1-2. 今すぐ客にしてやるよ

 ワタシは麻袋をカウンターの上に置きながら溜息をつく。


「違うの。グラットの素材は痛みも少ないし、ここらでは手に入らないものばかりだからありがたいわ」


 ワタシだって採取はできるが、国境付近の山奥まで踏み入っていたら、その間、この薬舗が無人になってしまう。


 昔ならこの街には数件の薬屋があったので店を閉めても問題はなかった。

 だが、数年前から――ちょうど、ワタシが弟子入りをした頃から――この街で病にかかる人が少なくなり、持病で苦しむ人がひとり、またひとりと減っていったのである。


 病気になる人が全くいなくなった、というわけではないのだが、病気になってもすぐに回復するのだ。

 怪我もそうだ。

 日常の切り傷、かすり傷はそれこそ「唾でもつけときゃ治る」という具合であっという間に治ってしまうし、大怪我も驚くくらいに回復が早かった。


 それは非常に喜ばしいことなのだが、医者や薬師としては、その……いわゆる、収入源がなくなるという、とても心苦しいというか、財布に苦しい状態になってしまったのである。


 現実問題、医師も生きていくには収入――つまり患者――が必要だ。医師はより自分が必要とされている土地に拠点を移し、薬師も店をたたんでこの街を去ってしまった。


 今やこのアスグルスの街に在住している医師は、この街を統治しているアスグルス男爵の主治医ただひとりとなってしまった。

 そして、薬屋もワタシが経営している『雪雫の薬鋪』の一軒だけとなってしまったのである。

 なので、気軽に店を閉めて、素材採取にでかけることができなくなってしまった。


 街の人は薬を必要とはしなくなったが、この世界から病気や怪我が消え去ったわけではない。

 街に立ち寄った旅人や冒険者、近隣の村人、それに、行商人の仕入れ先として『雪雫の薬鋪』は、なんとか薬屋としての体裁を保つことができている。


 なので、お世辞抜きでグラットの定期的な納品と薬の購入はありがたい。


 なのだが……。


「緑鱗トカゲの腎臓がない……」

「あ……」


 ワタシの指摘に、グラットは申し訳なさそうに髪をかきむしる。


 緑鱗トカゲの腎臓は、リュウマチや古傷の痛み止めとして使われている。

 この街にリュウマチや古傷の痛みで困っている人はいないが、他の村には薬を必要とする人がいて、毎月一定量の注文がある。


「ごめん。気をつけて捜してはいるんだけど、見つからないんだよ」

「そうみたいね。ワタシの方でも冒険者ギルドに依頼をだしているんだけど、ダメみたいなの」


 緑鱗トカゲは魔獣ではない。

 食用にも向かず、腎臓が薬の調合で必要なだけだ。

 つまり、需要も注目度も低いトカゲなので、冒険者ギルドも魔獣異変の兆候として調査するかどうか決めかねているようだ。


「ナナ、緑鱗トカゲの腎臓はすぐにでも必要なのか?」

「大丈夫。素材の在庫は少しだけあるし、痛み止めも残っている……」


 そう、今はまだ大丈夫だ。

 季節が冬になると、傷の痛みも強まるだろう。あかぎれを治す薬にも緑鱗トカゲの腎臓を使っている。

 このまま手に入らなければ、緑鱗トカゲの腎臓はこの冬に、いや、冬前には底をつくことになる。


 ワタシの沈黙をグラットは正確に読み取ってくれたようだ。


「そうか。なにかの理由で緑鱗トカゲの棲み処が移動したのかもしれないな。ちょっと探索範囲を広げて……」


 グラットの声が途中で途切れる。


 ガラン! ガッシャ――ン! ガ――ン! ガチャン!


 騒々しい音とともに、店の扉が開く。


 騒々しい足音をたてながら、三人のいかつい男たちが店内に乱入してきた。

 わざと大きな足音を立てて、男たちが狭い店内を占拠する。


 グラットの表情から柔らかさが消え去り、刺々しいものになる。


「おいおいおいおい!」

「あいかわらず、暗くてさびれた店だよなだ――」

「ヘンな臭いもするしよぉ」


 失礼な!

 店内が暗いのは、太陽の光が薬草の劣化を早めるからだ。

 匂うのは、薬草を取り扱っているからだ!

 反論したいが、ここはぐっと我慢する。


「なんだぁ。客かよ? 珍しいな」

「兄ぃちゃんどきな。これから店主さんと、モッブゥの兄貴とで大事な話があるんだよぉ!」

「どきやがれ」

「邪魔なんだよ」


 いかにも悪人顔、人相の悪い男たちは、グラットを押しのけ、カウンターの前に陣取る。


「ナナ、この人たちは客なのか?」


 眉間に皺を寄せながら、グラットがワタシに質問する。


「客なわけがないじゃない」

「そうだよ。そうだよ。オレたちはな、家主様のご依頼で、店の賃料を集めているんだよ!」

「家賃なら先日、払いました」


 ワタシは目に力を込めて、毅然と言い返す。

 ここで怯えたような態度をとれば、こいつらはどんどんつけ入ってくる。

 ハーフエルフで童顔なワタシは、年齢よりもすごく幼く見えて、子ども扱いされることが多い。

 この男たちからもバカにされていた。


 こいつらはモッブゥ、ザッコー、カスウという三人組で、アークトックという男が束ねる街のゴロツキだった。


「それがな、ここら一帯の地価が値上がりしたんだよ。賃料も上がったんだ。さっさと追加料金を払いな」

「なんですって! 先月も値上げしましたよね?」

「今月も値上げしたんだよっ。カスウ!」

「へい。モッブゥの兄貴!」


 カスウと呼ばれた男が懐から羊皮紙をとりだし、ワタシにつきつける。


 そこには賃料が値上げするという告知文と、商業ギルドがそれを認めるというサインが記載されていた。

 悔しいけど、これは正式文書になる。

 どうやって商業ギルドにこのサインを書かせたのか、それは追求しないでおこう。


 ちょっとこの金額は……今の経営状況では辛い。


「なあ、ナナ、やっぱり、このヒトたちって、ナナの店の客だろ? 今すぐ客にしてやるよ」

「グラット! 違うから!」


 指をポキポキと鳴らし始めたグラットの顔が怖い。目が殺気立っている。間違いなくグラットはヤル気だ。殺る気満々なのが怖い。

 グラットは十五歳で、赤熊を素手で絞め殺した男だ。狼の群れもグラットを見ると尻尾を巻いて逃げるくらいだ。


 殺るのは、森の中の野獣や魔獣だけにしてほしい。このテの街中のケダモノは話がややこしくなるから、狩るのは頼むからやめてほしい。


「なんだぁ? 兄ぃちゃんまだいたのかよ! 怪我しないうちに、さっさとオウチに帰りな!」


 大男三人がグラットをとり囲んで威圧する。

 なにをしてくれる!

 そんなことをしたら、グラットのヤル気に火がついてしまう!


「店内で騒ぎは困ります!」


 怪我をするのは間違いなく、三人組の方だ。

 こんな小さな店内で暴れられては困る。

 ここはだだっ広いフィールドではない。

 グラットの狩場はここじゃないから!


「うるせえ!」

「あっちに行けやぁ!」

「消えろ!」


 もうだめだ。消えるのはアンタたちの方だ。


 と、思ったとき、再び店の扉が開いた。

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