第9話 原作を『知ってしまっている』デメリットもある。

 主人公補正、という言葉がある。


 どちらかと言えば俗語寄りの言葉だし、詳しい定義は時と場合によっても異なるだろうが。

 それでも可能な限り一般化して言うなら──『物語の都合で主人公を勝たせるために、強制的に働く謎の力の総称』辺りだろうか。


 それは、物語の上では何も問題ない。大抵のお話には多かれ少なかれあるものだし、主人公を視点にしている以上使い方さえ間違えなければ悪いものではないだろう。


 ──だが、もし。

『物語を基にした現実の世界』が存在したとして。物語の中特有の現象、『主人公補正』がそこでも働いたとしたら。

 同時に、主人公と対極の存在である『モブ』が、常にその割を食う側・・・・・・・・・だとしたら。


 それは……最早誰にとっても、呪いと変わらないのではないだろうか。



 つまり、この世界は。

 そういう力が、存在するかもしれない世界である。




「──やっぱ、お前が主人公だよ!」


 晴夜と悠里のシャトルラン対決が終わった後。

 勝利した悠里にそう告げた男子生徒……すなわち、『原作を見守る』スタンスの転生者は最高潮の喜びと共に告げる。


 これが喜ばずにいられようか。

 彼が主人公だと認める悠里がその隠れたハイスペックを皆の前でお披露目し、原作を徹底的に壊しにかかる邪魔者である小日向晴夜を打ち負かしたのだ。

 やはり彼こそが、世界に愛された主人公。その確信のもと、彼は満を持して悠里に話しかける。


 彼は、積極的に原作を壊そうとはしていない。むしろ原作は順守する気しかない。

 主役になり代わる気なんて微塵もない、自分は脇役で良い。

 是非とも悠里はこの世界の主人公として原作通り灯との仲を深めてもらって……そして、自分も脇役としてその仲間に入れて欲しい。

 原作を知る分彼らの仲を取り持つ手助けもできると思うし、彼らにとっては良いことしかないだろう。

 そうして──これから様々なことが起きる世界の中心である彼らの横で、自分も『前の人生』ではできなかった最高の青春を送りたい。


 今までは晴夜という邪魔者が常に悠里に張り付いていたせいで接触できなかったが、彼が悠里に負けて失意と共に離れた今が好機。

 その判断のもと、引き続き彼は振り向いた悠里に言葉を続ける。



「いやぁ! すっきりしたよ神崎が勝ってくれて! 勝ってくれると思ってたけどな!」



 ──そして彼は、初手から間違えた。


 いや、初手からどころではない。そもそもここでどんな言葉をかけようとも彼の望む結果にはならなかっただろう。何故なら。


 彼の誤算は、大別して三つ。

 一つ目は、『晴夜がいるから』という理由でこれまで悠里と話さなかったこと。

 二つ目は、原作を知るが故の勘違い。『原作を壊そうとする晴夜は原作主人公の悠里も内心快くは思っていないだろう』という、自分の知識を過信した決めつけ。


 そして三つ目──神崎悠里にとって・・・・・・・・自分への・・・・主人公・・・という言葉が地雷だ・・・・・・・・・と知らなかったこと。


「でも、俺は思ってたぞ。お前が本当はすごいやつだって。普段の姿を良く見てたら分かるよなぁ」


 それに気づかないまま、彼はある意味で的確な言葉を並べ続け。


「優れたやつは的確に評価されて欲しいからな。その点小日向のやつは──」


 そして。


「──えっと、ごめん。何言ってるの?」


 勘違いと無知の代償は、手痛い拒絶。

 言葉の内容こそ最低限の礼儀としての丁寧さは保っているが、声色は低く。

 何より彼を見る悠里の目には、表面上の丁寧さでは隠しきれない冷たさを宿していた。


「……は?」

「その、ごめんね。僕も今ちょっと冷静じゃないから、あんまり言葉を選べないかもなんだけど……」


 思わぬ返答にフリーズする彼に向かって、悠里は続けて。


「まず、『すっきりした』ってどういう意味? 口ぶり的に……僕が勝ったことより、小日向君が負けた方を喜んでいるように聞こえるんだけど」

「え、あ? いや、もちろん神崎が勝ったことも嬉しいぞ! それに……」

「次に、『本当はすごいやつだと思ってた』って点。評価してくれることはありがたいけど……」


 しどろもどろになる彼とは対照的に、悠里は淀みなく。つまり自分の本心の言葉で。


「……今、このタイミングで初めて話しかけてその言葉を言う。そういう人間がどんな風に見られるか、考えられてる?」

「!」


 そこで、彼も気付く。

 冷静に客観視すれば誰でも分かることだ。これまで表立って自分を明かそうとしなかった人間が初めてその優れた能力を皆の前で見せて、そこで初めて今まで話しかけていなかった他人が声をかけ、『すごいやつだと思ってた』。


 そんな人間が、どう見えるか。考えるまでもない。

 誰が見ても明らかな──優れていると分かった瞬間すり寄る風見鶏そのものだ。


「あ、いや! 違うぞ!」


 その評価は、事実だけを見れば間違いだ。

 彼が原作知識によって、悠里が優れていることを知っていた。決して今認めたわけではない。だからこそ考えが至らなかったのだが……ともあれ、それをまず訂正しようと慌てて言い訳を紡ぐ。


「ちゃんと最初から評価してたし、話しかけようとは思ってたんだ! ただ小日向がいつもお前の横にいたから……」


 結果、さらなる墓穴を掘った。


「……やっぱり、小日向君のことが気に入らないんだね」


 彼の言葉によって、悠里がその事実を確信するに至り。それを踏まえた上で、告げる。


「それに関してとやかくは言わないよ、他人の好き嫌いに口は挟めないし。でも……」


 そこで初めて、彼の目を見て。彼が原作でも見たことのない瞳で。


「少なくとも僕は、自分の友達を明確に悪く見る人間と仲良くなりたいとは思わない。

 ──あの真剣勝負を、真剣に勝負してくれた小日向君を、軽んじる人とも」

「…………は?」


 その言葉が、彼にとって一番の衝撃だった。

 何故なら、前述の通り。小日向晴夜は原作を破壊する敵で、だからこそ……


「……友、達?」

「そうだけど──え、逆になんで?」


 そして、奇しくもその反応によって更に溝を深めることになる。

 何故なら、当然悠里は彼が『原作』を知っていることを知らない。だからこそ、悠里には彼がこう見えている。


「……あの様子を見てて、なんで僕と小日向君が友達じゃないと思ったの?」


 その言葉に、彼は今度こそ完全にフリーズし。

 悠里はどこか不気味なものを見るような視線で彼を見やったのち、「それじゃ」と最低限の会釈だけを残して離れていった。その様子を見れば……この一連のやり取りで、彼が悠里からどう思われたかは明らかで。


 原作を知ってしまっている・・・・・・・・・人間が、知らない人間からすればどういう風に見えるのか。

 それを理解していなかったが故に──彼の『この世界の物語の脇役になる』目標は、一歩を踏み出す前から致命的に頓挫するのだった。




 また。その後彼から離れ、彼とのやりとりを一瞬で思考の隅へ追いやった悠里は、代わりに先ほどのシャトルランでの対決を想起して。


「…………やっぱり、こうなるのか。……なんで」


 そう悔しそうに呟き、『原作主人公』が晴夜を探し始めたことは、今は誰も知らない。




 ◆




 同刻、保健室。

 とりあえず保険医に診てもらって『骨に異常もないし捻挫の気配もない、軽く捻っただけだと思うが一応整形外科で診てもらうこと』と極めて真っ当な言葉をいただき。

 応急処置としての湿布を取りに行った保険医を待ちながら、晴夜は考える。


「……」


 考える内容は、当然先刻のシャトルランのこと。

 絶対に滑るはずのないところで足を滑らせた。……それだけなら、まだ辛うじて気のせい、晴夜の見落としで済ませられないこともない。

 そう、問題は。



 ──これが初めてではない・・・・・・・・・・、ということ。

 こういう出来事が、晴夜の過去で不自然なまでに頻発していたことだ。



「…………そんなことないって、気のせいだって。思いたかったんだがなぁ」


『モブみたいな子だ』。


 何故か今、その言葉が思い出される。

 それを否定したかった。何かの主役に、主人公になりたかった。

 だからこそ……きっと自分が思っている以上に、この対決は勝ちたかった。


「なのに、なんで──」


 そう呟き、ほんの少しだけやるせない思いが浮かびかけた──その時。



 からり、と保健室のドアが控えめに開く。

 一瞬先生が戻ってきたと思ったが早すぎるし、何より開け方が大人しい。疑問に思う晴夜の前で、扉を開いて現れたのは。


「……こ、小日向くん、いますか……?」


 おずおずと中に入り、晴夜を認めるとその美貌に心配げな顔を浮かべ。

 とてとてと小動物じみた所作で晴夜に駆け寄る、水澄灯が保健室にやってきたのだった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ざまぁと糖分を一話にまとめる予定でしたが、思った以上に長くなったので二話に分けますすみません……!

次回こそ、静夜と灯のラブコメ成分です。本話で回収し損ねた部分も語ります、ぜひ読んで頂けると嬉しいです!

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