閑話 ギルバード・スルトレイトという男
ギルバード・スルトレイト(1)
「聖女様?」
銀鈴蘭の聖女に仕える筆頭守護騎士ギルバード・スルトレイトは、乱暴に閉まってしまった屋根裏部屋の扉を呆然と見つめる。
なぜ、銀鈴蘭の聖女様はあんなに慌ててでていってしまったのだろうか。
もう少し、もう少しでいいから、銀鈴蘭の聖女様のお側にいたかったな――とギルは心の中で呟く。
自分の両手を見下ろし、手をそっと撫でる。十代の頃から剣を握り続けた手のひらは、大きくて硬い。
聖女様の手は、とても小さくて柔らかかった。
待ち望んだ瞬間がようやくやってきたのに、それはするりと逃げ出してしまった。
今はなにも握っていない両手を見つめる。聖女様の温もりがまだそこに残っているような気がした。
現在、帝都には六人の聖女様がいらっしゃる。
ナナが見つかったので、聖女様は七人になった。
聖女様は一定の周期でひとり、あるいは対でこの世に誕生される。
筆頭守護騎士も、聖女様と同じ数だけいた。
世代はバラバラだ。
まるで聖女不在の時期がないようにと、調整していただいているかのようだ。
そして、聖女様が筆頭守護騎士によって見つけだされる年齢も様々だ。
十歳にもならない幼い頃に聖女と認められた者もいれば、二十代で聖女となられた方もいらっしゃる。
聖女様おひとり、おひとりによって、その産まれも立場も、聖女として覚醒される時期もそれぞれ違うが、共通することもある。
筆頭守護騎士のみが、己の聖女様を見出すことができるのだ。
そして、筆頭守護騎士は、筆頭に任命されてから一年ないし二年のうちに、聖女様との出会いをはたす、というのが通説だった。
現在の筆頭守護騎士たちはそうであったし、歴代の筆頭守護騎士たちも例外なくそうであった。
だが、ギルバードだけは違った。
ギルバード……ギルは孤児だった。
産まれてすぐに孤児院前に捨てられていたらしい。話によると、身元がわかるようなものはなにも所持していなかったという。
父親も母親も知らないまま、ギルはその孤児院で育った。
孤児院が身寄りのない孤児を保護してくれるのは、十五歳になるまでだ。
ギルはその年齢に達する前に、孤児院で兄弟同然に育った少年と誘い合って冒険者になった。
冒険者稼業はふたりにとって天職だったようで、ギルたちは順調に実績を積んでいき、どんどん強くなっていった。
十八歳になった頃、白百合の筆頭守護騎士クルサス・スルトレイトと知り合うことがあり、そのときに彼から「おまえは銀鈴蘭の筆頭守護騎士だ」と言われた。
普通であれば信じられない話と笑い飛ばしていただろう。だが、なぜかその時のギルは、白百合の筆頭守護騎士の言葉を素直に受け入れることができたのである。
クルサスの言葉によって、今までモヤモヤしていた部分が消えてなくなった。
自分が何者なのか、大げさかもしれないが、自分の誕生した意味を知ることができた瞬間だった。
クルサスはギルの保護者となり、後見人として、ギルを大神殿へと連れ帰った。
一緒に冒険者になった幼馴染みも同時期に自分の出自が判明し、実父の家にひきとられたことも影響していたのだろう。
ギルはクルサスからスルトレイトという姓を貰い、今後はギルバードと名乗るようにと言われた。
こうして、ギルはクルサスの養子となり、彼を養父と呼ぶことになったのである。
ギルはその日以降、銀鈴蘭の聖女様に出会える日を今か今かと待ちわびる日々を送った。
大神殿での暮らしは、正直なところとても窮屈だった。
六人の聖女様や筆頭守護騎士は、ギルを快く迎え入れてくれたのだが、素性の知れぬ孤児が、筆頭守護騎士の候補になるなど……と眉を顰める神官や守護騎士たちもいた。
特に守護騎士を輩出することが多い家門からの嫌がらせは酷かった。
平民の中から筆頭守護騎士に選ばれる場合もあったが、そのようなことはめったにない。
筆頭守護騎士に選ばれるのは、高位貴族出身の者がほとんどだ。
クルサスをはじめとする他の筆頭守護騎士たちも、貴族出身だった。
それでもギルはまだ見ぬ銀鈴蘭の聖女様のことを想い、理不尽な嫌がらせに耐えつづけた。
己を鍛え、筆頭守護騎士であるための知識も学び続けた。
自分が至らなくて、銀鈴蘭の聖女様に恥をかかせてはならない、という一心で励みつづけたのだ。
一年、二年と歳月は過ぎていく。
だが、聖女様はギルの前に姿を現さなかった。
(筆頭守護騎士様たちから聞いていたお話と違うじゃないか!)
いつしかそんな気持ちがギルの中で芽生え始める。
筆頭守護騎士たちは、暇さえあればギルを捕まえ、自分と己が護る聖女様の話を語って聞かせていたのである。
見習いの筆頭守護騎士候補に、筆頭守護騎士としての心得を教えるため――。
と言えば聞こえがいいが、単に、己が守護する聖女様がいかに素晴らしく優れているのか、自分と聖女様の絆がどれだけ強いかの自慢話……つまるところ惚気話をことあるごとに延々と聞かされたのである。
その話の中には、聖女様との運命的な出会いも含まれていた。
忙しくて疲れているときに、年配者たちから惚気話を聞かされるのは勘弁して欲しいと思うのだが、時間に余裕があるときは、ギルは真面目にその相手をしていた。
聖女様のことを自慢する筆頭守護騎士たちはとても幸せそうで、その話を聞いたギルも、このうえなく幸福な気分に浸ることができた。
彼らの話を聞くことで、己の聖女様への憧れをギルは募らせていったのである。
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