第9話 夜空のキャンバス
学校帰りの公園での如月くんとの偶然の出会いに、私は戸惑っていた。
どうしよう⋯⋯今はちょっと意識しないで話せそうにない⋯⋯。
教室で別れるほんの一時間ほど前まで普通に話せていたのに。つい先ほど電車内で話したあの人との――
忘れていたわけじゃない、でも病み上がりであることを思わせるようなそぶりを彼は一度も見せなかった。今もそう。私たちを照らす涼しげに揺れるしだれ柳の木漏れ日のような穏やかな表情と声は、憂いでいた私の心を少し軽くしてくれる。
「奇遇だね。今帰り?」
「うん、ちょっと寄り道。如月くんは?」
「俺も似たようなもんだよ。通りかかっただけ」
「そっか」
何となくこの話題は深く踏み込まない方がいいと直感的に思ったけれど、話題を変える気の利いた返しが思い浮かばず会話はここで途切れてしまう、そう思った矢先――。
「付き合ってくれる」
「――ふぇっ!?」
さっきの告白があった直後というのもあり、唐突な台詞に自分でも驚くほど過剰に反応してすっとんきょうな声あげてしまった。「そういう意味じゃないよ」とちょっぴり悪戯な笑顔を作って見せた彼は、公園隣接の市立図書館を指差した。
「よかったら、校外学習のレポート一緒にやらない?」
* * *
公園隣接の木造作りの市立図書館は、まだ日が高い時間帯ということもあり、小さな子供からお年寄りまで幅広い年齢の人たちが利用している。私たちは読書室という名の主に同世代の中高生が学習室として利用する読書室ではなく、窓際に10席以上設けられた四人掛けのテーブル席に向かい合って座った。私はテーブルの上に筆記用具とレポート用紙を準備し、如月くんは着席前に立ち寄った美術関連と天体関連の本棚から持ってきた本を置いた。
私は美術関連の本を手に取り、美術館で見た絵画が載っているページを開く。スマホで見直そうと思っていたけど、時代背景など詳しい解説なんかも書かれていてとても参考になる。お互いレポートに向き合い、時折意見を交わしながらペンを進め。時計の針が16時半を回り読書室を後にする学生がぽつぽつ出始めた頃、如月くんは手を止めて顔を上げた。
「時間大丈夫?」
掛け時計を見る。時間的にはもう少し大丈夫だけど、同じ学校の制服を着た生徒の姿も何人か見かけた。またあらぬ誤解が生まれる前に別れた方がよさそう。書きかけのレポートをしまい、本棚に本を戻す。
「ん? 絵画のレプリカあるみたいだよ」
「あ、ホントだ」
受付に絵画のレプリカの鑑賞についての注意書きが貼ってあった。
「鑑賞出来るのは⋯⋯17時までかぁ」
本で見たけど、やっぱりレプリカでも実寸大を見た方が参考になる。でも、17時まであと20分くらいしかない。
「すみません。絵画鑑賞お願いします」
「はい。こちらに記入をお願いします」
「わかりました」
如月くんは、備え付けのボールペンで受け取った手続き用紙に必要事項を記入していく。
「悩むなら見た方がいいよ。先に見ててくれていいから」
「⋯⋯ありがと」
お礼を伝え、職員さんの案内で絵画のレプリカを見させてもらった。そうして図書館を出たのは、17時過ぎ。外は少し日が陰り、オレンジ色の夕焼けの西の空には宵の明星がうっすらと見える。
「遠いなら送っていくけど?」
「ううん、平気。そんなに遠くないから。如月くんも近いの? 自転車じゃないみたいだけど⋯⋯」
「駅からローカル線。同じ市内だけどここから結構あるんだ」
「そうなんだ」
それなら、橋を渡って反対方向。まだ明るいため先日通った近道は使わず、川に架かる朱色の欄干の橋をレポートについて話しながら歩く。橋を渡り切ったところで、彼は足を止めた。視線の先は、お土産屋兼お茶屋さん。
「ちょっと寄って行こうかな。一緒に行く?」
「えっと、私は⋯⋯」
「あ、彼氏に誤解されたら困るか」
「い、いないからっ。彼氏とかいたことないしっ!」
「図書館行く前に飲んだから大丈夫」と言う前にとんでもない爆弾発言が投下された。余計なこと口走った気がしないでもないけど、両手を振りながら必死に否定するだけで精一杯だった。
「じゃあお互い問題ないね」
「彼女いないの?」
「いたら二人きりで会ったりしないでしょ。ここで大丈夫?」
「あ、うん」
「今日はありがとう。また、学校で」
「こちらこそ。またね」
お店のカウンターへ歩いて行く彼の背中を見送り、私も家路に着いた。
晩ご飯とお風呂を済ませて、部屋のベッドに横になる。今日は朝からいろいろありすぎて少し疲れた。このまま目を閉じてしまえば、きっとすぐに眠りにつける。いつもより1時間以上早いけど今夜はもう休もう。
部屋の灯りを消すため一度起き上がる。机に置いたレポート用紙が目に入った。
「⋯⋯彼女いないんだ。そっかぁ」
――よかった⋯⋯。
ひとつ大きな心配事がなくなって、安心した途端一気に眠気がやって来た。今夜はぐっすり眠れそう。
部屋の明かりを消して、改めてベッドで横になる。
カーテンの隙間から覗く雲ひとつない夜空も昼に観たプラネタリウムには到底敵わない、それでも――光瞬く小さな星々と柔らかに光輝く金色の月はまるで、黒い夜空をキャンバスにして描いたような美しい夜空だった。
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