第3章 屋根裏の筆頭守護騎士
3-1. どちらかの生命が尽きるその瞬間まで
ワタシが二杯目のお茶を飲み始めた頃、ようやくギル様はカップに口をつけた。
ためらいながらもチビチビと、それはもう、たっぷりじっくりと時間をかけて飲んでいく。
「とても美味しいです。今までの疲れが吹き飛ぶようです」
いや、ポーションじゃないんだから、お茶をひとくち飲んだだけで、効果がでてくるわけがない。
そんなハーブティーは存在しないから。
ギル様はほんわりと幸せそうな微笑みを浮かべ、古びたカップを大事そうに両手で包む。
「ワタシの護衛は、いつまで続けるおつもりなのですか?」
「もちろん『どちらかの生命が尽きるその瞬間まで』です」
「…………」
びっくりした。
本気だ。
ギル様はそのつもりでいるようだ。
お茶を飲んでいたら、間違いなく吹きだしていただろう。
――どちらかの生命が尽きるその瞬間まで――
これは、神代の頃にあったという求愛の一節に含まれるコトバだ。
いや、ニンゲンがそんな古いフレーズを知っているわけがない。
ぐっ、偶然だろう。
どちらにしろ、重い言葉だ。
おつきあい永久宣言されてしまった……。
ギル様ってば、さらっと恐ろしいことを言ってくるし、実行するつもり満々な気配を漂わせているから困る。
ハーブティーを飲み終わったら、神殿に戻ってもらおうと思っていたのだが、この様子では無理みたいだ。
追い返しても、絶対にどこかに隠れて、ワタシのことを……。
まあ、ハーフエルフの方がニンゲンより寿命が長い傾向にあるから、ギル様は自分が死ぬまでワタシにまとわり……いや、護衛をするつもりでいるようだ。
嫌だ、迷惑だ……とキッパリ言えたらいいんだけど、なんとなく言いづらい。
言ったら最後、非常に面倒なことになりそうだ。
「ナナ様は、帝都にはご興味がありませんか? この街を離れるのは嫌なのですか?」
黙ってしまったワタシの代わりに、今度はギル様が問いかけてくる。
「どうしてそれを……」
「ナナ様のお気持ちはわかります」
「…………」
いや、ちょっと待って。これほど信憑性に欠ける怪しげな言葉は、今まで聞いたことがないよ。
なにかの冗談かと思ったけど、ギル様は大真面目だ。
「ワタシはこの土地が好きです。帝都のことは噂でしか知りませんが、ワタシが育った森からこれ以上、離れて暮らすのは耐えられません」
「そうですか……」
「それに、この店は、師匠から譲り受けた大切なものです。それを閉じるということはできません」
本当は森の中に籠もってこのままずっと暮らしていたかった。でも、それは父様が許してくれなかった。
隠者になるにはまだ若すぎるって。
他の兄様たちと同じように、若いうちはヒトの世界で暮らすようにと言われている。
この街にはあの三人組のようなチンピラや、自分のコトしか考えない迷惑な客もいる。ニンゲンは噂や悪口が好きで、平気で仲間を傷つけて騙す。ご近所付き合いも大変だ。
ここでの暮らしは、楽しい思い出ばかりではないけど、傷ついたこともあったけど、ワタシは師匠が残してくれた『雪雫の薬鋪』は大好きだ。
グラットに言われたとおり、自分の思っていることを正直にギル様に伝える。
「この街の神官より、薬屋の現状は少しばかり聞いております。無礼を承知で申し上げますが、この街の人々は、ナナ様のお薬を必要としていないのでは?」
「それでもです。ギルの言う通り、この街のヒトには薬など必要ないのかもしれません。でも、周辺の村や旅人、冒険者はワタシの薬を必要としてくれています」
「ナナ様」
ギル様は席をたって、ワタシの側に回り込む。
静かに膝をつき、ワタシの右手にそっと自分の両手を添える。
まるで壊れ物を扱うかのような優しい仕草に、ワタシの胸がチクリと痛む。
どうして、このヒトは出会って間もないワタシに対して、このように接することができるのだろうか。
「帝都でも、ナナ様を必要とする人々はいます。この街よりも大勢の人々が、ナナ様を必要としております。わたしたちが常にお側に仕え、ナナ様をあらゆる災いからお守りいたします。神殿には大きな森はございませんが、美しい花が咲き乱れ、他の聖女様たちがナナ様のお戻りをお待ちしております」
「ごめんなさい……。ワタシには無理です」
へにょんとワタシの耳が下がる。
「ワガママを言ってすみません」
必死なギル様のお願いに応えられなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
心臓の具合が悪くなったのか、胸が締めつけられて、呼吸がとても、とても苦しくなる。不整脈かな。
「ナナ様のお気持ちはわかりました。どうかお顔を上げてください。これは……ここだけの話でお願いしますね」
そう言うと、ギル様はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「聖女様は必ずしも帝都の大神殿に籠もる必要はございません」
「え……?」
「帝都の大神殿であれば、仕える者たちがラクをすることができるからです。みんなは手を抜きたいのですよ。大神殿の護りは強固ですし、いざというときは、帝国の騎士団にも助力を乞うことができますからね」
「えええっ?」
「強欲な皇帝が、聖女様方を己の膝元に留めおきたいだけです。属国や敵国に威張り散らしたいだけです。皇帝なんてクソクラエです」
「ぎ、ギル様!」
「ギルです」
このヒトはいきなりなんてことを言いだすんだろう。
「守護騎士様がそのようなことを……」
辺境の街とはいえ、皇帝の威光はここにまでバッチリ届いている。
悪口はご法度だ。
「ははは。守護騎士は『清廉潔白』『聖人君子』など言われておりますが、上辺だけです。その方がなにかと都合がよいから、そうしろと教わりました。実際は腹黒ですよ。例外はおりません」
「白百合の筆頭守護騎士様もそうなのですか?」
そんな風には見えなかったけど……。
「もちろんです。養父は筆頭守護騎士の中でも、かなりの腹黒ですね。なにしろ、孤児だったわたしを筆頭守護騎士にまでした男ですからね」
「えええ? 養父?」
驚くワタシを見つめるギル様はとても楽しそうだ。
そういえば、ふたりともスルトレイトという同じ姓を名乗っていた。
似ていなかったので、同族なのかと思っていたのだけど、まさか義理の親子だったとは……。
話してみないとわからないことはたくさんあるんだな、とこのときのワタシは思った。
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