3-5. 聖女様の奇跡です

 額に汗まで浮かべて結界を張ったギル様には申し訳ないが、結界を張る前と張った後の違いがよくわからない。


 ギル様が満足していらっしゃるようなので追求するのはやめておこう。


 水晶を手に持って登場したときは、どこの病人か、というくらい元気がなかったのだが、今はとても生き生きとしていらっしゃる。別人のようだ。


 ハーブティーにそこまでの効果があるとは思えないが、元気になってくれたようでワタシも嬉しい。


 ギル様のやりたいことが終わったので、屋根裏部屋のチェックをする。


「外から鍵もかけられるようですし、ご心配なら、鍵をかけてくださってかまいません」


 扉の鍵穴を見て、ギル様がそんなことを言いだした。


 ひとつ屋根の下で、年頃の男女が一緒にいるということを気遣っての言葉であることはすぐにわかった。


 森暮らしが長かったワタシでも、それくらいの常識はある。ギル様もようやく気づいてくれたのか、と言ってやりたい。

 だが、ギル様がその常識の上をいっちゃっているのだから仕方がないだろう。

 この非常識を外に待機させ、衆人の目にさらす方が危険が高い。


「外から鍵をかけてもよろしいのですか? 鍵をかけたら、ギル様は部屋の外に出ることができませんよ? 万が一のときはどうするつもりなのですか?」


 例えばトイレとか?


「ご心配なく、そのときは扉か床を蹴破ってでも、ナナ様を助けに参ります」

「……鍵をかけるのはやめておきましょう」


 鍵の意味と価値をギル様は全く理解していない。


 とりあえずは物置から屋根裏部屋にランクアップしたいワタシは、部屋に散らばっている大きな木箱を隅に積み上げようと行動に移る。


 放置状態の木箱を部屋の隅に寄せて、綺麗に並べるだけでも印象が違ってくるだろう。


 ワタシはよいしょっという掛け声とともに、木箱を持ち上げた。中には何が入っていたのか。今度、蓋を開けて確認しなければ。


「ナナ様! そのようなことはわたしが!」


 木箱を持ち上げたワタシに、ギル様が悲鳴をあげる。

 ワタシから木箱を取り上げようと、身体の向きを反転させる。


「わたしに命じてくだ……」


 ゴン!


 鈍い音が響いた。


「あたた……」

「ギル!」


 天井の梁に思いっきり額をぶつけ、ギル様はうめき声をあげながらうずくまった。

 背の高いギル様には、この部屋は小さすぎるみたいだ。


「大丈夫ですか! ものすごく大きな音がしましたよ?」

「はい。大丈夫です。ちょっと、不意をつかれたから驚いただけです。ご心配をおかけしました」


 額の辺りを手で抑えているが、手の隙間からは赤い血がみえている。


「ギル! 血がでてる? ちょっと見せて!」


 ワタシもしゃがむと、額を押さえているギル様の手首を掴む。手に力をこめ、えいやあと額から手をひきはがす。


 あらわになった額を見ると、やっぱりすりむいている。強く打ちつけたので、これから腫れてくるかもしれない。


「かすり傷ですよ」


 ギル様が笑う。


「ダメよ。ちゃんと治療しないと!」


 その瞬間。


 ワタシの全身から光がほとばしる。

 とても柔らかで、心が落ち着く柔らかな光だ。

 謎の光はギル様も巻き込んで、屋根裏部屋全体を満たす。


 建物に張られた結界が、チリン、チリンと不思議な音をたてた。


(ええっ? なんなの? この光は!)


 屋根裏部屋に溢れかえった光は、すぐに消えてしまった。


「い、いまの光は?」


 びっくりした。

 心臓がバクバクいってる。

 今の光は回復魔法のものでも、神聖魔法のものでもなかった。今まで見たことがない不思議な光だった。


「聖女様の奇跡です」


 ギル様は己の額を指さす。

 額に血の汚れはあったが、擦りむいた跡はきれいに消えてなくなっていた。出血はない。


「聖女様、ありがとうございます。聖女様の慈悲の心……ありがたく頂戴いたします」


 ギル様はワタシの手に、もう片方の手を重ねる。

 手を優しく握られ、ワタシの中に温かなものがゆっくりと広がっていく。

 それは全身を駆け巡り、とても心地よくて、なんだか少しくすぐったい温もりだった。


 ギル様がワタシの顔をのぞきこむ。


「ですが、わたしギルバード・スルトレイトは、あなた様の守護騎士でございます。この先、幾度となく傷を負うことでしょう。そのときはわたしのことは捨て置きください。聖女様の奇跡は、わたしではなく、民のために等しくお使いください」


 ギル様はそう言うと、ワタシの手の甲に恭しく唇をつける。


「――――!」


 昔、父様が読んでくれた絵本に、ニンゲンの騎士様とお姫様の物語があった。

 ワタシは騎士様がお姫様に忠誠の誓いをする場面がとても好きで、父様には何度もそれを読んでもらった。

 嫌がる弟を無理やりお姫様役に仕立て、ワタシが騎士の真似事をするというごっこ遊びもたくさんした。


 小さな頃から憧れていたあのシーンだ。


 なのに、ワタシの心は喜びに震えることはなく、苦いもので満たされていく。


(嫌だ!)


 ワタシの中で、ワタシの声が聞こえた。


(嫌だ! こんなのは嫌だ!)


 怪我をしても放置しろ?

 助ける必要はない?


 会ったときからヘンなことばかり言うニンゲンだと感じていたが、これほどとは思わなかった。


 ギル様が『ナナ様』ではなく『聖女様』と呼んだことに、ワタシは怒りを覚えると同時に、悲しみに傷ついていた。


 どうしてこんなに怒り震えて、悲しくて惨めな気持ちになるのかわからない。


 ギル様は『銀鈴蘭の聖女様』を護り、『銀鈴蘭の聖女様』に仕えたいのだ。 

 ワタシじゃないんだ。


 そのことに気づくと、フワフワしていた気持ちが一気に冷たくしぼんでしまう。

 反射的にワタシはギル様の手を振り払った。

 傷ついたようなギル様の顔から目をそらす。


「聖女様?」

「狭くて申し訳ありませんが、今晩はこちらの部屋をお使いください。ワタシは自室に戻ります」


 それだけを言い切ると、ワタシは猛ダッシュで二階の自室に駆け込み、そのまま寝台の中へとダイブしたのであった。

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