかさず手を伸ばす。
「……貸して」
蓋を開けて女の子に返すとすぐにこくんとミルクティーを飲んだ。
涙も引っ込んでくれたようでほっとする。
安堵の息を吐きながらリュックを間に挟んだベンチの隣に花火も座り、自分の分のはちみつレモンを一口飲んだ。温かい甘さが広がって程よい酸味ですっきりとした後味がほのかに口内を満たす。
隣を見ると、女の子は何度かミルクティーを飲んでいたのですぐには質問をせず、タイミングを見計らって声をかける。
「で、名前は?」
「……ふう」
「ふう……ちゃん?」
「ん」
小さく短い首肯をして、ふうはこちらを見てこてりと首をかしげる。
「お姉さんは」
「アタシ?」
人に名前を聞いたのだから、自分も名乗るのが当然かと告げる。
「花火。雪野(ゆきの)花火」
「花火」
「呼び捨てかよ」
今さっきお姉さんと呼ばれたばかりなのに、名前を教えた途端に呼び捨てされるとは。
「花火」
「……」
もう一度ふうに呼び捨てで呼ばれて、もういいやと諦める。
さすがに呼び方ひとつで年下――それも小学生なのでかなり年下――に目くじらを立てる花火ではない。
呼び捨ては心を開いてくれている証であろうと受け取ることとした。
そんなことより。
今の状況を見て、聞かなければならないことがある。花火の呼び方などささやかな問題だった。
「それで」
ちらと横目を向ける。
ふうは両手で大事そうに抱え込んでいるミルクティーを眺めながら、足をぷらぷらと前後に動かしていた。
「ふうちゃんはここで何しているの」
「……野宿」
「いや死ぬわ。冬の野宿舐めんな」
昨今はキャンプが流行っており、冬に行う人もいるという。だが、冬のキャンプは危険だとテレビの特集でしていた。
たしかにふうのリュックを見る限りではお泊りができそうではある。とはいえ、キャンプと野宿は別物であるし、小学生が一人で冬の公園野宿を敢行するとは常識的に一般的に考えてありえないことだった。
「……もしかして、家出?」
「ううん」
「え、ほんと?」
最もらしい理由を挙げたものの、あっさりと否定されてしまって花火は肩透かしを食らったようだった。思わず聞き返した花火にふうは「うん」と素直に頷く。
ふうが嘘を吐いているようには見えなかった。
では、どうしてふうは荷物がたくさん詰まったリュックを持って夜の公園に一人でいたのだろうか。噂に聞いたことのある夜逃げは一家でならまだしも、ふう一人ではありえないだろう。そもそも今の時代にも夜逃げがあるのか花火は知らないが。
うむむ、と花火が逡巡していると、
「ね」
「ん?」
「花火は何してるの?」
「別に、ふらふらしてただけ」
「ふーん」
と、つまらなさそうに返事をしたふうは、花火が持っていたレジ袋が気になったのか、じっと見つめて問いかけてくる。
「それ、何持ってるの?」
「これ?」
袋を掲げて見せると、ふうが「うんうん」と二度首を縦に振った。
一瞬だけ見せていいものか躊躇ったが、別に見せられないものでもないので袋を広げて中身を見せる。
「わ、一緒だ」
「そそ。だから買った」
花火という名前のせいか、昔から花火は花火が好きだった。名前が違っても好きになっていただろうが、そのおかげで特別に愛着が湧いていた。
「寒いのに花火するの?」
「する」
「どうして? 普通、夏じゃない?」
「どうしても何もアタシがしたいからってだけ。寒いとか、普通は夏にするとか関係ないよ」
「そう、なんだ」
「例えば……ほら。お雑煮だって、お正月にしか食べちゃいけない決まりはないでしょ? かき氷だって冬に食べてもいいし」
「おぉ、たしかに」
「そういうこと。他の人がどう思うかは知らないけど、別に自分は自分でやりたいことをやっていいんだよ。自分の気持ちが大事なんだから」
言い終わってから、知らない小学生を相手に何だか恥ずかしいことを言ってしまったかもしれないと少しバツが悪くなる。ふうが茶化さずに聞いてくれたのがせめてもの救いであった。
「花火」
「ん?」
「ふうもしたい」
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