キミたちと一緒
やまこし
キミたちと一緒
外を歩いていたら、指先が溶けた。
かと思うくらい暑い。まだ通勤時間だっていうのに、首筋にはっきりと汗が通った道を感じる。なんでもします、トイレ掃除だって、めんどうなエクセルの表作成だって、接待飲み会でモノマネだって。なんでもしますから。どうか、駅まであと三歩で着いてください。そう願っても、春や秋と同じ三歩が通り過ぎるだけだった。そういえば、セミの声を聞かない。セミはどこへ行ったのだろうか。あまり暑すぎると鳴かないということを聞いたことがあるが、本当なのだろうか。いや、そんなことより暑すぎてたまらない、駅まであと少し。改札までに通る駅ビルがオアシスだった。砂漠で喉が乾いた時に見る水と、どちらがありがたいのか、自分の感性で比べたいと思った。
仕事でも、仕事終わりの飲み屋でも、暑さだけが話題になる。相手が誰であろうと傷つけることのない「天気」の話。雨が降ってもヤリが降っても、多分暑さのことだけを話題にするのだろう。たしかに暑い。ただ、朝から思考にはセミが張り付いている。まるで脳の内側にしがみついて鳴いているようだ。
セミよ、君たちはどこでなにをしているのだ。
「そういえばセミの声って聞いた?夏が始まったって感じがするよね」とそれとなく飲み会でも話を振ってみたものの、セミが死んでいるのかどうか見分けるのが難しいという話でひとしきり盛り上がってしまい、結局セミがいまどこでなにをしているのかはわからないままだった。
ちょうど七歳を迎えた夏休み、図書館で読んだ本で「セミは七年間土の中にいて、成虫になると一週間で死んでしまう」ということを知った。当時の自分にとってそのときに鳴いているセミはみな同い年だったのだ。図書館の外には大きな木が何本も生えていて、小さな林のようだった。昆虫の本を抱えたまま、何時間も蝉の抜け殻を探した。ひとつひとつを大切に拾って、小さな手ふたつには多すぎるほどのセミの抜け殻が集まった。家に帰ってから昆虫の本と抜け殻を見比べて、色々な種類のセミがいることもわかった。
「君たちと一緒、七歳だ。おそろいだね」
今でもセミの抜け殻を見ると、あの図書館の前の林に響くセミの合唱が耳の中でかすかに聞こえる。
飲み会の帰り道に、スマホを開いて軽くセミについて調べてみた。高温すぎると鳴かない、ということははっきりとは書いていなかったが、明らかに数は減っているのではないか?もっと、君たちに会いたい。
フジロックのラインナップ発表
蚊取り線香のCM
大きくなったスーパーのアイス売り場
夏の歌ばかり入っているカラオケの履歴
冷やし中華を始めた街の中華屋
セミの声、
うるさいくらいのやつ
こういう、夏のかけらをひとつひとつていねいにあつめて、夏を楽しみにしている。たしかに溶けてしまうほど暑いけれど、寒さが苦手な自分にとってはかけがえのないシーズンだ。今だけ、今だけが大きな声で、自分はここにいますと言える季節なのだ。君たちと一緒、夏だけが舞台なんだ。なのに、どこに行ってしまったのだろう。
飲み会では上手に酔うことができなかった。セミのことばかりかんがえていたのだから仕方がない。お気に入りのシャンプーは、髪の毛を乾かしたあとにいい匂いがする。シャンプーの香りを胸に大きく吸い込む。こんど即売会に持っていく同人誌が書きあがっていない。ほとんど酒も抜けたから、原稿を進めようと思いながら体を起こすと、閉め切った窓の外からセミの声が聞こえた。
夜に鳴いている。
暗闇の向こうに、君たちがいることを感じる。
夜の窓の景色とはどうしても似合わないが、セミたちは夜を舞台にすることを決めたということだ。
君たちは、夏の夜が舞台になったんだね。夏の夜だけに、元気でここにいますと言えるんだね。一緒だね。君たちと一緒だ。夏の夜、今しかないこの瞬間。ここにいます、君たちと一緒に。
(了)
キミたちと一緒 やまこし @yamako_shi
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