第4章 帝国の剣

4-1. いや、このままでいいから

「朝ごはん……なんであんなに美味しいの」


 薬屋の開店準備をしながら、ワタシはため息をついていた。


 昨日もだが、今朝も色々とありすぎて、調子が狂う。


 開店準備だって……。

 ワタシは掃除が終わって、綺麗になったカウンターと接客スペースを眺めた。整理整頓は心がけているつもりなのだが、他人がやるとこんなに綺麗になるとは思ってもいなかった。


 今まで全く気にもしてもいなかった、己の家事スキルの乏しさに恐れおののく。


 ワタシは若葉色の髪をひとふさつまむと、右の指にくるくるとからめとる。

 髪を触るのは、なにかを考えるときのワタシの癖だ。


 昨日は寝台にダイブしたまま眠ってしまった。

 脳が考えることを拒否したのだから仕方がない。


 そして、朝になった。

 昨日のことは夢だったらいいなぁ。と思いながら部屋をでて、ダイニングキッチンに向かうと、テーブルの上にはキラキラと輝きを放つ朝食二人前が、ででんと並べられていたのである。


 それだけではない。

 乱雑で少し、少しだけ埃っぽかった部屋が、ピカピカになっていたのだ。


 おかしい。一体、ワタシの家で何が起こっているというのだろうか?


「おはようございます。ナナ様」

「…………」


 騎士服ではなく、シンプルで動きやすい活動着姿のギル様が、朝日のように眩しい笑顔を浮かべてキッチンに立っていた。


 犯人はやっぱりおまえか!


「さあ、ナナ様。洗面所に向かいましょう」


 満面の笑みを浮かべながら、ギル様は戸惑うワタシの背中をぐいぐいと押す。

 もともと向かうつもりだった場所だ。ワタシはとまどいながらも洗面室に入る。

 なぜか、ギル様も洗面室に入り、洗面用のタライと石鹸をとりだして、なにやら準備をはじめる。


「ギル? なにをしているの?」


 タライに水を張り、石鹸を泡立てはじめたギルにワタシは質問する。


「ナナ様の身支度のお手伝いをさせていただきます」

「――――!」


 悲鳴が声にならない。

 ギル様はなにをやりたいのだ!

 いや、ギル様はワタシのお世話をやりたいのだ。


「ひぃっ、ひとりでできます!」

「そんなことをおっしゃらずに。せっかくの朝ごはんが冷めてしまいます」

「うぅっ」


 あのキラキラ朝ごはん……たしかに、温かいうちに美味しく食べたい。

 ご飯を人質にとるとは卑怯な!


「さぁさぁ。わたしがお手伝いしますので、手早く準備をすませましょう。ナナ様、洗顔にはこちらの石鹸をお使いください」

「あ、ありがとう……」


 洗顔の補助くらいなら、許してやってもいいだろう。

 美味しい朝ごはんのためだ。


 ギル様が泡立てた石鹸はとてもキメが細かく、弾力があった。ピンとたったツノは、ずっと立ったままだ。

 安物の石鹸で、どうやったらこれだけ泡立てることができるのだろうか。

 ギル様が恐ろしい。

 ふわふわな泡で顔を洗い、石鹸を洗い流すと、すっとタオルが差し出される。


 そのタオルを見て仰天する。

 そろそろ新しいタオルに変えなければと思っていたくたびれたタオルが、まるで生まれ変わったかのように、綺麗になってフワフワになっている。

 昨日までのタオルと全く違う。


「ギル様? このタオルは?」


 顔から水をポタポタ落としながら、ワタシは疑問をぶつける。


「僭越ながら、わたしの【洗濯】魔法でタオルを整えさせていただきました」


 えっ? 【洗濯】魔法に復活効果なんてあった? この熟練度は、洗濯屋を開業できるレベル!

 このヒト、本当に守護騎士様なのだろうか。

 ワタシがタオルを受け取らなかったものだから、ギル様がワタシの顔をふきふきする。

 ゴシゴシではなく、ふんわり優しく顔についている雫を拭き取ってくれる。


 さらには、戸棚の中に置いておいた、試作中の化粧水と乳液までつけられる始末……。

 剣を握るヒトの手は基本的に硬くゴツゴツしている。ギル様の手もそうなのだが、大きくて、暖かくて、ワタシの顔をすっぽりと優しく包みこんでくれた。

 軽くマッサージもしてくれたようで、すごく気持ちがよかった。


 守護騎士様はこんなことまでできるのか!

 聖女様たちは守護騎士様たちになにをさせているのか!


 と叫びたくなったが、驚きすぎて、恥ずかしすぎて声がでない。


 それではいよいよご飯だと思ったら、ギル様の手にはブラシが握られていた。

 試作中のヘアオイルも、反対の手にしっかりと握られている。


 ラベルなしのむきだし状態の瓶で、よくこの違いがわかるよな。


「ナナ様の御髪を整えさせていただきます」

「いや、このままでいいから」


 ブラシを構えて臨戦態勢のギル様から逃れようと……狭い洗面室にそのようなスペースは全くない。


 肩まで届くワタシの若葉色の髪は、ギル様の手によって丁寧にとかされて整えられた。

 さらにはハーフアップに結い上げられてしまった。

 軽くまとめただけではなく、なにやら複雑に編み上げられてしまう。


「本日のお召し物はこれでよろしいのですか?」


 髪を複雑に編み上げながら、ギル様は服装にまで言及してきた。

 そういえば、着替えもなにもせずに眠ってしまったので、昨日と同じままの服だ。


 薬の調合実験で貫徹したときなどは、着替えずにそのまま次の日も同じ服で過ごすので、ワタシに抵抗はない。


 もっと生活に困窮しているヒトになると、数日間は同じ服だ。毎日同じ服でも珍しいことではない。


「そうですけど?」


 ちょっとだけ嫌な予感がする。


 ギル様の「失礼します」という声と同時に、呪文が聞こえ見事な【洗濯】魔法が発動した。


「ひゃっ」


 奇妙な……水分を含んだ風と、花の香りがする風と、温かな風が、ワタシの服を撫でていく。

 ギル様の手つきと同じく、とても柔らかで優しい風だ。


 服が……着ていた服が、昨日の状態よりも綺麗になった。


「…………」


 驚いたようなワタシの顔と、満足そうに頷くギル様の姿が鏡に映る。


「できました! それでは、朝食にしましょう。早くしないと、冷めてしまいます」


 再び背中を押されて、ワタシはダイニングの椅子に座らされる。

 食事の準備も後片付けも、すべてギル様がひとりでやってしまう。

 ワタシが入り込める余地はどこにもなかった。

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